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茶々姫をたどる汐路にて

茶々姫研究日記(こちらが現行版になります)

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『史伝 明石掃部』

 
史伝 明石掃部 ー最後のキリシタン武将ー史伝 明石掃部 ー最後のキリシタン武将ー
小川 博毅

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一読しました。
もちろん目的は娘情報ですが…(´∀`;)

*明石家

明石飛騨守=宇喜多直家異母妹(洗礼名モニカ)

長女:岡越前守貞綱妻
次女:伊賀与三郎久家妻
三女:つま(沼元新右衛門家久妻)
長男:明石掃部(全登)
四女:楢村監物妻

明石掃部
妻:宇喜多直家娘(秀家の姉、母は円融院。関ヶ原合戦の少し後(慶長五年十月以降)に妊娠中病にかかり、出産後没/『続日本殉教録』)

長男:小三郎
長女:カタリナ(「カタリイナ」「カテリーナ」。岡平内妻。平内は掃部長姉の子)
次男:パウロ内記
次女:レジイナ
三男:ヨゼフ(慶長四、五年生。大坂の陣で討死)

三好直政妻はカタリナでなくレジイナでいいようです。

*大坂落城時、掃部母モニカと長女カタリナは掃部の家来に輿に乗せられて本丸に避難(『続日本殉教録』)
*レジイナ=女王の意。「思慮深さと堂々とした心にあふれ、尊敬を払われるに適わしい人柄」、父掃部のお気に入りだった。
落城に際し城を出るとき、敵兵に捕えられ乱暴されそうになったところを逆に咎め立て、家康に面会を求める。家康はレジイナを気に入り、レジイナは側室の「オカモ」(亀か)に預けられた。その後三か月京都にとどめ置かれた。家康が駿河に帰る際明石家について尋ねられたのち、着物二枚といくらかの金子を渡され解放された。(「一六一五、一六年度日本年報」、『報告集Ⅱ-2』)
*直政には二人の子があり、一人は政高、もう一人は女子(細川家家臣林外記妻)であった。

*その他、気になった点について*
秀吉の妻妾の中で、秀吉の死後出家した人について寧、龍、円融院の三人だけ、と書かれていますが、名護屋時代の側室名護屋氏の娘、喜連川氏の娘月桂院もそのように伝えられています。
あと、個人的に茶々姫の出家の有無に関してはまだ結論が出ていませんし…

後はやっぱり水原岩太郎旧蔵文書が興味深かったです。
少なくとも西軍である掃部の周囲では関ヶ原合戦前後は秀頼vs家康というとらえ方だったのですね。

とりあえず確認検証していませんが、気になったところを走り書きしました。
やっぱり三好家の過去帳が確認したいなあ。少なくとも、レジイナのその後のヒントになるだろうし…


一応、今までにレジイナについて書いたところを置いておきます。

「『十六・七世紀イエズス会日本報告書』」(20110617)
「浅井鶴千代~三好直政の謎」(20110622)
「三好家(浅井明政~三好政盛)一族まとめ」(20111108)
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プロフィール

紀伊

Author:紀伊
茶々姫(浅井長政の娘、豊臣秀頼の母)を中心に、侍女、ご先祖の浅井家女性(祖母井口阿古など)、茶々の侍女やその子孫、養女羽柴完子とその子孫を追いかけています。
ちょこっとものを書かせていただいたり、お話しさせていただくことも。





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メモ「赤石いとこ」名義で記事を書かせていただきました。

悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ) 悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ)(2009/06/06)
…改めて石田三成と茶々姫の“不義”を否定する記事を書かせていただきました。


メモ 参考資料としてご紹介いただきました。

めのとめのと
…茶々の乳母大蔵卿局を主人公描く歴史小説。茶々の祖母阿古の活躍も見どころ。
千姫 おんなの城 (PHP文芸文庫)千姫 おんなの城
…千の生涯を描いた作品。千が見た茶々をはじめとする人々の生き様、敗者が着せられた悪名が描かれる。


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