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茶々姫をたどる汐路にて

茶々姫研究日記(こちらが現行版になります)

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本妙寺蔵豊臣秀頼筆豊公神号

 
『加藤清正と本妙寺の至宝展』より

紙本墨書・掛幅装 慶長五年(一六〇〇)

豊臣秀吉の子、秀頼(一五九三-一六一五)が書き記した「豊国大明神」(秀吉のこと)の神号。「秀頼八才」の自著から慶長五年(一六〇〇)に記されたものとわかる。『肥後国誌』によれば、秀頼没後、加藤清正は肥後領内立田山に「豊国大名神宮」を造立しており、この神号はその際に秀頼から賜ったものの可能性が高い。清正と豊臣家の関係をうかがわせる貴重な遺品である。熊本の「豊国大名神宮」は元和元年(一六一五)の豊臣家滅亡の後に廃されたと伝わっており、それに伴ってこの神号は本妙寺に入ったと推察される。
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Comment

1. 豊臣秀頼公

先日、玉造稲荷神社に行きまして時間の関係で夜に参拝することになってしまったのですが、秀頼公の銅像の後ろに陶板カラーで東京藝術大学所蔵の秀頼公の肖像画が描かれてあり、秀頼公の肖像画はいつも幼少期のものばかりだったのですっきりした気分でした。秀頼公の銅像を作るにあたり宮内庁のご意見もお聞きしたというような説明書きがあり、さすがに豊臣家は摂関家だなと改めて思いました。

2013.10.02 | 田中[URL] | Edit

2. 石清水八幡宮

赤石様

先日、京都に行き文化財特別公開を行っていたので石清水八幡宮を見学しました。本殿のまわりの部分を見学して、どこかに豊臣家の痕跡はないかと見ていたところ、57桐の家紋を本殿上部に発見しました。信長公が寄進した樋と左甚五郎の彫刻を係りの方は案内してましたが、本殿上部に菊紋、三つ巴、神主家の紋である橘紋と57桐がありました。文化財公開の際でなければわからない場所ですので普段は見ることができないですが、秀頼公の思いを感じられるものでした。慈受院は雨が降ってきたので待機していたら時間がなくなってしまい、見学できませんでした。

2013.11.07 | 田中[URL] | Edit

    
プロフィール

紀伊

Author:紀伊
茶々姫(浅井長政の娘、豊臣秀頼の母)を中心に、侍女、ご先祖の浅井家女性(祖母井口阿古など)、茶々の侍女やその子孫、養女羽柴完子とその子孫を追いかけています。
ちょこっとものを書かせていただいたり、お話しさせていただくことも。





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メモ「赤石いとこ」名義で記事を書かせていただきました。

悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ) 悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ)(2009/06/06)
…改めて石田三成と茶々姫の“不義”を否定する記事を書かせていただきました。


メモ 参考資料としてご紹介いただきました。

めのとめのと
…茶々の乳母大蔵卿局を主人公描く歴史小説。茶々の祖母阿古の活躍も見どころ。
千姫 おんなの城 (PHP文芸文庫)千姫 おんなの城
…千の生涯を描いた作品。千が見た茶々をはじめとする人々の生き様、敗者が着せられた悪名が描かれる。


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