Posted at 2011.11.26 Category : ∟江 姫たちの戦国
江が駿府に行ったことには、本能寺へ向かったり小田原に行ったりしていた往時の江を思い出します。
劇中の江ならば、朝鮮出兵時の名護屋にも、大坂の陣のときの大坂にも来そうなキャラクターでしたが、個人的にもし江がいたらどうなっていただろう、と興味をひかれるところにだけは江は来ませんでした。ちょっと残念です。
○民部卿局
折角なので、民部卿局について。
福田千鶴先生が『江の生涯』で民部卿局と京殿は同一人物か?という可能性を提示されています。
『武功雑記』では秀忠の近くにいた女中として「御北殿、京殿、西殿、阿波殿、民部卿」…と、京殿と民部卿局が並行して登場します。
『武功雑記』は元禄九(1696)年成立だそうで、一次史料ではありませんので、これを以て断定はしかねますが。
江の乳母といわれますが、民部卿局に江の乳母と注記されている史料は一時史料でも編纂史料でも見たことがありません。
茶々の乳母が「大蔵卿局」、千の乳母が「刑部卿局」というので、そこから民部卿局は江の乳母では、という推測に留まります。
何度か書いていますが、乳母といっても、誕生時からの乳母というのではなく、婚礼に際し側近の女房として選ばれた女性であったのではと考えています。公家の女性で江に仕えた女性がいたようなので、民部卿局もそのような女性だったのかな、と想像しています。
○ごう
後日改めて書きますが、千や乳母の刑部卿局に縁の深い満徳寺の史料を見ていました。
過去帳に将軍家の女性の名前が多く見えるのですが、その中に秀忠生母がありました。
(十九日項)「宝台院殿松誉貞樹大禅定尼/天正十七己丑年五月/西江殿」
「西江殿」とかいて「さいごうどの(西郷殿)」と読ませていることに、特に関係はありませんが江を「ごう」と読むことを連想して面白く思いました。
個人的に、家康の「何代も続くであろう」というセリフは、いつもの預言めいたな台詞で、ちょっと興ざめでした。
それにしても江の娘たちの影が薄いです。折角姫視点なのに。年賀の席に、和子いましたっけ…?せめて初(常高院)がいるのだから、初(興安院)はちらちら登場すればいいのに…
明日最終回ですね。養源院…出てこないだろうなあ…
そして、感想記事に書くネタがあるかどうか…大問題です。
劇中の江ならば、朝鮮出兵時の名護屋にも、大坂の陣のときの大坂にも来そうなキャラクターでしたが、個人的にもし江がいたらどうなっていただろう、と興味をひかれるところにだけは江は来ませんでした。ちょっと残念です。
○民部卿局
折角なので、民部卿局について。
福田千鶴先生が『江の生涯』で民部卿局と京殿は同一人物か?という可能性を提示されています。
『武功雑記』では秀忠の近くにいた女中として「御北殿、京殿、西殿、阿波殿、民部卿」…と、京殿と民部卿局が並行して登場します。
『武功雑記』は元禄九(1696)年成立だそうで、一次史料ではありませんので、これを以て断定はしかねますが。
江の乳母といわれますが、民部卿局に江の乳母と注記されている史料は一時史料でも編纂史料でも見たことがありません。
茶々の乳母が「大蔵卿局」、千の乳母が「刑部卿局」というので、そこから民部卿局は江の乳母では、という推測に留まります。
何度か書いていますが、乳母といっても、誕生時からの乳母というのではなく、婚礼に際し側近の女房として選ばれた女性であったのではと考えています。公家の女性で江に仕えた女性がいたようなので、民部卿局もそのような女性だったのかな、と想像しています。
○ごう
後日改めて書きますが、千や乳母の刑部卿局に縁の深い満徳寺の史料を見ていました。
過去帳に将軍家の女性の名前が多く見えるのですが、その中に秀忠生母がありました。
(十九日項)「宝台院殿松誉貞樹大禅定尼/天正十七己丑年五月/西江殿」
「西江殿」とかいて「さいごうどの(西郷殿)」と読ませていることに、特に関係はありませんが江を「ごう」と読むことを連想して面白く思いました。
個人的に、家康の「何代も続くであろう」というセリフは、いつもの預言めいたな台詞で、ちょっと興ざめでした。
それにしても江の娘たちの影が薄いです。折角姫視点なのに。年賀の席に、和子いましたっけ…?せめて初(常高院)がいるのだから、初(興安院)はちらちら登場すればいいのに…
明日最終回ですね。養源院…出てこないだろうなあ…
そして、感想記事に書くネタがあるかどうか…大問題です。
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