ここには秀頼の妻だった千が後に本多忠刻に再嫁してもうけた娘勝が眠っています。
うちではそんなに取りあげることのない女性ですが、彼女の娘で本多忠平に嫁いだ女性がその名を奈阿といい、天秀尼が「奈阿」と言われ出したモデルが勝の娘奈阿ではないかと思われます。
千にとっては初孫で、大変可愛がったと言われています。

右に控えているのはおそらく侍女の墓所か(永寿院と究竟院)
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天秀尼=「奈阿姫」の初出は、『千姫 物語と史蹟を訪ねて』(松本幸子、成美堂出版、1982)ではないかと。こちらでは生母も「絲」という名前をもらっており、「奈阿」も創作であろうことが推測されます。ちなみに「千代」は『日本女性人名事典』に載っているそうです。それ以上の出典は未だ不明。
posted at 12:32:07
@katzchen_blau21 池田奈阿は複数の池田家史料に見えるので史実だと思います。千が可愛がった孫娘だったとのことで、はじめはこの奈阿と混同したのでは?と考えていました。ひょっとしたら件の小説もこの孫娘からなまえをとったかもしれませんね。
posted at 18:48:04
天秀尼の本名について考える http://ameblo.jp/chachahime-blog/entry-10861025031.html
「江の娘 千姫」展 http://ameblo.jp/chachahime-blog/archive-201110.html
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