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茶々姫をたどる汐路にて

茶々姫研究日記(こちらが現行版になります)

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浅井三姉妹 初と京極展

 
春に見に行った若狭歴史民俗資料館の展示物を中心に見ることができました。

○江の手紙

徳川初(「御ひもし」、「若さ御ひもし」)宛書状。
新発見とありますが、「つま」と署名した書状として一部で知られています(福田先生の講演でも取り上げられていました)。
この書状から、「京極御系図」の江が「つま」と改名した説が採られていると思われます。

学芸員の先生は侍女の名を借りたのでは、とも仰られていましたが、どうなんでしょうか。
茶々の「あこ」、龍の「まん」、江の「つま」と侍女の名を借りたとする説をとるものは三例ありますが、どれも茶々があこの名を借りて出したという仮説を肯定した上での説です。この件が疑問視されている以上、侍女の名を借りた説を採るのは危ういように思います。

茶々の書状については、桑田忠親先生が署名を「あこ」と読み、福田千鶴先生が「よと(淀)」と読まれましたが、「あこ」説はまだまだ根強いようです。しかし、書状の中で秀頼を呼び捨てで書いてあることは、侍女の名で書状を出すにしては不自然な点で、茶々の直筆とする根拠の一つとなっています。

今回の江の書状については、「とゝ様も我身も、そくさいの御事にて候まゝ」と、「我身」という言葉を使っているところが江の自筆書状であるように感じました。

○京極龍

龍については、雛皮包一枚胴具足(伝松の丸着用)、『山路秀正等連署状』が出ていました。

具足はいつかブログで取り上げた龍のものと言われる具足です。めったにお目にかかれない貴重なものです。
武田元明とともに身を寄せていた若狭の旧家に伝わるもので、実際龍が身にまとったとすれば、その由来から武田元明の妻だった時期に身に付けたものが伝わったか、もしくは大津城籠城のときに身につけたものが、高次が若狭に転封となった後に下げ渡されたものだろうと考えています。

山路秀正等連署状は、龍の意向によって土地の保障を認められた旨の書状ですが、慶長十年八月二十八日付のこの書状でも龍は「松之丸様」と記されています。
龍が伏見城松の丸に住んだのは一時のことでしたが、龍は松の丸から移住して後も長く「松の丸」の号で呼ばれていたようです。

○常高院

常高院関連の、こちらも滅多に御目にかかれない史料が展示されていました。
当然活字化もされていないので、このような機会でもなければたとえ一部でも見ることができないというのはもどかしい限りです。
複写でも、写真でも、全文見ることのできる機会がほしいです。ガラスを隔てた目の前に実物があるのに…

>『凌霄開山和尚伝 附開基伝』(江戸時代)
「栄昌公(常高院)ハ正親町院御宇永禄十一年江州小谷城ニ於イテ誕生。小字ヲ御鐺君ト云フ。父ハ浅井備前守長政、母ハ織田信長卿ノ妹於市ナリ」
「第三姫ハ佐々木京極大津宰相高次公ニ嫁ス。即チ栄昌公也」(本文は前頁に渡っているため確認できませんでしたが、「第一」が茶々、「第二」が江となっているようでした)
「豊臣秀吉、高次公ノ婦トナサシメ、容端麗、婦徳柔順ナリ」
「栄昌公内営ヲ守ル。矢砲飛テ両袖ニ中ルトイヘドモ、婉柔ノ姿ヲモノノカズトセズ、武烈ノ志ヲ奮ヒ、仁ヲ以テ物ニ向行キ艸偃或ハ近宦ノ女ト飯ヲ炭キ、水ヲ汲ミ、諸軍ノ飢渇ヲ弼ク。」

手書きで写したので、誤りがあったらすみません。
若狭歴史民俗資料館の有馬先生が仰っていた「常高寺関係の史料」がこの史料だったようです。若狭歴史民俗資料館でも展示されていましたが、違う頁でした。当時、本文を書き写さなかったのですが、常高院が茶々(「阿姉」)や千(「令姪公」)と落城を共にするつもりだったものの、家臣に諌められ城を脱出したという箇所が開かれていたようです。ここでも何度か取り上げています。

>『若狭守護歴代禄』(文化八年)
大坂の陣について『凌霄開山和尚伝 附開基伝』を元にしたと思われる記述がありました。
「慶長二十年之乱戦、栄昌ナホ浪華城内ニ在リ、落城ノ覃、阿姉並令姪公等列座高僧ト同ジク焼滅ヲ誓ヒ、少シモ動カズ。臣某ニヨリ屡シ嫌諌シテ石辟陥穽ヲ超エ万軍之最中ヲ脱ス。(中略)栄昌公若州ヘ帰リテ休雲濱城之西丸ニ棲ム。□歳、又東武江ヘ遊ビ、偶大将軍秀忠卿家光公ニ謁ス。和睦偽謀之事、半ば恨ミ半バ欣ブト話ス。」

>『系譜 自高和公 至高中公四代』(寛政四年)
「常高院ハ大御台様崇源院様御姉、又初姫君様台徳院様姫君興安院殿ハ京極若狭守忠高室」

>『京極家物語書留』(明治十六年写)
「大津御篭城之時、常光院様とも殊ノ外御働キ遊バサル。女中御手相手ニ鉄砲の玉を御手御鋳リナサレ、鉛ノ足にて錫之御道具を遊バサレ候テ、其の後城之道具にも錫之道具に過たるものハ無シとの御意にて、若狭にテも錫之道具多く御扱なさるべき旨申シ伝へ候」

>『佐々木京極家記録』(江戸時代)
(忠高)「母贈大納言浅井備前守長政女名初子薙髪後号常高院也」
この記録が編まれた時点で「初子」という名で記されています。逆に、「初」の名が記されている史料は今回これだけでした。

>『御朱印御系図并御道具』
「大津御篭城之時常高院様より京極修理様江発進し候御文三ツ」
「大御台様より興安院様江発進し候御文二通」

後半は今回公開された「つま」書状のことのようですが、前半によると、常高院から義弟京極高知に送られた文が三通京極家に伝わっていたようです。現存していないようなのが残念です。

○浅井作庵

弟作庵について、パンフレットで「淀殿并関東大御台所ノ連枝」という記述のある『武徳編年集成』を紹介し、経歴を詳しく紹介しています。

展示されていた『難波戦場冬の陣図』では、生玉口に「浅井周防守」の名前が見えました。
先日姫路で見た岡山大学付属図書館蔵の『大坂夏之陣図』では、勝山の辺りに「浅井周防守」の名前が見えましたが、冬の陣図では作庵を確認できませんでした。今回は、冬の陣図で確認できましたが、夏の陣図(丸亀市立資料館蔵「大坂夏の陣絵図」)で確認ができませんでした。

また、『玄要寺過去帳』が展示され、寛文元年五月十六日に「禅徳院殿実岩道意居士 京極作庵公」の記載がありました。玄要寺に墓所があるとも言われますが、実際に現存しているものは子孫の墓のみで、作庵の墓所は現在確認することはできないそうです。実際に玄要寺墓地で探してみましたが、だいぶ荒れてしまっていることもあり、残念ながら見つけられませんでした。

○京極高政・高和の生母

高次の次男、高政の生母は小倉新兵衛の姉で、常高寺では「安毛」という名で記されていました。
今回、資料館に展示されていた系図に「梅野」と記されていたため、学芸員の先生にお尋ねしたところ、『村松家文書覚書』という史料によるものだそうです。
同史料によれば、高和の生母は本庄氏の女で「小泉」とあるそうです。この女性は『御記録控 自高和公 至高中公』にも見え、「母ハ家女房 名ハ小泉 本庄氏ノ娘 延宝四丙辰年七月廿三日死去 法名玉泉院玄清日證」とありました。

○京極伊知子

京極忠高の娘で、多賀常良の妻。子高房が一時高和の養嗣子となった女性です。
『玄要寺過去帳』の万治三年四月二十七日に「寿昌院殿茂林宗繁大姉 多賀七良右衛門内室/伊智子」とあり(『佐々木京極系図』では「寿性院」)、夫妻の墓所が玄要寺墓地に現存します。

そういえば、若狭地方では長女を「いち」といい、次女を「はつ」という話を伺いましたが、この伊知子も同時代的には「いち」だったと思われ、この話を思い出しました。

徳川初が「初」だったのは、常高院が自らの名を譲ったといわれていますが、長女=古奈、次女=初だったのだろうか…とちょっと考えておりました。

○パンフレット

解説では主に通説が採用されていました。
・龍が茶々と醍醐の花見で盃を争ったこと
・高次が関ヶ原合戦で豊臣と徳川を天秤にかけた末に徳川へついたこと
・高次が東軍へ翻意した際茶々が慌てて使者を送ったがこれと会わなかったこと
・大坂の陣で「姉淀殿と妹江が対立を余儀なくされ」たこと

お話を聞いていて、初や江については大河で取り上げられるまでほとんど研究されてこなかったけれど、茶々は既に調べつくされているというようなことを仰っておられました。
初や江に比べれば、確かにそれはそうなのですが、多くは最初から批判的な目線で論じられ、公平に理解されているとは思えません。茶々の実像に迫るには、その重ねられた成果以上にうず高く積った誤解に阻まれ、初や江よりもかえって理解することは難しい人なのではないかと思います。
初や江の研究がまだ始まったばかりなのだとしたら、初や江から見た茶々を知る機会もまだまだあるということだと私は思っています。血を分けた姉妹ですから、実像や人となりを知るという意味ではより重要な手掛かりが眠っているのかもしれません。
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プロフィール

紀伊

Author:紀伊
茶々姫(浅井長政の娘、豊臣秀頼の母)を中心に、侍女、ご先祖の浅井家女性(祖母井口阿古など)、茶々の侍女やその子孫、養女羽柴完子とその子孫を追いかけています。
ちょこっとものを書かせていただいたり、お話しさせていただくことも。





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メモ「赤石いとこ」名義で記事を書かせていただきました。

悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ) 悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ)(2009/06/06)
…改めて石田三成と茶々姫の“不義”を否定する記事を書かせていただきました。


メモ 参考資料としてご紹介いただきました。

めのとめのと
…茶々の乳母大蔵卿局を主人公描く歴史小説。茶々の祖母阿古の活躍も見どころ。
千姫 おんなの城 (PHP文芸文庫)千姫 おんなの城
…千の生涯を描いた作品。千が見た茶々をはじめとする人々の生き様、敗者が着せられた悪名が描かれる。


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