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茶々姫をたどる汐路にて

茶々姫研究日記(こちらが現行版になります)

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隆崇院殿(追記)

 
茶々姫をたどる汐路にて

隆崇院は徳川家光次男綱重の最初の妻です。慶安元年(1648)八月八日生まれ。
父は二条光平(完子の子二条康道の嫡男)で、生母は女五宮賀子内親王(後水尾天皇と徳川和子の娘)と、双方から江の血を引く女性です。
『幕府祚胤伝』によると、九条兼晴(完子の次男九条道房の養嗣子で娘婿)の養女であったといいます。

綱重(長松)は「四十二の二つ子」(父が大厄にあたる四十二歳になる年に二歳になる子どもで、親を殺すといわれ、余所にやる風習があった)だったため、千に預けられて養育されました。

ちなみに、長松の生母夏は、京出身の女中で、もともと鷹司孝子付きだったそうです。孝子は江の肝いりで輿入れしたことを考えると、家光時代の大奥ではやはり「大御台所」である江の影響が大きかったのだなあと感じます。

ついでに、徳松(綱吉)の生母玉(お玉の方)は本庄家の養女で、先日「ヒストリア」で生涯に渡り本庄家の家紋を使い続けていたことが紹介されていましたが、この本庄家も二条光平の家司だったりします。
玉は養家が江と縁があったこと、もともとお万の方付きの女中であり、この万が春日局亡きあとの大奥に大きな影響力があったことなど、単に「幸運」という曖昧な言葉で語るにはもったいない繋がりがありました。
同番組内では大奥内の女性同士のいじめのような描写もありましたが、当時は春日局が大奥を厳しく管理しており、また誰よりも春日局が家光の子女誕生を願っていたでしょうから、家光子女誕生を阻害する陰湿ないじめや嫌がらせは許されなかったのではないかと思います。

隆崇院は寛文九年五月十四日に亡くなりましたが、その墓所は三年前に千が葬られたばかりの伝通院にあります。
彼女の生前の名前はまだ調査中です。

隆崇院の輿入れは寛文二年九月に行われましたが、半年前の同年四月には妾の保良との間に綱重の長男後の家宣(虎松)が生まれています。
隆崇院の墓碑は、本理院と同じくらいの規模で建立されており、この扱いは隆崇院がこの家宣の養母であったためであると『徳川将軍家墓碑総覧』で言及されています。
また、東京都品川区にある善長山隆崇院という寺院は、家宣が隆崇院のために建立した寺院だそうです。
虎松は生後養子に出され外で育てられたといわれていますが、立派な墓碑を建てられ、追善供養のために寺院を建立する程度には(…ってかなりだと思いますが)隆崇院との交流はあったということでしょうか。
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Comment

1. 隆崇院の…

名前が調べてもわからず、放置状態です(>_<)
綱重の妻たちの名前は、全員わからないです。
紀伊様に期待します!

2012.02.21 | はなひめ[URL] | Edit

2. Re:隆崇院の…

>はなひめさん

そうなんですよねえ…私もいろいろと手元の史料を見たのですが、どこにも見当たりませんでした。
はなひめさんが見つけられなかったのだとしたら、伝わっていないのかもしれません。
どこかから出てくることを祈って…

2012.02.21 | 紀伊@赤石いとこ[URL] | Edit

3. 甲府宰相

紀伊様
甲府宰相綱重、法名、清揚(一書に楊)院殿円誉天(一書に大)安永和大居士が、増上寺に改葬されたのは、「譜略」に拠れば、宝永二年乙酉十月五日です。前年十二月五日綱豊(家宣)が綱吉の養君として西丸に入っていますので、次期将軍の父としてでしょう。宝永六年家宣に代替わりの後、閏八月十三日、征夷大将軍正一位太政大臣を追贈されます。
それにしても、隆崇院(名前は確かに判りません)と江とのつながりまでは、考えていませんでした。さらに桂昌院まで…。紀伊さん、お見事です。

2012.02.21 | 武江[URL] | Edit

4. 無題

あと、綱重妻の内、家宣生母・長昌院の名は、「於保良」さんです。

2012.02.21 | 武江[URL] | Edit

5. Re:無題

>武江さん

なるほど、将軍の父として改葬ですか。とても納得です。ありがとうございました。

桂昌院については、その後父康道が桂昌院の兄が取りたてられた際、家光に謝礼に訪れている記事を見ました。光平の家司というより、まだ康道の時代だったようです。康道は家光の甥っ子ですから、さらに近いですね。
江の兄弟姉妹は、完子を含めて後の世まで絡んでいてとても面白いです。

そうなんですよね…。
保良は将軍生母ということもあってとても有名なのに、正室たちが名前が残っていないというのはもどかしく思います。

2012.02.22 | 紀伊@赤石いとこ[URL] | Edit

6. 伝通院山門落慶

紀伊様
本日午後1時から行われた、伝通院山門の落慶式を観に行ってきました。
その前に、3月4日は、初姫の命日という事で、お墓に花を手向けて参りました。
予感はあって、それで花を準備して行ったのですが、命日だというのに、供物も無く、何か、本当に忘れられているような感じでした。ちゃんと供養されているのか、すごく気になります。お寺の方に問うまでも無く、初姫の命日と山門落慶には、全く関係は無かったようです。
善長山隆崇院ですが、あの寺町は、明治の市区改正で、移転の寺院が集められた場所かもしれません。事前に寺宝等が残っているか調べてから、訪ねる事をお勧めします。

2012.03.04 | 武江[URL] | Edit

7. プロ野球

東京ドームでの野球観戦の時に、伝通院での山門落慶があり見学しました。私はお坊さんでも何でもないですが、有名な方であろうと一般の方であろうとお寺の御住職がご命日を全て把握し、日々墓前で供養を行うのは不可能と思われるので、ご本尊の前で日々読経をするのが墓域全体の供養をいているのではないかと勝手に想像してます。

2012.03.05 | 田中[URL] | Edit

8. 無題

>田中様
過去のブログ内容・コメントの流れの中での上記コメントですので、あの記述だけだと、誤解を与えてしまったかも知れません。
初姫は、徳川秀忠と江の4女であるにも関わらず、案内板も無く、そのお墓と気付く人も少ない(実際昨日も、そういう観光客を見かけました)、また、空襲で焼失したのか、ご位牌も残っていない、などといった前置きがあってのコメントです。
それに、初姫のお墓のすぐそばにある於大の方のお墓には、昨日も葵の御紋の手桶に立派な花が活けてありましたし、姉の千姫のお墓も花が絶える事は無いように思います。また、少なくとも、維新後一般に開放される前の、徳川家埋葬者の忌日は、お寺で管理しているはずです。
もっとも、お寺でも、お考えが有っての事でしょうし、お寺への批判の意味は全く無い事をご理解下さい。昨日の落慶式も、荘厳でとても素晴らしかったと思います。特に先導する木遣りは感動物でした。

2012.03.05 | 武江[URL] | Edit

9. 無題

武江様  はじめまして。戦国期から江戸初期を多少研究している田中と申します。上野の谷中の墓地などではお墓の規模からして江戸時代には位の高かった方と思われるお墓がありますが、忘れ去られているような感じがします。他人事ではありますが、徳川氏ですら将軍ならまだしもその他の方は把握できないのではないかと思えますので、武江様のような方にお参りして頂ける初姫は幸運ではないでしょうか。

2012.03.06 | 田中[URL] | Edit

10. Re:無題

>武江さん

以前おっしゃっていた落慶式ですね。
初は相変わらず不遇でしたか…。
浅井三姉妹のうち江と常高院の初ふたりを母に持つ彼女はもっと去年の大河ドラマで注目を浴びると思っていただけに、なんとも不憫でなりません。私も残念です。
伝通院にある他の将軍妻妾および子女にくらべて初の扱いに疑問を禁じえません。なにか理由があるのでしょうか…

隆崇院についてのアドバイスもありがとうございます。
ネットなどでなにも情報が出てこないですから、何もないかもしれないなあと私もうすうす思っています。逆に、何かあるといいなあという思いも捨てきれず…
また機会がありましたらお聞きしてから伺ってみます。

2012.03.06 | 紀伊@赤石いとこ[URL] | Edit

11. Re:無題

>田中さん

ご無沙汰しております。
ブログへのコメントありがとうございます。
田中さんも落慶式に行かれたんですね。

私の経験では、歴史上の著名人のお墓や供養塔がある寺院では、命日に法要をされていたり、花をたむけられているということは割と一般的に見られます。茶々姫の太融寺もその一つですし、大坂城の供養碑でも同じく行われています。
お寺の方針でどなたも法要などをされていないということでしたらともかく、武江さんの情報によると伝通院さんはそうではないようですね。ますます不思議に思います。
(武江さんへのお返事にも書きましたが、将軍妻妾および子女と比べても、初の扱いはお墓の大きさに比しても不思議に思います。)

お墓はともかく、お寺には過去帳というものもありますので、命日になったら一通りのご供養をされていると思うのですが(そもそもそのための過去帳ですし…)、伝通院さんはお位牌も伝通院、本理院、天樹院のものしかありませんでしたから、そのあたりも残っているかどうか微妙ですね。

2012.03.06 | 紀伊@赤石いとこ[URL] | Edit

12. 無題

紀伊@赤石様 武江様
いきなりコメントし申し訳なく思っておりますが、初姫が供養されていないのではないかとのご意見に、一言申し上げたくコメントさせて頂きました。私はお寺には詳しくはないのですが、一般の方であればお墓にお参りする方が何年もいらっしゃらなければそのお墓はどうなってしまうのかと考えれば、初姫はそのお墓が残っていくように思えますので、一般に比べればお墓への扱いは丁重と考えられます。本来であれば徳川氏が将軍家に関係する方達を供養するのでしょうけど多すぎて不可能でしょうから、歴史に関心のある方達により供養されるのは良いことではないでしょうか。

2012.03.07 | 田中[URL] | Edit

13. Re:無題

>田中さん

それはその通りだと私も思います。

2012.03.08 | 紀伊@赤石いとこ[URL] | Edit

14. 無題

 隆崇院は出てなかったですが、最勝院等の寺院が浄土宗芝組のホームページに出てますのでご覧ください。

2012.03.09 | ダイナゴン[URL] | Edit

15. Re:無題

>ダイナゴンさん

ありがとうございます。
参考にさせていただきます。

2012.03.12 | 紀伊@赤石いとこ[URL] | Edit

16. お久しぶりです(゚▽゚)/

福島鶴ヶ城は少しずつ盛り上がりを見せています(^-^)/
八重たん楽しみにしてます(*^_^*)
それでも今でもたまに
「江」
をみなおします。


伝通院は以前千姫目当てで行った事があり、夏姫や孝子姫のお墓があった覚えはあるのですが、
江姫の孫姫のお墓まであるとは知りませんでした。
また行こうかな?

2012.10.15 | しなちくにゃんこ[URL] | Edit

17. Re:お久しぶりです(゚▽゚)/

>しなちくにゃんこさん

お久しぶりです。
来年の大河はどんな感じになるんでしょうね~。珍しい時代だけに、ちょっと気になっております。

伝通院は行き甲斐がありますよ~
江の娘でいえば千・初のお墓がありますし、隆崇院は父方でいえば江の玄孫にあたりますし、母方からいえば江の曾孫にあたります。
家光の子亀松の墓もあるので、この子は確かに江の孫ですね。

2012.10.15 | 紀伊@赤石いとこ[URL] | Edit

    
プロフィール

紀伊

Author:紀伊
茶々姫(浅井長政の娘、豊臣秀頼の母)を中心に、侍女、ご先祖の浅井家女性(祖母井口阿古など)、茶々の侍女やその子孫、養女羽柴完子とその子孫を追いかけています。
ちょこっとものを書かせていただいたり、お話しさせていただくことも。





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メモ「赤石いとこ」名義で記事を書かせていただきました。

悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ) 悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ)(2009/06/06)
…改めて石田三成と茶々姫の“不義”を否定する記事を書かせていただきました。


メモ 参考資料としてご紹介いただきました。

めのとめのと
…茶々の乳母大蔵卿局を主人公描く歴史小説。茶々の祖母阿古の活躍も見どころ。
千姫 おんなの城 (PHP文芸文庫)千姫 おんなの城
…千の生涯を描いた作品。千が見た茶々をはじめとする人々の生き様、敗者が着せられた悪名が描かれる。


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