Posted at 2015.12.06 Category : ∟旧跡だより
紺地牡丹唐草文様銀襴打敷(こんじぼたんからくさもんようぎんらんうちしき)弘化3年(1846)大坂城落城の際に、千姫に従って海津局(淀の方の侍女)は、浅井家の血を伝える幼い子を連れて脱出した。海津局の子は「浅井」から 「三好」へ名字を変えて後に江戸幕府へ出仕し、孫の三好政盛も幕府で
posted at 17:11:57
重用された。この打敷には、墨書があり、三好政盛(崇徳院)の供養のため奉納されたものであることが記されている。生前の三好政盛が高台寺と関わり、高台寺では政盛が亡くなった後にその供養を行ったことを示す貴重な品物がこの打敷である。三好政盛は、元禄12(1699)に亡くなっており、
posted at 17:15:10
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