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茶々姫をたどる汐路にて

茶々姫研究日記(こちらが現行版になります)

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[Twitter]あいば、寧と茶々、秀頼と日秀、刑部卿局

 

日秀宛の秀頼書状があるのを知らなかった…。「そろそろ涼しくなってきたし、おいで下さるのをお待ちしています」だって。日秀もちょくちょく来ていたんだ…。このときは大蔵卿局を日秀に遣わして、銀子二百枚を贈っています。大蔵卿局は秀頼と日秀の間も往復していたんですね。おもしろいなあ。


posted at 04:44:23


…ということは、内藤長秋は千の乳母刑部卿局の縁だけど、年齢は秀頼と同じだったってことに。その辺が混同されて秀頼の乳母子ってことになったのかな…?土屋知貞の立場や書き方的に、結構信憑性があるように見えるけど…


posted at 04:41:09


『土屋知貞私記』によると内藤新十郎(長秋)は「御姫様之御乳母、刑部卿子、内藤庄兵衛兄、親ハ若狭衆牢人内藤庄兵衛也、三千石、歳廿三」。分かりにくいけど、刑部卿局の継子ということ?そして、刑部卿局の夫は大坂方として戦死したということ?


posted at 03:52:36


茶々が寧を追い出す気、そしてそれだけの権力があったら、此の時も寧を凌駕する供を従えて参列したはずだよねー…というか。進物の数や供の数って、現在からみればただの数字だけど、名前の登場順と同じくらいに当時としては大きな意味があったと思うわけです。


posted at 01:18:41


この時百五十人を従えた寧に続いて、茶々も百三十人を従えて参列したとあります。後年編まれたもののようなので、どこまで正確かは微妙ですが、この数字は二人の力関係をよく表わしているなあと思ったのでした。確かに茶々は寧に拮抗する力があったけれど、寧を追い越すことはない、というか。


posted at 01:16:11


あったあった。ヤフオクの『豊臣朝臣葬式記』についてつぶやいたときに言っていた葬儀記録、山内家文書でした。『慶長巳亥二月十八日御行列次第』。秀頼の付き添いで片桐且元、大野父子(「大野道犬」、「大野修理亮」)が且元に従っているやつです。『~葬式記』にも同じような記述が見えました。


posted at 01:12:58


あー、饗庭局の醍醐の花見の和歌も「あい者」と署名しているのか…。これは「あえば」ではなく「あいば」で間違いなさそうだなあ。ひとつ勝手に思い込んでいたことがが訂正されました。すっきり。いずれサイトなども訂正しなければ。


posted at 00:59:19


輝資さん曰く、浅井一族であり茶々の側近でもある饗庭局は「あいば」と読むらしい。「豊国石灯籠之覚書」でも「あいばとの」と出てきます。「あえば」だと思っていたのですが、「あいば」なのでしょうか。そう読むと彼女の名前をあてた別字「相庭局」も納得が行きますね。要調査続行です。


posted at 00:33:33


千の侍女刑部卿局は「視聴混雑雑録 元」によると内藤兵庫の姉で、内藤正兵衛の母であるそうな。実家も内藤家で嫁家も内藤家?誰かが養子なのか…?


posted at 13:38:17

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プロフィール

紀伊

Author:紀伊
茶々姫(浅井長政の娘、豊臣秀頼の母)を中心に、侍女、ご先祖の浅井家女性(祖母井口阿古など)、茶々の侍女やその子孫、養女羽柴完子とその子孫を追いかけています。
ちょこっとものを書かせていただいたり、お話しさせていただくことも。





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メモ「赤石いとこ」名義で記事を書かせていただきました。

悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ) 悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ)(2009/06/06)
…改めて石田三成と茶々姫の“不義”を否定する記事を書かせていただきました。


メモ 参考資料としてご紹介いただきました。

めのとめのと
…茶々の乳母大蔵卿局を主人公描く歴史小説。茶々の祖母阿古の活躍も見どころ。
千姫 おんなの城 (PHP文芸文庫)千姫 おんなの城
…千の生涯を描いた作品。千が見た茶々をはじめとする人々の生き様、敗者が着せられた悪名が描かれる。


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