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茶々姫をたどる汐路にて

茶々姫研究日記(こちらが現行版になります)

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徳川家定上臈歌橋

 
さらに話はそれますが、先日江の宮殿が発見された祐天寺にお参りしてきました。

茶々姫をたどる汐路にて

江の宮殿自体はもともと宝台院にあったものが祐天寺に移されたということで、これといって江にゆかりのあるものがあるわけではありません。
ただ、徳川に深いゆかりのある寺院なので、徳川綱吉と大典侍局の養女、竹姫(浄岸院)が寄進したという阿弥陀堂や仁王門、徳川家宣御台所近衛煕子(天英院)が寄進した梵鐘などが見どころでしょうか。

墓地には大正天皇のご生母のお墓もあります。
また、徳川家定の乳母とされる歌橋の墓所にお参りしたので、今回は少しそのお話を。

茶々姫をたどる汐路にて
(悪天候・逆光により見づらい画像となり申し訳ありません)

(表面)
「法好院殿蓮誉寿光操心法尼」

(側面)
「文化四年三月二十一日生
 明治十年九月九日逝」

「藤波正二位行神祇大副
 大中臣朝臣寛忠卿息女
 大城之大上臈歌橋」

祐天寺で家定の乳母歌橋のお墓を見つけた。wikiで生没年不詳になってるけど、銘によると文化四年三月二十一日生まれで、明治十年九月九日没。公卿藤波寛忠の息女らしい。法好院殿蓮誉寿光操心法尼。 http://t.co/2ys3mgxm

posted at 09:55:37

同墓地にあと二人埋葬されているらしい。明治十六年八月二十八日に亡くなっている。この人は家斉息女に仕えていたらしい。同じく藤波寛忠の息女とある。藤波と号して、諱は岩倉藤子といったらしい…。岩倉家へ嫁いだ?心月院殿澄誉清林祐岩法尼。

posted at 10:00:27

もう一人は、清心院殿円誉皎月智鏡法尼。この人は大正四年十二月八日に亡くなったことしか書かれていない。…が、藤波家の所縁なのだろうなあということがなんとなく察せられる。

posted at 10:03:32


(※例によって、誤字、変換ミスなど修正してあります)
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Comment

1. 豪徳寺

紀伊@赤石様

先日、豪徳寺に訪れました。よく通過はしていましたが初めて見学しようと思い寄ってみました。大坂落城の際に、秀頼公一行がいらっしゃった倉に最後の一撃が加えられていますが、それが井伊直孝隊によるものと伝えられ、その直孝の法名から豪徳寺と名付けられたようです。まあ、何とも言いようがありません。書くところが無かったため関係無い所に書いてますが、申し訳ありません。

2013.03.13 | 田中[URL] | Edit

2. Re:豪徳寺

>田中さん

豪徳寺のお話面白く拝読しました。
豊臣派の我々には確かに何とも言いようのない気持ちになりますね。

2013.07.03 | 紀伊@赤石いとこ[URL] | Edit

    
プロフィール

紀伊

Author:紀伊
茶々姫(浅井長政の娘、豊臣秀頼の母)を中心に、侍女、ご先祖の浅井家女性(祖母井口阿古など)、茶々の侍女やその子孫、養女羽柴完子とその子孫を追いかけています。
ちょこっとものを書かせていただいたり、お話しさせていただくことも。





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メモ「赤石いとこ」名義で記事を書かせていただきました。

悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ) 悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ)(2009/06/06)
…改めて石田三成と茶々姫の“不義”を否定する記事を書かせていただきました。


メモ 参考資料としてご紹介いただきました。

めのとめのと
…茶々の乳母大蔵卿局を主人公描く歴史小説。茶々の祖母阿古の活躍も見どころ。
千姫 おんなの城 (PHP文芸文庫)千姫 おんなの城
…千の生涯を描いた作品。千が見た茶々をはじめとする人々の生き様、敗者が着せられた悪名が描かれる。


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