
『江の生涯を歩く』で紹介されていた本圀寺へ完子のお参りに行きました。
読みづらいですが、「天真院従二位本光円成大姉」でしょう。
完子の墓所・供養塔などでは等しく「従二位」とありますので、やはり従三位でなく従二位だったようです。
東福寺大機院に去年再発見された九条家墓地に完子の墓地がありますが、当時の記録によると、完子の遺体はこの本圀寺(当時は本国寺)に運ばれ、葬送が行われました。数日後、東福寺においても完子の法事が行われたようです。一周忌法要も、双方で行われています。
東福寺は九条家の菩提寺ですから、日蓮宗本国寺での葬儀は完子の遺志とも考えられます。祖母日秀が熱心な日蓮宗信者ですから、その影響でしょう。
そして、その完子の墓所の隣には、彼女の三女日怡の墓所を発見しました。

判読しづらい部分もありますが、「瑞円院日怡大比丘尼霊位」となっているようです。
こちらもだいぶ読みづらかったですが、忌日もあり、「寛文四年二月三日」なのだと思われます(「二月」は判読しやすかったです)。
帰宅して確認していたところ、実はもう一箇所彼女の墓地にお参りしたことがあったことが判明。
二か所も残っているとは、驚きです。
日怡は曽祖母日秀(豊臣秀吉の姉、完子にとっては父方の祖母)の跡を継ぎ瑞龍寺二世となった女性です。
日秀の死後、豊臣家の寺院であるという理由で瑞龍寺は一度廃されますが、日秀は生前より日怡を後継とすることを望んでおり、日怡の父九条忠栄らの嘆願により、寺領を復され日怡が十七歳のとき、無事に跡を継ぐことができました。
寛永十八年七月二十四日には、日怡の薙髪に際し、父忠栄(幸家)、母完子、兄康道、忠象(道房)、姉序が揃って見守っていた様子が確認できます。
なお、彼女の跡を継ぎ瑞龍寺三世となったのは、兄二条康道(完子の長男)の娘日通。日怡にとっては姪、完子にとっては孫娘、日秀にとっては玄孫女にあたります。
康道の妻は後陽成天皇の皇女斎宮(逸宮、貞子内親王)で、他に康道の妻妾は見当たりませんが、日通の生母について明記されているものは見つけられませんでした。
念願の完子墓所だったわけですが、個人的には日怡の墓地発見にテンションが上がっていました(笑)
とても一人では行けそうな場所になく、連れて行っていただいたことに、ただただ感謝です。
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