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[Twitter]猶子、筒井、有馬温泉

現代的解釈では、養子>猶子という印象ですが、当時的にはそういうわけでもないのかな、という感じです。


posted at 21:18:17


「猶子」:「惟任謀反記」で大村由己が於次丸秀勝を秀吉の「猶子」と記しています。桑田先生の解説曰く、「養嗣子の候補者」という註釈。そもそも文脈からして、現代の解釈そのものを当時の一次史料の「猶子」に当てはめるのはやっぱり正しくないかと。もちろん完子の話です。


posted at 21:16:24


仲が良かったと言えば、足利義昭の妹勝雲院とお寧さんは「一ノ御気合也」だそうです。


posted at 13:57:25


ベッドで多聞院を眺めながら呟いていた昨日のTLはカオスですね(苦笑)筒井定次室が茶々と親しかったと知って、筒井家への関心が急上昇です。


posted at 13:53:04


天正十七年五月の前田豪の出産記事は、二人の息子の生年より早いから長女の貞(理松院)なのかな…。


posted at 03:52:08


んで、天正十七年四月に亡くなっている「筒井後室」の「小侍従」は順昭の妻でいいのかな…ややこしい。


posted at 03:43:01


順政の母が尊栄尼。順政の兄が順昭で、その母は宰相局(妙久禅尼)。宰相が「筒井後室」で尊栄尼は「悲母」ってことは


posted at 03:36:35


ん?違うか。年齢的に順慶の祖母かな。>宰相局


posted at 01:56:27


筒井順慶の母は宰相局と称し、戒名を妙久禅尼というらしい。天正九年八月十九日早朝に死去。享年は七十九歳とも、八十余りとも。(『多聞院日記』)


posted at 01:30:03


有馬温泉は豊臣家の女性が多く湯治に訪れています。しかし茶々が訪れた記事は未だ見つかりません…。しかも大蔵卿局も慶長三年末に湯治に訪れたそうなので、ますます茶々も来たことがあるのではないかなあと思わざるを得ません。草津温泉には茶々が訪れたという伝承が残っているのに。


posted at 00:39:41

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