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茶々姫をたどる汐路にて

茶々姫研究日記(こちらが現行版になります)

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天秀尼「御局」台月院と天秀尼乳母三宅善兵衛の妻

 
『のぼうの城』映画化に伴い、作中に登場する甲斐姫の本が出ています。

のぼうの姫―秀吉の妻となった甲斐姫の実像―のぼうの姫―秀吉の妻となった甲斐姫の実像―
三池純正

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天秀尼の侍女(「御局」)について、『東鑑』という史料に、「乳母である三宅善兵衛の妻は夫が戦死したため、大坂落城後は主家である小出家が引き取った」という記述があるそうです。

『新東鑑』は江戸中期に編まれた家康の伝記だそうです。

ここから、この乳母は天秀尼とともに東慶寺に入ることはできなかったはずとされ、台月院はこの女性ではないとの結論を出されています。

また宝篋印塔という墓の形式や「院殿」号は、三宅善兵衛の妻の身分にふさわしくないのではないか、とも指摘されていました。
そういわれると、という感じもします。


ところで、陽岳寺というお寺のHPでこんな史料を見つけました。

一、年九ツニ罷成候女子おち女共ニ四人加藤左馬殿家中之船
尓乗参候を御改候ヘハ秀頼之内三宅善兵衛と申ものの子ニ
て候と申ヲ左馬殿内細次郎兵衛と申者預り度候由申ニ付手形
を取御預候由得其意存候事

(出典: http://home.att.ne.jp/wind/gakusan/suigun/keizu.html)

九歳の女児とその乳母、女中たち四人が、加藤(嘉明)家の舟に出頭してきた?ので改めたところ、
この女児は秀頼の家臣、三宅善兵衛というものの娘だというので…

三宅善兵衛は、天秀尼の乳母の夫です。
つまり、善兵衛の娘は天秀尼の乳姉ということになります。

『本向系図』という史料が出典のようで、原史料と思われるものは、慶長二十年五月二十一日付で土井利勝が向井忠勝に宛てて書いた書状のようです。

『駿府記』によると、天秀尼が捕らえられたのは五月十二日のことで、また彼女を七歳と記録しています。

この話を読んだ時、天秀尼の兄国松が捕まったときのエピソードを思い出しました。乳母がとっさに、自分と夫の子どもであると言った話です。なので、始め私はこの「女児」=天秀尼…?と疑いました。

なお、大坂落城の際の天秀尼については、『駿府記』では五月十二日の時点で京極忠高が探し出し捕らえた(状況はこれとは違うと思いますが、史料に準じます)とあり、『聞書雑和集』では千とともに城を脱出したと伝えられているとあります。これどちらにしても、この「女児」はやはり天秀尼ではなく、天秀尼の乳姉本人の話ということになるでしょうか。

さらに言えば、「台月院」の墓が善兵衛妻のものであると明記しているのもこの『聞書雑和集』だったりします。そのうえで、三宅善兵衛夫妻がそろって大坂落城後小出家へ預けられたという話も載っていたり…

とりあえず、三宅善兵衛が大坂落城時に仕えていたのは小出吉英ではなく秀頼だったというのが正しそうですが、『新東鑑』では善兵衛は大坂の陣で戦死、『聞書雑和集』では生存して天秀尼乳母とともに小出家へ預かりの身となった…とどちらが正しいのか判断がつきません。

だからといって、善兵衛妻がその後天秀尼のもとへ行ったということがありえないかと言われれば、是か非か断言することはまだできません。
天秀尼は大坂落城時七歳(満5~6歳)であり、千の養女となった彼女に、馴染みの乳母が召されたということがあったかもしれません。なかったかもしれません。

『のぼうの姫』での三池氏の指摘もまた、そうだったかもしれないと思わせるものがありましたが、やはり断言するには材料がまだまだ足りません。

今回は、私自身何も結論を出せていないので、内容的にも文章もすっきりしないままですが天秀尼にまつわる史料をふたつ知ることができたということで…
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Comment

1. 無題

紀伊@赤石様

つい先日も鎌倉に行きながら、鎌倉から北鎌倉に向かう山越えから手前で引き返しましたが、東慶寺さんも台月院とはどなたか把握していないということでしょうか。ただ天秀尼様の墓域はそうそうたる方達の墓域なので、そこにお墓があり院号までつくのはそれなりの方だと思えますが。

http://www.tokeiji.com/history/tenshu-ni/

2012.10.22 | 田中[URL] | Edit

2. 東慶寺

紀伊@赤石様

久しぶりに東慶寺に伺いましたが、永井路子氏が天秀尼という本を書かれていましたので、思わず軽く読んでしまいました。東慶寺は相模の寒梅ではないですが、寒い時期が東慶寺さんらしいのかなと勝手に思っています。

http://kamakura-info.jp/topics/5601

2012.12.16 | 田中[URL] | Edit

3. Re:無題

>田中さん

過去帳などに素性が残っていない限り、把握されていないのでしょうね。

2012.12.18 | 紀伊@赤石いとこ[URL] | Edit

4. Re:東慶寺

>田中さん

情報ありがとうございます。
正直、永井氏は茶々姫嫌いのイメージが強すぎるので、読むのは怖いです。
いつか気持ちが弱っていない時に機会があれば。

2012.12.18 | 紀伊@赤石いとこ[URL] | Edit

5. 松ガ岡宝蔵

紀伊@赤石様

先日東慶寺に伺い、松ガ岡宝蔵という東慶寺に伝わる文化財を展示してある場所があり見学しまして、天秀尼が東慶寺に駆け込んできた方に与えたという仏像や父秀頼公の菩提を弔うために造らせたという銅造雲版等がありました。銅造雲版は秀頼公の法名しかなかったので、徳川氏の影響を寺にいても考慮せざるを得ない状況だったのかなと思いました。

2013.02.14 | 田中[URL] | Edit

6. Re:松ガ岡宝蔵

>田中さま

私もまたお参りに行きたいと思っています。
雲板については、私は逆に徳川の総領娘である千の娘として住持となりながら、はっきりと秀頼とわかる法名を明記したものを残された天秀尼の強さを感じます。
死後、供養のために法名で書くのは一般的なことのはずなので。

2013.02.15 | 紀伊@赤石いとこ[URL] | Edit

7. Re:松ガ岡宝蔵

紀伊@赤石様

銅造雲版はガラスケースの中にあるのではなく壁に掛けてありましたので近くから見学でき、約400年前の天秀尼や秀頼公をそんなに昔の方々とは思えないものでした。

2013.02.16 | 田中[URL] | Edit

    
プロフィール

紀伊

Author:紀伊
茶々姫(浅井長政の娘、豊臣秀頼の母)を中心に、侍女、ご先祖の浅井家女性(祖母井口阿古など)、茶々の侍女やその子孫、養女羽柴完子とその子孫を追いかけています。
ちょこっとものを書かせていただいたり、お話しさせていただくことも。





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メモ「赤石いとこ」名義で記事を書かせていただきました。

悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ) 悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ)(2009/06/06)
…改めて石田三成と茶々姫の“不義”を否定する記事を書かせていただきました。


メモ 参考資料としてご紹介いただきました。

めのとめのと
…茶々の乳母大蔵卿局を主人公描く歴史小説。茶々の祖母阿古の活躍も見どころ。
千姫 おんなの城 (PHP文芸文庫)千姫 おんなの城
…千の生涯を描いた作品。千が見た茶々をはじめとする人々の生き様、敗者が着せられた悪名が描かれる。


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