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秀頼許嫁は露月院ではなく八百

(2012/05/16記事作成、2016/06/06修正)

、秀頼と秀次の息女「姫君様」が婚約した記事は、『駒井日記』文禄二年十月一日条で登場します。二十九日条にも「姫君様」が病を得たと記録しています。
駒井重勝は「姫君様」に特に注記をつけていないところから、ここに見える「姫君様」は同一人物であったことが推測されます。
一方、この時期に病を得た秀次息女について記したもう一つの史料が『兼見卿記』で、この息女の名前が「八百」であることがこの病関連記事から分かります。
秀次息女八百は十一月二十一日ごろから体調を崩し、十二月十二日に至るまで各所に病平癒のための祈祷が申しつけられていたようです。

八百姫との贈答記事で、「若政所」が登場することから、八百が正妻池田氏の息女であったいう説もあります。
少なくとも、若政所のそばに置かれていたことは確かであり、実子はもしくは養女扱いを受けていたことが推測されます。
露月院をはじめ、年長の姉妹はいたようですが、彼女たちとは別格で正室腹の嫡女もしくはそれに準じる扱いを受けていたことで、ほかの子女とは一線を画す存在であったことは確かです。

文禄二年十月一日時点で秀吉が秀頼の許嫁として指名した(『駒井日記』)秀次の娘は、通説では長女露月院とされていますが、これに史料的根拠は見当たりません。
むしろ、その立場に相応しいのは嫡女である八百です。
これより少し前(閏九月六日付で茶々より秀次へ出された書状には上方にいる秀次の娘が息災であることを伝える内容があります。『兼見卿記』を見ると、病がちであった八百もまた、このころ体調が安定していた様子が見て取れます。

なお、秀頼の許嫁について、この『駒井日記』以外の史料に記述は見られません。秀次の子女が刑死したときすら、そのことを書き留めているものがないのです。
それは、秀頼の許嫁がそれまでにすでに亡くなっており、処刑された子女の中にいなかったからではないでしょうか。
文禄三年五月二十六日、八百は祈祷の甲斐もなく三歳で夭折してしまいます。

秀吉・秀頼親子との縁となっていた娘八百を失ったこともまた、秀次が失脚していく一因となったものと考えられます。



(参考)

1・「露月院」について

・『系図纂要』
「秀次――女 母中納言局阿亀方、文禄四年八月二所殺、九 感月院誓槿、一に妙泉」

・『諸系図』
「秀次――女 母中納言局、お亀方、感月院誓槿大童女、九才」
少し大きい文字
・「関白手懸衆車注文」(『豊臣秀次の研究』)
「こはま殿御子 ちうなこん□ □□」

・『新撰豊臣実録』
「先害長女…(中略)…中納言局三十三、号於亀、摂州小濱坊女、生長女是也」

・『瑞泉寺寺伝』
「露月院殿誓槿大童女」

≪文禄二年≫
九月二十八日
殿下御息女 小浜殿腹ノ姫君ノ御乳ノ母 姫君ノ御膳トテ持セ来候、各賞翫」(『時慶記』)



2・八百

≪文禄二年≫
七月七日
「先度承也、殿下御息女八百姫さま被置御殿、鎮札・守一昨日相調之、令祈念、今日以喜介益庵へ持遣之、御局へ文をもて申入了」(『兼見卿記』)

七月十一日
「明日殿下御息女八百姫、御帷二、モロウス・白スヽシ、二重・灯炉一丁調之、悉出来、明日可持参之也」(『兼見卿記』)

七月十二日
八百姫様御帷一重、モロウス・白スヽソ・灯籠、以喜介持進上之、益庵へ以折紙申遣、同御局へ文ニテ令申畢、」(『兼見卿記』)

七月十四日
殿下御息女八百姫様御樽・ハスノ飯・鯖十、三荷、青女方へ同前被持下了、相添御使也、以索麦進一盞、罷帰刻片衣カチン。袴青茶色遣之、自御局文、お返事申入畢、」(『兼見卿記』)

八月一日
④「自殿下御息女二才、八百姫様御樽五荷五種被持下了、ホカイ一、サウメン、干鯛十枚、スルメ十連、塩雁三、昆布十巴、田舎捶桶十、御使台所人也、」(『兼見卿記』)

八月十一日
関白御息女八百姫此間少御煩気也、一七日御祈祷之事御局ヨリ文、御撫物持給了、益庵折紙到来、自明日可執行之旨申入了、益庵・御局へ返事申訖、」(『兼見卿記』)

八月十二日
八百姫御祈祷初之、神前之御幣八本、新ニ調之、神供八膳、常灯二灯、宗源行法陽陰、此外祭文等読之、諸神供養、」(『兼見卿記』)

八月十五日
「行事入夜大護摩修行、左太蔵、右民部、神人各勤之、御姫御祈祷之義也、重而御撫物之事申入、即持給之訖、護摩之後焼払御撫物之義也、御帷給之、」(『兼見卿記』)

八月十六日
御姫被得御験之由承了、富少路療治之也、」(『兼見卿記』)

八月十八日
御姫御祈祷今朝結願、御祓・天度三百六十座、・天神地祇加護之鎮札・榊八本、入箱持進上之、御局へ文、益庵折紙遣之、御撫物先度重而持給之、御撫物之袋等返上之、   後刻喜介罷帰、御姫一段被得御験気之由御返事、五百疋之御折紙給之畢、御局御返事在之、」(『兼見卿記』)

九月六日
殿下御息女八百姫様ヨリ為重陽御祝儀小袖一重・ソメ小袖裏織色・袷裏織色、青女ニ御小袖・■■ソメ小袖・紅花絵色尽之袷、ヌリ裏表ヌリ也、御樽三荷三種、干鯛廿、スルメ十連、・昆布十巴、御使御小人也、民部相伴仕夕食、人足各認申付了、御使ニ片衣カチン、遣之、御局ヨリ文、御返事申訖、」(『兼見卿記』)

九月十六日
「若政所御祓・白粉廿箱、八百姫様へ御祓、御局へ文にて申入了、益庵折紙、遣御祓了、遣喜介了、とうゑいの坊取次之、御祓・白粉十箱、文にて持遣之、他出之由返事也、」(『兼見卿記』)

・閏九月六日付秀次書状に対する茶々の返信
ひめ君も御そくさいの御事にて御入候よし申候…」(「福田寺文書」)
⇒この時「ひめ君」が上方にいたらしいこと、また既に秀頼と姫君との婚約話が茶々・秀次両者に認識されていたであろうことが推測される。また、確かにこの頃病がちな八百姫は元気であった様子。

十月一日
「木下半介(吉隆)方より申越、御ひろい様と姫君様御ひとつになさせられ候ハん由、被仰出由関白様被成還御次第、其通羽筑州(前田利家)夫婦ヲ以可被仰出由也」(『駒井日記』)

十一月二十一日
殿下御息女二才、八百姫少御不例、御祈祷之義自十七日承畢、別而今日ヨリ行法三座、一座侍従勤之、神供八膳、朝ト夕ト両度備前之、御撫物御小袖入袋壇ニ置之、」(『兼見卿記』)

十一月二十三日
「御祈祷午已前、令結願、鎮札・守・太麻・天度百座、入箱マサ板ヲ以テ指之、以喜介持進上之、被得験気之由御返事、」(『兼見卿記』)

十一月二十四
「自益庵折紙到来云、昨日御祈祷目出思召也、為御札八木弐十石給之由仰也、尤忝由返事訖、」(『兼見卿記』)

十一月二十五日
八百姫猶為御祈祷於両社御千度神人十人、早々令社参了、午刻以喜介御祓進上之、御祝着之由御返事也、」(『兼見卿記』)

十一月二十六日
「夜半過ぎより 姫君様少御煩被成」(『駒井日記』)

十一月二十九日
姫君様御祈祷東寺宝厳院被仰付、政所様御座間へ被参候、其段重而一往之念不申上とて益庵御しかり被成候」(『駒井日記』)

十一月二十九日
八百姫様為御見舞以喜介申入了、同篇之由仰也、数日急度無御本復、致気遣了、富少路殿御薬調進之、切々尋遣之、不可苦之由被申也、日々給文、御祈祷無油断可勤之由、御局ヨリ承了、」(『兼見卿記』)

十二月三日
「自是向富少路、他出、帰路於門内面会、内へ被請之間罷向、殿下御息女御違例之様相尋是、一両日不御見舞之由被申訖、」(『兼見卿記』)

十二月五日
八百姫一段御験気之由、自御局文、尤目出存之由、御返事申入了、」(『兼見卿記』)

十二月六日
「御祈祷今日中執行、及晩結願、御祓明日可進上之也、」(『兼見卿記』)

十二月七日
八百姫招魂之祭結願、御祓五色、御局へ以書状喜介持進上之、被得御験気之由御返事也、」(『兼見卿記』)

十二月十二日
八百御姫大験之由御返事也、御局へ以書状申入了、」(『兼見卿記』)

≪文禄三年≫

一月十日
「自殿下御息女八百姫様御樽五種、鏡之餅御姫へ参也、鱈十、・鳥五・スルメ十連・鯛十、・昆布十把、柳五荷、文御局ヨリ、御使ヲトナ、中間、此外中間・人夫四人、各進食進飯食、御使中間へ参十疋、残五人三十疋遣之、御局へ文之御返事申訖、」(『兼見卿記』)

一月十六日
「若政所へ御祓・白粉廿箱、八百姫様へ御祓、御局へ文折紙也、白粉十箱、遣之、梅か枝台所、下女也、毎度令馳走也、弐十疋遣之、益庵へ帯二筋、遺書状折紙了、使者喜介、とうゑいの房御祓・白粉十箱遣之、」(『兼見卿記』)

五月三日
殿下御息(女)八百姫御樽五荷五種、御帷予二、青女二、・慶鶴丸二、被入御念被持下了、年中度々之御音信外聞実義不過之、尤神徳也、大慶/\/\、」(『兼見卿記』)

五月十五日
殿下御息女八百姫御不例、御祈祷之義承、自御局文給之、明日十六ヨリ可執行之由、御返事申訖、」(『兼見卿記』)

五月十六日
御姫君御祈祷初之、神供八膳、御灯、今夜大護摩、」(『兼見卿記』)

五月二十二日
「今朝御祈祷結願、御祓明日可持参也、」(『兼見卿記』)

五月二十三日
「一七ヶ日御祈祷之御祓三百六十座、一尺五寸、・鎮札一、守一、箱マサ板ヲ以テ指之、以喜介御局へ文ニテ申入了、近日御煩敷也、無油断祈念、偏被任置之由承了、」(『兼見卿記』)

五月二十六日
御姫以外御煩敷之由聞之、以喜介御見舞申畢、後刻罷帰云、大事相極之由申畢、」(『兼見卿記』)

六月十七日
「自若政所殿以御局文給之、銀子弐枚、拝領之、御姫中々不被及ぶ是非之由仰也、過分忝之由申入了、」(『兼見卿記』)
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