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秀頼の妾「愛」と次女「萬」

~秀頼妾「愛」を追って~

ふと思い立って秀頼のwikiを見ていたら、妻の欄に「安威の方(安威忠衛門の娘)」という記載が。たしかに「愛」(「お愛の方」)という人がいますけれども、これが妾であったという史料はまだ見たことがありません。「方」とつくからにはそれなりの位の侍女であることは間違いないと思いますが。

posted at 19:04:00


愛(「お愛の方」)について調べていたらこんなサイトが。ここでは愛は青木半入の娘と…。史料のない伝承なのかな。/「この坂の名称は豊臣秀頼の側室「お愛」の父・青木半入の居宅があった為に「愛殿坂」がなまったと言う考えもあるとされる。」http://t.co/6QgH9O85

posted at 12:56:44


出典は『摂津名所図会大成』らしいです。こっちでは「安威殿坂」とあり、「安威」と「愛」双方がこの坂の由来として伝わっているということが紹介されています。「安威」は安威摂津守、もしくは安威忠衛門の娘とあり、「愛」は青木半入の娘とありました。 http://t.co/01LYleva

posted at 13:03:56



上のツイートで取り上げた出典の「安威殿坂」について書かれた部分をチェックしました。

豊臣家の近臣、安威摂津守の邸宅があった場所で、この坂の北側に秀頼の妾「おあい殿」という女性が住んでいたことから「安威殿坂」と名付けられたと伝わるそうです。

また、「阿愛どの」は秀頼との間に「萬姫君」という姫がいたとも書かれており、その顛末がざっと書かれています。

曰く、大坂の陣(「元和の変」)の際、「阿愛どの」と「萬姫君」は「新宮左馬之助」という者の働きで城内より助け出され、「後藤荘三郎」の預かりとなり、その後「京都東山松嵜」の上人の預かりとなり、母娘共に尼となった…
曰く、母娘とも秀頼と死をともにした…
という二つの説が書かれています。

ざっと「京都東山松嵜」について調べてみると、かつて東山に「松嵜山妙泉山」という法華宗のお寺があり、そこが「松嵜」と言われたらしいそうです。現在は泉涌寺に統合されているとのことです。

ただ、同説には母娘共に尼になったとありますが、「愛」は大坂の陣で秀頼に殉死した女性として僅かな史料に登場しています。

『慶元記』:「愛殿」
『大坂御陣覚書』:「お愛の御方」
『慶長見聞書』:「お愛の御方」

愛の父親候補として『摂津名所図会大成』に名前が挙がっている「安威摂津守」をどこかで見たことがあるなあ…と思ったら、福田千鶴先生の『淀殿』でした。
淀城が完成するまで茶々が滞在したという茨木城の当時の城主が安威摂津守こと安威五左衛門でした。こちらでは、「秀吉の側近かつ右筆として信頼・重用されていた」、「秀頼の死後に安威は秀頼に仕えている」と説明されてありました。

はじめ、「秀頼の娘」は天秀尼との混同か?と疑いましたが、「萬」という具体的な名前は初見だったのでちょっと驚いています。
少なくとも、天秀尼は同母と思われる兄国松のみ供養しているので、妹の存在を知らなかったのでは、と考えていたのですが、よく考えれば東慶寺の過去帳は一部のみ抜粋されている史料を見たことがあるだけなので、本当に天秀尼が萬を知らなかったかどうかは今のところ何とも断言できないです。

少なくとも幕府方の史料に萬の存在が全く見えないということは、千の手元で育てられていた訳ではないのかな?と思い、やはり千の手元で育てられていたであろう天秀尼こそ間違いなく嫡女(=姉)なのだろうな、と考えている次第です。


今後もこの母娘について追いかけて行きたいと思っていますが、なにぶん史料(資料)が少なく、今回はこれ以上追い掛けることはできませんでした。何か他に情報があればご助力いただけると助かります。
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COMMENT

1. 萬姫の弟

実は弟がいたのです。e-bookランドから販売されている「ザビエルコード」P160で描かれている侍女が安威の方、そばにいる幼児が萬姫の弟である津久丸です。津久丸は後に豊後岡藩(現:大分県竹田市)三代藩主「中川久清」となりました。中川家の硬式記録にも久清公の実の母は安威の方(松風院 初)と書かれています。この岡藩には安威一族から何人も住みついており、今もその末裔が存在します。

| INARI | 2013/05/22 14:23 | URI | ≫ EDIT

2. Re:萬姫の弟

>INARIさん

初めましてでしょうか。コメントありがとうございます。
そんな本が出版されていたのですね。
そしてそのような話があったことも驚きです。

「秀頼の子」とされる人たちも三男二女となり、検討し甲斐があります。
ひっそりであってももし血筋が続いていたら私としてもうれしい限りですし…

| 紀伊@赤石いとこ | 2013/07/03 01:26 | URI | ≫ EDIT















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