Posted at 2012.11.28 Category : ∟旧跡だより
先日、完子の孫姫、八代の墓所へお参りしてきました。

「称専院殿心誉誓空大姉尊儀 延宝七巳未年暦 四月十三日」
境内には「称専院殿」と刻まれた八代寄進の燈籠も。

傍らには侍女の墓と考えられている六基の石仏(女性のものと思われる戒名と没日が刻まれていますが、はっきり読めるものから全く消えてしまっているものまで現存具合はそれぞれ)のほか、「法雲院」と「光心院」という二人の墓所が手厚く供養されていました。
特に法雲院(元禄五年九月十二日没)の墓は他と違い、身分の高さを感じさせるものでした。
戒名も他二人とすこしちがっていたので、本多忠常に嫁いだ娘の豊(初め犬。婚礼時に改名)かな?と予想していますがまだ確認できていません。
初め、「芳雲院」こと八代の姉、寵の墓所かと疑ったのですが、没年が八代より遅いんですよね。

「称専院殿心誉誓空大姉尊儀 延宝七巳未年暦 四月十三日」
境内には「称専院殿」と刻まれた八代寄進の燈籠も。

傍らには侍女の墓と考えられている六基の石仏(女性のものと思われる戒名と没日が刻まれていますが、はっきり読めるものから全く消えてしまっているものまで現存具合はそれぞれ)のほか、「法雲院」と「光心院」という二人の墓所が手厚く供養されていました。
特に法雲院(元禄五年九月十二日没)の墓は他と違い、身分の高さを感じさせるものでした。
戒名も他二人とすこしちがっていたので、本多忠常に嫁いだ娘の豊(初め犬。婚礼時に改名)かな?と予想していますがまだ確認できていません。
初め、「芳雲院」こと八代の姉、寵の墓所かと疑ったのですが、没年が八代より遅いんですよね。
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