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茶々姫をたどる汐路にて

茶々姫研究日記(こちらが現行版になります)

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第四十五話「息子よ」【大河ドラマ感想】

 
江が駿府に行ったことには、本能寺へ向かったり小田原に行ったりしていた往時の江を思い出します。
劇中の江ならば、朝鮮出兵時の名護屋にも、大坂の陣のときの大坂にも来そうなキャラクターでしたが、個人的にもし江がいたらどうなっていただろう、と興味をひかれるところにだけは江は来ませんでした。ちょっと残念です。

○民部卿局

折角なので、民部卿局について。
福田千鶴先生が『江の生涯』で民部卿局と京殿は同一人物か?という可能性を提示されています。
『武功雑記』では秀忠の近くにいた女中として「御北殿、京殿、西殿、阿波殿、民部卿」…と、京殿と民部卿局が並行して登場します。
『武功雑記』は元禄九(1696)年成立だそうで、一次史料ではありませんので、これを以て断定はしかねますが。

江の乳母といわれますが、民部卿局に江の乳母と注記されている史料は一時史料でも編纂史料でも見たことがありません。
茶々の乳母が「大蔵卿局」、千の乳母が「刑部卿局」というので、そこから民部卿局は江の乳母では、という推測に留まります。
何度か書いていますが、乳母といっても、誕生時からの乳母というのではなく、婚礼に際し側近の女房として選ばれた女性であったのではと考えています。公家の女性で江に仕えた女性がいたようなので、民部卿局もそのような女性だったのかな、と想像しています。

○ごう

後日改めて書きますが、千や乳母の刑部卿局に縁の深い満徳寺の史料を見ていました。
過去帳に将軍家の女性の名前が多く見えるのですが、その中に秀忠生母がありました。
(十九日項)「宝台院殿松誉貞樹大禅定尼/天正十七己丑年五月/西江殿」
「西江殿」とかいて「さいごうどの(西郷殿)」と読ませていることに、特に関係はありませんが江を「ごう」と読むことを連想して面白く思いました。

個人的に、家康の「何代も続くであろう」というセリフは、いつもの預言めいたな台詞で、ちょっと興ざめでした。
それにしても江の娘たちの影が薄いです。折角姫視点なのに。年賀の席に、和子いましたっけ…?せめて初(常高院)がいるのだから、初(興安院)はちらちら登場すればいいのに…

明日最終回ですね。養源院…出てこないだろうなあ…
そして、感想記事に書くネタがあるかどうか…大問題です。
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Comment

1. 刑部卿局

紀伊様
よかったら、早大図書館データベース『江戸名所図会』巻十二、36カット目にある大塚の「普門山大慈寺」の項を御覧ください。
中興開基が、刑部卿局(本文中、慶長四年逝す、とあるのは、慶安四年の誤り)だったそうです。護国寺の東に在ったようですが、維新後の廃仏毀釈で廃寺となっています。
千姫縁の葵観音は、山岡鉄舟が開いた谷中の全生庵に移され、本尊として現存するようです。

2011.11.28 | 武江[URL] | Edit

2. Re:刑部卿局

>武江さん

ありがとうございます。
『東福寺誌』に記述があるのは、この寺が東福寺系だからなんですね。
そういえば、こちらのお寺に伝わる刑部卿局の戒名「大慈寺殿仙林栄寿禅尼」は満徳寺の「俊澄」という法名と全然違うのですね。気になります。

2011.11.28 | 紀伊@赤石いとこ[URL] | Edit

    
プロフィール

紀伊

Author:紀伊
茶々姫(浅井長政の娘、豊臣秀頼の母)を中心に、侍女、ご先祖の浅井家女性(祖母井口阿古など)、茶々の侍女やその子孫、養女羽柴完子とその子孫を追いかけています。
ちょこっとものを書かせていただいたり、お話しさせていただくことも。





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メモ「赤石いとこ」名義で記事を書かせていただきました。

悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ) 悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ)(2009/06/06)
…改めて石田三成と茶々姫の“不義”を否定する記事を書かせていただきました。


メモ 参考資料としてご紹介いただきました。

めのとめのと
…茶々の乳母大蔵卿局を主人公描く歴史小説。茶々の祖母阿古の活躍も見どころ。
千姫 おんなの城 (PHP文芸文庫)千姫 おんなの城
…千の生涯を描いた作品。千が見た茶々をはじめとする人々の生き様、敗者が着せられた悪名が描かれる。


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