fc2ブログ

茶々姫をたどる汐路にて

茶々姫研究日記(こちらが現行版になります)

RSS     Archives
 

千の娘 円盛院勝

 
日蓮宗の大寺院、池上本門寺。
ここには秀頼の妻だった千が後に本多忠刻に再嫁してもうけた娘勝が眠っています。

うちではそんなに取りあげることのない女性ですが、彼女の娘で本多忠平に嫁いだ女性がその名を奈阿といい、天秀尼が「奈阿」と言われ出したモデルが勝の娘奈阿ではないかと思われます。

千にとっては初孫で、大変可愛がったと言われています。



右に控えているのはおそらく侍女の墓所か(永寿院と究竟院)


▽関連記事▽



天秀尼=「奈阿姫」の初出は、『千姫 物語と史蹟を訪ねて』(松本幸子、成美堂出版、1982)ではないかと。こちらでは生母も「絲」という名前をもらっており、「奈阿」も創作であろうことが推測されます。ちなみに「千代」は『日本女性人名事典』に載っているそうです。それ以上の出典は未だ不明。


posted at 12:32:07


@katzchen_blau21 池田奈阿は複数の池田家史料に見えるので史実だと思います。千が可愛がった孫娘だったとのことで、はじめはこの奈阿と混同したのでは?と考えていました。ひょっとしたら件の小説もこの孫娘からなまえをとったかもしれませんね。


posted at 18:48:04




天秀尼の本名について考える http://ameblo.jp/chachahime-blog/entry-10861025031.html

「江の娘 千姫」展 http://ameblo.jp/chachahime-blog/archive-201110.html
スポンサーサイト



Comment

1. はじめまして。

初めまして。私はプライベートで石田三成公の三女”辰姫”を一人で調査・考察・研究している”辰姫の家臣”と申します。
一人の姫君にスポットを当て、調査・研究している方は自分以外にいないのか・・・なんて思っていましたが、偶然、貴女のブログを見つけ、共感を抱き、コメントさせていただきました。
姫君の調査は武将(男性)と比較し、史料が乏しい傾向がありますが、誰かが研究し、伝えていかないと、姫君の生涯・足跡・伝承は風化してしまいますよね・・・。
私は”辰姫”ですが、お互い、姫君の生涯の真相を導き、正しく伝承していけるといいですね。
では、また(^O^)/

2015.02.23 | 辰姫の家臣[URL] | Edit

    
プロフィール

紀伊

Author:紀伊
茶々姫(浅井長政の娘、豊臣秀頼の母)を中心に、侍女、ご先祖の浅井家女性(祖母井口阿古など)、茶々の侍女やその子孫、養女羽柴完子とその子孫を追いかけています。
ちょこっとものを書かせていただいたり、お話しさせていただくことも。





月別アーカイブ

フリーエリア

メモ「赤石いとこ」名義で記事を書かせていただきました。

悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ) 悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ)(2009/06/06)
…改めて石田三成と茶々姫の“不義”を否定する記事を書かせていただきました。


メモ 参考資料としてご紹介いただきました。

めのとめのと
…茶々の乳母大蔵卿局を主人公描く歴史小説。茶々の祖母阿古の活躍も見どころ。
千姫 おんなの城 (PHP文芸文庫)千姫 おんなの城
…千の生涯を描いた作品。千が見た茶々をはじめとする人々の生き様、敗者が着せられた悪名が描かれる。


検索フォーム



ブロとも申請フォーム

QRコード
QR