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「江与」の号に見る江(崇源院)の存在感

福田先生が一昨年『江の生涯』で提唱された「江与」=「えど」説。
私にとってはすっかり定着しているのですが一般的(特に物語系)にはまだまだ「えよ」が根強いようです。

もうこれ以上この説について検討する要素は見つかりそうにないなと思っていたのですが、見つけました。
別件で、『徳川家嫡庶譜略』という史料の引用を見ていたところ、江の名前についてこのような記述が。

恵登姫 宮姫 達子ミチコ 徳子

この史料は古いものではなく、19世紀初めに編まれたもののようです。それまでに編まれた史料上に出てくる江の名前を該当箇所に書き連ねているものかと思われます。
「宮姫」は「みや」ではなく「ぐう」と読ませたいのではないでしょうか。

「江与」に当たると思われるところを、「恵登」と表記されています。
「恵登」は「えと(ど)」としか読めません。そして、「えよ」にあたる表記がないことから、19世紀初めの時点では「江与」は「えと(ど)」と読まれていたのではないでしょうか。

この「江与」という名前について、「江戸に与えられた」という意味であるという説を私は長年信じてきました。
「江与」の「江」が「江戸」の「江」であったことから、当たらずしも遠からず、といった感じですが、趣が随分違います。
今は、「江与」という号をみて、私は江の存在の大きさを痛感するばかりです。
江戸城が将軍家の本拠となった最初の御台所だからという点もあるのですが、その後どの妻妾たちの中に「北の丸」や「西の丸」など江戸城の一角を号した女性はいても、「江戸」そのものを自らの称号とした女性は江の他にはいません。
大河ドラマ的にはその辺りは不発に終わったような気がしますが、やはり江はまぎれもなく徳川幕府のゴッドマザーだったのだなあ…と史料を見ながらしみじみ思いを馳せておりました。


ちなみに、この史料には珍しく江の生年月が書かれてあるのですが、「元亀三年九月 一に八月とす」となっています。
通説では天正元年=元亀四年で、一年ずれている上に、他の史料との兼ね合いから生年はやはり天正元年=元亀四年でいいと私は思うのですが、月が明記されているのはちょっと気になっています。

しかし九月かもしくは八月といっても微妙なところで、九月ならば江は小谷城の生まれでありえないですが、市や姉妹が織田方に下ったのが『総見記』では八月二十八日、『武功夜話』では八月二十六日となっており、そのあたりのことではなかったかと思われます。ただ、姉妹や市が既に小谷城にはおらずどこぞに避難していた(姉妹は四月の時点ですでに実宰院に避難していたのではと私は考えているのですが…)可能性が考えられますので、本当に微妙な時期です。

とりあえず、後年の編纂史料ですが、江の生まれを九月(もしくは八月)としている史料がありましたよ~ということだけ、ご参考までに。
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| ∟史料関係 | 00:50 | comments:12 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

1. 与と子

紀伊様
『徳川家嫡庶譜略』の編者瀧村小太郎(鶴雄)は、天保十年生まれ、安政二年(1855年)に初出仕、文久元年(1861年)以降表・奥右筆を歴任した人物のようです。編纂を始めたのは、早くても右筆になってからでしょうから、同書の成立は、幕末もしくは明治初年辺りと思われます。「恵登姫」というのは、やはり「江与」の読みを考えての事なんでしょうね。
「江戸」由来説が勿論最有力説だと思いますが、「江与」の名について、最近考えていた一つの可能性が有ります。この名称が記録に現れるのが、比較的遅いことから、元々は、「江子」の書写間違いだったのでは無いか、という事です。その間違いが、「於」や「御方」が附され、「与」が「與」へ置き換えられる中で、既成事実となっていったという、あくまでも可能性ですが、写本の類を見るにつけ、起こり得る事だと思います。
そもそも、「江戸に与える」という話の出所は、何処なのか?というのも、ずっと気になりながら、未だ解決していない疑問です(笑)。

それから前回の話題、大野弥十郎屋敷が在ったという「雉橋ノ御倉」ですが、「寛文図」や「元禄図」などを見るに、雉子橋の北、現在は、千代田区役所や千代田区立図書館などが入る総合庁舎の立つ辺りに在ったようです。

| 武江 | 2012/06/04 01:54 | URI | ≫ EDIT

2. 雉橋ノ御倉

紀伊@赤石様 武江様

先日九段に用があり、たまたま江戸城周辺の案内板があったので、雉橋ノ御倉とはどのあたりなのかと現在の地図を見てもわかるはずも無かったのですが、武江様によりわかりました。ありがとうございます。

| 田中 | 2012/06/04 21:36 | URI | ≫ EDIT

3. 無題

紀伊様、田中様
正確に言えば、千代田区役所のビルよりも二棟程雉子橋寄り、国の合同庁舎辺りでしょうか。
ここから移したのか、江戸後期には、北の丸の国立近代美術館や皇宮警察の住宅が在る敷地が、お蔵用地になりますが、それ以前、寛文頃には、この北の丸の地が中の丸様晩年の屋敷地となっていたようです。

| 武江 | 2012/06/06 00:45 | URI | ≫ EDIT

4. 摂関家

このブログ以外でのコメントですが、豊臣家は摂関家であり二条家、九条家、鷹司家等の名門公家と同等なので、摂関家でありながら京都から離れた大和郡山に転封できないと頑なに拒むのも理解できなくもないです。

| 田中 | 2012/06/07 22:07 | URI | ≫ EDIT

5. 摂関家2

紀伊@赤石様

義演は摂関家である二条家出身であり、豊臣家も摂関家ですので、秀吉公はともかくも淀殿は義演を親戚のような感覚で重用したのかなと何となく思いました。秀吉公は近衛龍山の猶子であり、豊臣完子の九条家といい、二条家出身の義演は醍醐寺内に豊国神社を祀ったりと摂関家内では豊臣家は目の上のたんこぶのようには思われていたかったんだなと思いました。

| 田中 | 2012/06/09 23:07 | URI | ≫ EDIT

6. 雉橋ノ御倉

紀伊@赤石様
先日用があり雉橋に立ち寄ったのですが、江戸城清水門近くで堀の側であり、雉橋という橋もあり、雉橋ノ御倉は堀に囲まれたような場所にありまして、蚊がいたかどうかわからないですが江戸城は木が多いのでセミもうるさかったですし、大坂落城から静かな日々を過ごしたというのではなく、なかなか大変な日々だったのかなと思いました。

| 田中 | 2012/08/08 21:49 | URI | ≫ EDIT

7. 紀伊姫さま、お誕生日おめでとうございます。

大津城講和の日ですよね。しっかり覚えておりまするぞ。

最近更新がないので、こちらの欄にて失礼致します。

| 渡邊markⅡ | 2012/09/14 21:41 | URI | ≫ EDIT

8. お元気ですか?

昨年の大河ドラマでたくさん更新をなさってお疲れなのか、最近の更新がなく寂しく思っております。

お仕事が忙しい、暑くて休みの日はご自宅に籠っておられる(笑)などいろいろご事情がおありと拝察しますが、ご無理のない範囲で、よろしくお願いいたします。

| オヤジ | 2012/09/17 22:37 | URI | ≫ EDIT

9. Re:与と子

>武江さん

私事でお返事が大変遅くなり、申し訳ありません。
まだネットが繋がっていないため、スマホからつたない返信失礼します。

「江子」→「江与」説、なるほどと思い拝読しました。
「恵登姫」を見てから、「江戸」説に確信めいたものをかんじておりますが、「江子」説もおもしろいですね。

大野弥十郎屋敷についても、詳細な地理情報をありがとうございます。
来月からまた東京に行く用事があるので、ぜひ立ち寄ってみたいと思っています。

| 紀伊@赤石いとこ | 2012/09/24 23:25 | URI | ≫ EDIT

10. Re:摂関家2

>田中さん

田中さんも何度もコメントをいただいていたのに、お返事が滞り申し訳ありません。

転職、転居など私事でご迷惑をお掛けしました。
現在もネットが繋がっていないため、スマホからのつたない返信失礼します。

茶々が義演を親戚だと認識するとすれば、さすがに完子が嫁いだあとだとは思いますが、義演の日記からは、秀頼の成長をあたたかく見る姿がわたしには感じられます。

豊臣と近衛の関係は、養父子関係よりももっと複雑なものはありますが、少なくとも大きなパトロンであり、ただ単なる厄介者というのとは違うとわたしもおもいます。

| 紀伊@赤石いとこ | 2012/09/24 23:33 | URI | ≫ EDIT

11. Re:紀伊姫さま、お誕生日おめでとうございます。

>渡邊markⅡさん


ご無沙汰しております。
わざわざわたしの誕生日にお祝いありがとうございます。

更新については重複しますが、春から転職、転居など私事でバタバタしており、未だにネットが繋がっていないため更新できておりません。申し訳ないです。

しかし、図書館通いは続けていますし、今月始めに小谷に行ったり相変わらずです( ̄▽ ̄;)

これからもマイペースで一生続けていくので、気が向いたときにでも覗いてみてくださいませ。

| 紀伊@赤石いとこ | 2012/09/24 23:44 | URI | ≫ EDIT

12. Re:お元気ですか?

>オヤジさん

お気遣いありがとうございます。
春から転職、転居など私事でバタバタしており、未だにネットが繋がっていないこともあり、これもスマホからお返事させていただいております。

去年ががんばりすぎていただけで、実は昔からこんな感じでマイペースに続けさせていただいております。

更新はしておりませんが、図書館で史料を集めたり、小谷や厳島神社に茶々姫のよすがを求めに行ったりと相変わらずの日々です。

ご期待には添えないかもしれませんが、これからもマイペースに一生続けていくので、気が向いたときにでも覗いてみてくださいませ。

| 紀伊@赤石いとこ | 2012/09/24 23:48 | URI | ≫ EDIT















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