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茶々姫をたどる汐路にて

茶々姫研究日記(こちらが現行版になります)

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秀頼を育てた二人の女性 ~右京大夫局と宮内卿局

 
今年も旧暦命日が近づいてきました。
史料をぱらぱらとめくっていて、秀頼に殉じたとされる乳母、右京大夫局と宮内卿局について考えるところがあったので、今まで小出しにしていたものをまとめてみました。

秀頼の女房、右京大夫局と宮内卿局は大坂の陣の殉死者の記録等で混同が見られ、そこから現在両者は同一人物であったのではという説が見られます。
結論からいうと、これは明らかに誤りで両者はそれぞれ同時代に存在した秀頼に仕えた女性でした。
私見の限り、二人の存在が確認されるものを整理してみたいと思います(新たに見つけ次第追記していきたいと思います)。

①『山内家文書』

慶長九年までの年末に大蔵卿局が山内一豊(「やまうちつしま殿」)に宛てて送った礼状に、山内家から右京大夫局(「う京の大夫殿」)及び宮内卿局(「宮内卿殿」)へ小袖が贈られたことが分かります。
(二人の順序は登場順です。以降も同じ。)

②『輝資卿記』

慶長十年一月一日、慶長十二年一月一日、また慶長十六年一月十一日・十六日に日野輝資が右京大夫局(「うきやうの大夫殿」、「うきやう殿」)及び宮内卿局(「くないきやう殿」、「宮内卿殿」)に進物をした旨の記録が見えます。

③『色部文書』
慶長年間の十二月二十三日付で大蔵卿局が上杉景勝へ送った礼状の中に、景勝が右京大夫局(「う京の大夫殿」)および宮内卿局(「宮内卿殿」)へ進物した事が見える。

③豊国石灯篭之覚書(『離宮八幡宮文書』)

豊国神社に灯籠を寄進した人物の一覧に、宮内卿局(「宮内殿」)と右京大夫局(「右京大夫殿」)の名前が。
以前とり上げた『甲子夜話』にも右京大夫局(「右京大夫殿」)、宮内卿局(「宮内殿」)と見えます。
『甲子夜話』は二次史料で、出てくる名前の順が違うので出典は『離宮八幡宮文書』ではないと思われます。
「豊国神社石燈籠」


○二人の順位

『駿府記』によると二人は共に秀頼の乳母であると記載されています。
二人の順位は、慶長三年四月に行われた秀頼参内の際に同行しているのが右京大夫局(「うきやうの大夫」)であること、一次史料では常に宮内卿局に先んじて名前が挙げられていることから、右京大夫局のほうが上位だったと考えられます。

この事から、慶長十三年五月に秀頼の疱瘡治癒を謝して大神楽を営んだ「秀頼乳母」は宮内卿局であっただろうと推測します。

○二人の出自

二人とも出自は明らかではありませんが、同じく秀頼に従い参内した阿古が特別に仮親を立てずに参内を許されたという記録があることから、右京大夫局はこのときに仮親を立てて参内したことが分かります。
秀頼の乳母に選ばれる人物、特に右京大夫局は秀吉の生前に選ばれていますから、出自の確かな女性であったであろうことは間違いありません。「お伊勢参りの道中だった」説については、恥ずかしながら未だ史料を見たことがありません。ただ、「春日局が市井で家光の乳母公募の立札を見て志願した」という話と同じくらい後世の作り話くさいと思っています。乳母は養い子が成長した後も側近として支え続ける存在なので、秀吉が秀頼の乳母に出自の確かでない女性を配することは考えられません。)
想像の範囲ですが、秀頼に関白を継がせようという意志に従って選ばれたのだとすれば、武家ではなく公家に縁のある女性だったのではないか、と思っています。

『駿府記』によると宮内卿局は木村重成の母とあり、江戸初期に編まれた『慶元記』によれば、宮内卿局は木村重茲(豊臣秀次の家老)の妾であったとあります。『土屋知貞私記』では木村重成の父は木村弥市右衛門とあります。
宮内卿局について、吉川家がなぜか二人のうち上位である右京大夫局ではなく宮内卿局のみに進物を贈っていることは、彼女が吉川家に関係する、もしくは近しい人間であったことを示唆するものでしょうか。

右京大夫局は結城権佐の母という説があるそうですが、この辺りははっきりしません。

○右京大夫局

彼女は秀吉生前から秀頼に仕えており、秀吉の晩年の手紙にも登場しています。
右京大夫は秀頼に対し厳しい態度で養育に臨み、幼い秀頼が秀吉にこぼしであろう愚痴がきっかけで、右京大夫局は秀吉に罰せられそうになります。
結局その後右京大夫局が処罰されたかどうか明記されたものはありませんが、右京大夫局がその後も茶々の信頼を失うことなく秀頼の傍で最期まで仕えたということだけは確かなことですから、実際には処罰されることはなかったのではないかと思われます。

醍醐の花見(実際には上の手紙よりも二ヶ月ほど遡ります)にはやはり秀頼に従い参加し、「幾千代の春を重ねむ桜花 みゆきの君そさかへ久しき」と幼い主秀頼の末永い繁栄を願う和歌を残しています。
ちなみに、この花見に宮内卿局の名は見えません。女房名を頂く前で、正体の明らかではない女房の誰かという可能性もありますが、秀頼の乳母という立場を考えると、この時点で女房名を頂いておらず、実名で仕えていたという可能性は低いように思います。おそらくこの時点ではまだ伺候していなかったのでしょう。

○大坂の陣における二人の動向

『駿府記』によれば右京大夫局と宮内卿局の両者とも秀頼に殉じたとありますが、これは史料によってばらつきがあります。
他に二人とも殉じたとする史料は『元寛日記』(「宮内卿ノ局」、「右京大夫局」)、『慶長見聞書』(「右京」、「宮内卿」)、『大坂御陣覚書』(「宮内卿」、「右京大夫」)、『難波戦記』(「宮内卿」、「右京大夫」)、『大坂籠城記』(「宮内卿」、「右京大夫」)です。
『大坂御陣覚書』には宮内卿局を内藤長秋の母、右京大夫局を木村重成の母としており、既に混同が見られます。ここは史料価値から鑑みて、駿府記の説のほうがまだ信頼できるように思います。(『土屋知貞私記』では内藤新十郎の母は秀頼の乳母ではなく、千の乳母刑部卿局の子とあります)

右京大夫局が秀頼に殉じたのは確かなようで、『薩摩旧記』(「右京太夫殿」)、『細川家記』(「右京大夫殿」)などの大名家の記録には彼女の名前のみが見えます。その他『土屋知貞私記』、『豊内記』も見えるのは右京大夫局の名前のみです。

一方宮内卿局の名前のみが見える史料もありますが、これは『井伊年譜』、『大坂物語』のみです。
宮内卿局の生存については、これを明記している史料があります。先に右京大夫局のみを殉死者として記録していると紹介した『土屋知貞私記』です。これによると、宮内卿局(「宮内卿」)は常高院(「浄光院」)に使いに出る際、片桐且元の家人梅戸忠助という人物に連れられ城を出たとあります。

実際に秀頼に殉じたのは右京大夫局であり、『清涼寺過去帳』に登場する秀頼と没日を同じくする「秀頼御局」は右京大夫局を指すのではないかというのが私の結論です。
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Comment

1. 無題

醍醐花見図屏風が5月20日まで国立歴史民俗博物館の常設展3室で公開されており、行って来ました。
常設展エリアだったので撮影可能でバシバシ撮って来ました。
秀吉、高台院は特定出来るけど、淀殿や松の丸殿はわからないし、夫妻の周囲にいる女性たちは物を持ってたり、しゃがんだりしており侍女だと思うし、すごい顔した女性を含む3人が右上に描かれているのが側室かと思った。さらに、右端の室内の女性あたりが淀殿かと想像しました。
本当は名古屋の旗本木下家展や安土の総見寺展、京都で大徳寺法堂も見たかったけど、GWは飛び飛びで用事があり、中の平日も異動したばかりゆえ、有給をもらいづらく、関東の範囲で見てます。

2012.04.30 | ダイナゴン[URL] | Edit

2. Re:無題

>ダイナゴンさん

醍醐花見図屏風、まだ実物を見たことがありませんので、貴重なレポートとてもありがたいです。
確か、何かで読んだのですが、、旗を持っている女性ふたりが茶々と龍であると読んだことがあります。
とはいえ仰る通り、彼女たちは物を持たされていますので、個人的にはどうなんだろうなあ、と疑問に思っています。
秀吉の生前なのに、寧が出家風であることも気になります。
その辺は、後年の作ということで追及しても仕方ないのかもしれませんが、逆に言うと描き手のイメージが強く表れているということなのでしょう。
そう見ると、ダイナゴンさんがご覧になった三人の女性が妻妾たちであり、描き手の「側室」たちに対するイメージが「すごい顔」なのかもしれない…とかいろいろと考えさせられました。
どっちにしろ、実物を見たことがない(と思う)ので、細かいところはやはり実物を見るに越したことはありませんね。
増上寺展といい、東京に行く機会を作れなかったことが悔やまれます。

2012.05.03 | 紀伊@赤石いとこ[URL] | Edit

    
プロフィール

紀伊

Author:紀伊
茶々姫(浅井長政の娘、豊臣秀頼の母)を中心に、侍女、ご先祖の浅井家女性(祖母井口阿古など)、茶々の侍女やその子孫、養女羽柴完子とその子孫を追いかけています。
ちょこっとものを書かせていただいたり、お話しさせていただくことも。





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メモ「赤石いとこ」名義で記事を書かせていただきました。

悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ) 悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ)(2009/06/06)
…改めて石田三成と茶々姫の“不義”を否定する記事を書かせていただきました。


メモ 参考資料としてご紹介いただきました。

めのとめのと
…茶々の乳母大蔵卿局を主人公描く歴史小説。茶々の祖母阿古の活躍も見どころ。
千姫 おんなの城 (PHP文芸文庫)千姫 おんなの城
…千の生涯を描いた作品。千が見た茶々をはじめとする人々の生き様、敗者が着せられた悪名が描かれる。


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