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第四十四話「江戸城騒乱」【大河ドラマ感想】

九話ぶりの感想です。久しぶりにオンタイムで見ました。
前回大坂の陣が終わったので、気楽に見ることができると…安心は気が早かったようですが。
我ながら茶々がメディアで扱われることに怯えすぎですね(苦笑)

○茶々から江への書状

現在、処分されてしまったのか茶々と初、江の間で交わされた書状はほとんど残っていません。
ただ、初の侍女小侍従は何度も三姉妹の間を往来していたといいますし、江が茶々の依頼を受けて家康に働きかける様子や、江の出産の報を受け取る茶々など、絶えず交流が続いていたことは間違いありません。
「茶々や千と心中するつもりであった」とも言われる初ですが、秀頼にそれを許されず、落城直前に家臣に担がれるようにして城を出ました。
千は退城の際、秀頼の直筆神号を胸に抱き、秀頼の陣羽織を送られ、それを抱いて脱出しました。
初もまた、姉の形見をいくつか持っていたのでしょう。江への手紙がその中にあったとしても、私は少しも不思議に思いません。

署名が「よと」でなく「ちや」だったのは良かったです。
しかし、あの内容はかなりいただけません。
おおむね「戦を招いた私が悪い」、「家康・秀忠はやるべきことをやっただけ」、「徳川を恨むな」というような内容だったかと思いますが、なんという都合のよい内容…茶々ファンから言わせていただければ「そんなばかな」って話です。
茶々は秀吉が亡くなってから十七年間戦を回避したんですよ?
冬の陣の講和をはじめ、茶々からすれば徳川方の対応に騙されたと思った部分もあったはずです。
茶々は茶々で、自分の信念があってあのような結果となったのだから、自分が悪いと言ってほしくなかったし、鐘銘事件や講和問題など、家康や秀忠の非道を責めるべきだったはずです。そのような状況でも、姉妹の仲が揺らぐことがなかったことが、三姉妹のすごいところなのに。
泣き所だったのかもしれませんが、テレビを前にポカンとしてしまいました…

○「元和」

ドラマ上でも、一般的にも「げんな」よ読まれていますが、先日とある史料(仮名文字の書状)を見ていた際、「げんわ」と書かれてあり、驚きました。
当時から「げんな」と読まれていたのでしょうか。たまたま、その書状だけが「げんわ」となっているのでしょうか。

○寿芳院

寧とともに、出家姿で登場した寿芳院こと京極龍。
しばらく見ていないのですが、「寿芳院」としては初登場だったのでしょうか?

一般的に、秀吉没後に出家したといわれますが、史料上では彼女は亡くなるまで「松丸殿」と呼ばれています。
出家だった、と書かれている史料を見たことがありません。

龍が出家していたとする根拠の最たるものは、肖像画だと思いますが、一体どの時点で出家したのかは全くもってわかりません。

寧は朝廷から院号を勅許されたこともあって、出家した後、寧は史料に「高台院」としてしばしば登場します(それでも「政所」として記録もされていますが)。
その点、史料上出家していたという記録がないことは、茶々と龍に共通しています。
ただ、茶々は出家姿の肖像画がないために、「出家しなかった」といわれています。

私は、茶々は秀吉の死後落飾していたのでは、と思っているのですが、龍と比較して見ても、やはりその思いを強くするばかりです。

○初と徳川

劇中では、大坂落城後、秀忠と対面した初は特に秀忠を責めることもありませんでした。

初が、落城まで大坂城に留まっていたことは徳川方にとって不都合なことであったようで、初が秀頼の命で城を出たあと、同行した者たちに、「我々が徳川から処罰されることを覚悟せよ」と言ったとあります。
初が落城直前まで大坂城にいたのは、他ならぬ茶々と秀頼の助命のためそのものであったということです。
初は出家の身とはいえ、京極家と縁が切れた訳ではありません。下手をすれば京極家に類が及びます。
徳川からすれば煙たいだけのそんな行動が全く罰せられなかったのは、これは江の意向(威光)があったのだろうと私は考えています。江の思いを背負って、初は茶々を救いにやってきていたわけです。

「凌霄開山和尚伝 附開基伝」によれば、大坂落城後、秀忠と家光を前に、初が「半ば恨み、半ば欣ぶ」と言ったとされています。まず姉や甥を奪われたこと、そして偽謀に自らを利用したことに対する恨みを訴え、そのあとに徳川家としてめでたいことですが、ということなのでしょう。まず恨みから述べているところに、強い意志を感じます。将軍、将軍世子を前に、姉を喪った悲しみを隠さなかった様子からは、権力者を向こうに回して一歩も引かぬ心の根の強さ、そしてなにより姉妹の絆の深さをとても感じられるエピソードでとても好きなのですが、ドラマでは残念ながら採用されませんでした。
特に初は秀頼の子国松との関わりも大きかったですから、国松を殺されたことにも人一倍思う所があったでしょう。
きっと彼女の仏堂では、父母、夫の位牌に続き、姉茶々と甥秀頼、甥の子国松の位牌を守るようになったのではないでしょうか。
劇中では江ばかりが茶々の死をおおっぴらに嘆き悲しみ、初の悲しみはあまり描かれませんでしたが、実際は最期まで茶々の側にいた初のほうがきっと「姉を失った」という実感が大きかったのではないかと思います。
江は、海津局や天秀尼など縁の人々の身柄を引き受けたり、初や千、海津局たちと話したり、姉が遺した養源院を守るうちにしみじみと悲しみを感じたのではないでしょうか。

○千と徳川

大坂落城後、千が家康や秀忠にどのような感情を持っていたか、知るすべは少ないです。
家康から千の侍女松坂局(「ちよぼ」)に宛てた文によれば、千は関東に帰った後しばらく伏せっていたらしいことが分かります。
大坂落城直後の慶長二十年五月の末、千が京都見物をしたという史料があります。これは、徳川が豊臣から千を取り返したことを京の人々に知らしめるパフォーマンスという面が多分にあったようです。実際、著名な寺院を参拝している中で、豊国神社へは「忌中」として参拝を許されませんでした。また、江戸へ帰った後に伏せっている様子から、千本人としては、とても見物気分ではなかったのでしょう。

とはいえ、家康が千を案じていたことは事実のようで、家康は大坂落城後から死去まで松坂局宛に少なくとも三度千の様子を案じる音信を発しています。宛先が乳母の刑部卿局などではなくまだ若い松坂局であったのは、彼女が特に家康との縁が強かったからでしょうか。また、元和二年には千方(おそらく松坂局)から家康へ千の様子を知らせる返信が送られたようです。家康の死去までには、千の心境もだいぶ落ち着いた様子が見受けられます。

また、秀忠に対する千の感情は、家康に対するものより更に知るすべがないのですが、後年、書状のやりとりがされている様子から、少なくともその頃には普通の親子並の交流があったようです。
そのほか、晩年になりますが、千が自らの法名選定の際、徳川を守るという意味を込めてほしい、と願ったという逸話があります。秀忠の嫡女として、千は徳川家に大きな影響力があったようですし、秀頼たちの犠牲の上に成り立つ徳川を、もしくは犠牲の上に成り立つからこそでしょうか、晩年は大切に思っていたようです。

本音は当人に聞いてみないと分かりませんが、少なくともドラマほど「父秀忠、許すまじ」という感じではなかったのだろうと思います。

○以下、ただの感想

この辺はただの愚痴などです。
江に「武家のならい」を説きながら、自分は豊臣に憎しを全開させるとかどんな矛盾ですか!
噂通り、大河ドラマの福はひどいキャラですね。江が頬を張ってくれて正直清々しました。よくやってくれた、江。

駿府行きだって、まず主の了解なく持ち場を離れることだけでも大問題で、それが駿府までいってしまったというのだから、本来なら罰せられてもおかしくないはず。
江戸城をこっそり抜け出して駿府城へ行くのは、確か一般的に福にとっては命がけの行動として描かれるような相当危険な行為だと思うのですが、まるでおとなりのご隠居に訴えに行ったような感じしかしませんでした。
家康も特に怒りませんでしたね。他の作品ではとりあえず福の身勝手を怒るはずなんですが。

なんだか、もう豊臣のことはおしまい!で、全く茶々が出てこない予感が…(幽霊で出られても困るけど…)
折角なので、豊臣の痕跡を消そうとする中で、江が必死に養源院を守るエピソードが見たかったのですが…無理かなあ。

国松も、あっさり死んでしまうのではなくて、龍が刑場から国松の遺骸を引き取る様子を描いてほしかった。とてもいいシーンになると思うのですが。
天秀尼も千とともに逃げる描写がなかったということは、江が身柄を預かるのもスルーかな…残念。
相変わらずせっかく江や三姉妹を描いているのに、魅力的な素材を取りこぼしまくりです…

あと二回ですか…茶々が関わらなければ気楽に見れるので、これはオンタイムで見届けたいと思います。
逆に茶々が関わっている部分(感想記事が抜けている部分)は私の言いたいことがいっぱいあるので、ゆっくり埋めていきます。
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| ∟江 姫たちの戦国 | 23:07 | comments:15 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

1. 無題

茶々は出家姿の肖像画がない…とのことで思い出したのですが。
有名な崇源院像が茶々のものであるという可能性は皆無なんでしょうか。
織田家と豊臣家のものと思われる家紋から両家に深くかかわった尼姿の女性(私も茶々は落飾していたような気がします)。
崇源院のものとするには尼姿なだけでなく、徳川家の家紋が無いのも気になるところです。

崇源院像は優しげで美しいですし、個人的に市の肖像画のモデルは茶々なのでは…と思っているので、市の面影も持ち合わせたこの肖像画が茶々のものだったら面白いなぁと思うのですが。

……ありえませんかね(汗)

| ゆみ | 2011/11/16 14:12 | URI | ≫ EDIT

2. Re:無題

>ゆみさん

ちっともありえないことはないと思いますよ。

かく言う私も、確信は全くありませんが、かなりその線を疑っております。什物が混乱したとはいえ、「茶々の画像があった」というのは事実ではないかと思うからです(江の画像も)。

伝崇源院像が江のものではないとされる研究者さんは少なくありませんが、では誰のものかというと、市のもの、もしくは茶々のものとされる方がいらっしゃいますね。

たまたま見つけたのですが、福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館館長の水野和雄氏も茶々のものではとお考えのようです。

・福井新聞ホームページより
>また水野さんは、江を描いたとされる崇源院像(養源院蔵)が「尼僧姿であることに疑問がある」とした。江は夫の秀忠より先に亡くなっていることや、絵に秀吉を示す五七の桐や、織田氏を示す木瓜が描かれていることから「淀殿の可能性もあるのでは」と推測した。」(http://www.fukuishimbun.co.jp/localnews/event_calture/30013.html

| 紀伊@赤石いとこ | 2011/11/16 21:55 | URI | ≫ EDIT

3. 無題

紀伊様
例年文化の日と直近の土日の三日だけ、林家(「はやしや」では無く)墓所の公開があり、掃苔に行って来たばかりです。羅山先生も、あんな描かれ方は、心外でしょう。あそこまで怪しげな福に、簡単に丸め込まれるなんて…。
伝通院前の「春日」通りの富坂を下った辺りに、春日局拝領地跡があり福の銅像も有るのですが、福も、ここまで馬鹿っぽく描かれた事は、民放でも無かったはずで、心外なはず。抜け参りも、俗説でさえ、間に英勝院が入ったりして、ようやくなんですけど…、それが二度? どうやら、大坂の陣が終わり、ファンタジー、時空超越路線に戻ったようですね。
秀忠の、江への弁解の中に、兄や母を戦のせいで失った、という一節が有ったように思うのですが、聞き間違いでしょうか?百歩譲って、信康は、ある意味そういう面はあるかと思いますが…。もしかして、築山殿の子と思ってるのでしょうか?長丸初上洛前に宝台院(西郷局)が殺された、との説は、「家忠日記」の解釈の間違いだと思いますし、いずれにしろ戦のせいではありませんが。台徳院様、最終回を目前に、謎の発言をしないでくれ~。

| 武江 | 2011/11/17 00:32 | URI | ≫ EDIT

4. 遺言書捏造事件

茶々の遺書として 余りにも不自然です。そんな徳川方に都合の良い話ばっか…。私の周囲では茶々さまの遺言書捏造事件として認識されています。

スカスカの脚本でも 何とか格好をつけてくれてた、宮沢茶々さんと太賀秀頼君の力演をもぶち壊す結果になりました。

人の努力を無にする…無能以下の、マイナス才能ってのがあるの、これでよく判りますね。

春日局がここまでアホの子に描かれたのは、民放ドラマも含めて初めてではないでしょうか?たまたま同級生に於福さんの子孫がいますが、頭の良さもさることながら、とにかく美男美女の家系で。
太平の世とは争いの場が戦の庭から「大奥」に移ることなりと、妙に納得させられましたね。

三姉妹も満足に描けないのですから、国松君や京極家の事を言っても詮ない事ですが、他の浅井家や織田家の人達も全員行方不明ですね。

織田信包さんなんて、三姉妹を岐阜で守り育ててくれた恩人なのに、随分不人情というか、気にならないものでしょうかしらね。

戦国末期の 名だたるプレイヤー達をことごとくお馬鹿タレント化して、これが公共放送でやる歴史劇の水準とは恐れ入ります。

| レッドバロン | 2011/11/17 17:35 | URI | ≫ EDIT

5. 追記

>レッドバロン

私のHNです。他の投稿で使ってるのと間違えました。

| 渡邊markⅡ | 2011/11/17 17:41 | URI | ≫ EDIT

6. 初コメです!

初めまして!
僕は3年前に放送された大河ドラマ「篤姫」みて歴史好きになった16の男子です!

大奥が大好きで、江戸時代の髪型、着物が好きだったんですが、今回の「江」観てから戦国・桃山時代の髪型、着物に興味持ち過ぎてます!w

浅井三姉妹の事もいままでよりもっと好きになって勉強してます!三姉妹の中でもやっぱり茶々様が好きです!

髪型で、「江」で思ったのですが、淀といえば、髪が肩に掛かるイメージなんですが、この「江」で印象が変わって、逆に「江」の方がいいですね、耳から流れる鬢削ぎが姉妹達より短いところも、淀らしいですよね。10代の時の茶々の短い鬢削ぎが可愛くていいですね!

龍子様が豊臣国松の遺骸を拾ったとは衝撃の新事実でした、教えて頂き、ありがとうございます。

千の人生は本当辛いですよね…秀頼が亡くなったから、再婚せよ、縁を切れなど、僕的には徳川を恨んだと思うんですよね。でも、後々徳川家と繋がることになるんですが、きっと徳川を乗っ取ろうしたとは考えられませんか?秀頼、淀のために、徳川を潰そうしたと思うんですよね、まぁあくまで想像ですけど。

あ、なぜか、感想と意見ばかりでしたね。すいません…。

またの更新楽しみにしております!

| ショウ | 2011/11/17 21:42 | URI | ≫ EDIT

7. Re:無題

>武江さん

福と林羅山のシーンは、確かに怪しすぎました。変な勘繰りまでしてしまってもおかしくない怪しさでした。

この間伝通院に行った際、件の福銅像を見ましたが、かなりかっこよく、また美人に作られていて驚きました。

「母を失った」というセリフ、ありましたね。うっかり気にも留めなかったのですが、史料の誤解というより、単なるミスかなと思っておりました。
どちらにしろ、本編で取り上げなかったネタをああいうふうに突然出されても理解できませんが…
小和田先生の訂正が入らなかったのでしょうか。見落としでしょうか?
あと残すところ二回でしょうか。最後の踏ん張りを見せていただきたいところです…

| 紀伊@赤石いとこ | 2011/11/18 16:26 | URI | ≫ EDIT

8. Re:追記

>渡邊markⅡさん

茶々の書状はあまりにも残念でした。我慢できず愚痴を書いてしまったのですが、わたしだけが思ったのではないようで安心しました。

福の子孫はわたしの身内にもいるのですが、とても頭のいい従兄です。

そう言えば信包は序盤から出てきていましたし、役者さんから後半で活躍するのだと思っていたのですが、結局茶々のそばで活躍しなかったのでしょうか。とてももったいないですね。

| 紀伊@赤石いとこ | 2011/11/18 16:31 | URI | ≫ EDIT

9. Re:初コメです!

>ショウさん

はじめまして。コメントありがとうございます。

宮沢りえさんの茶々はとてもすてきでしたね。
今回の宮沢さんの名演技で、少しでも史実の茶々に関心を持って下さる方が増えるといいなと思っています。

千の生涯については、わたしには知るすべもありませんが、現代ならば周囲に恨みを抱いても不思議はありませんね。
現代と当時は価値観が違うので、うかつなことは申し上げられませんが、千もいろいろと考え悩みながら生きたのだろうと推察します。

わたしがよく考えるのは、「仲が良い」、「仲が悪い」というのは一生モノではないということです。仲が良い相手と、ちょっとしたきっかけで仲がこじれてしまうこともありますし、仲が悪い相手と、時を経て仲が良くなることもあります。
いろいろな可能性を考えることは大切だと思いますが、それに縛られて真実が見えなくなってしまわないようにということを私は常日頃心がけております。

わたしの拙い記事がショウさんのお考えの一助となれば幸いです。

| 紀伊@赤石いとこ | 2011/11/18 16:42 | URI | ≫ EDIT

10. 無題

江戸、 寛永寺でも誤解をまねく講演会があり大変でした。

| ダイナゴン | 2011/11/18 19:53 | URI | ≫ EDIT

11. Re:無題

>ダイナゴンさん

ブログ拝見しました。
折角ゆかりの地での講演なのに、無理してお話される演者の方もお気の毒、聞く方もわざわざ足を運ばれたのに真実から遠ざかりお気の毒、取り上げられる江たちも誤解されてお気の毒…だれも得しませんね。

| 紀伊@赤石いとこ | 2011/11/18 23:51 | URI | ≫ EDIT

12. 秀忠セリフの件

>紀伊姫さま
>武江さま

「兄や母を戦で失って…」の台詞、私も気になって調べてみましたところ、字幕では「義母」になっていたそうです。築山殿の事ですね。

築山殿が秀忠の義母? それも 変ですよね。いずれにせよ、秀忠が生まれた年に信康と築山殿は亡くなっているはず。親子関係、兄弟関係を意識するような事柄は皆無に近いと思われますが。

秀吉と江の関係も酷かったですが、台本の杜撰さに加えて、スタッフの不親切+やる気の無さも感じられ、とても不愉快です。

| 渡邊markⅡ | 2011/11/22 20:01 | URI | ≫ EDIT

13. Re:秀忠セリフの件

>渡邊markⅡさん

わざわざありがとうございます。
謎は解けたものの、かなり分かりにくいですね。台詞を聞いただけで「義母」と分かれ、というのも無茶な話です。

継室の旭とは母子関係を結んだという史料がありますが、築山と母子関係を結んだという話は私は聞いたことがありません。
そのあたりどうなんでしょう。

| 紀伊@赤石いとこ | 2011/11/22 21:08 | URI | ≫ EDIT

14. スッキリ

>渡邊markⅡ様
決定的な証拠を見つけて頂き、忝く存じます。
確信犯だったとは、あらためて驚きました。

しかし、大河も、民放のバラエティー番組並みに、テロップが不可欠な時代になったんですね。脚本家は、失礼ながら、そういうお歳では無い様に思うのですが…。

| 武江 | 2011/11/23 13:35 | URI | ≫ EDIT

15. 奇々怪々

>紀伊@赤石いとこさん
字幕付の放送を観てないと判らない、というのでは話になりませんよね。
おまけに、紀伊姫さまの仰せの通り、築山殿と秀忠が母子関係結んだ?という事実は誰も聞いたことがないでしょう。徳川家が驚きますね。

柴田勝家と三姉妹の関係の時にも感じたことですが、この作者はその場の雰囲気だけで?勝手に親子関係・人間関係を作ってしまいます。現代の民法でさえ、後妻の連れ子は自動的に養女にはならないというのに。

あんなに仲のよかった養父?が亡くなった後は、菩提を弔うどころか、史実に戻って?一顧だにしない訳ですから。それでは、三姉妹は人非人になってしまいます。

クランクアップ した後は キャスト・スタッフ打ち揃い、せめて増上寺の秀忠公夫妻の墓前に、一年間有難うございました、とお礼に詣でるくらいの気持ちがあれば、こんなことにはならないのですが。CMタレントではない昔の役者さんたちはそうでした。言っても詮ないことでしょうけれど。

| 渡邊markⅡ | 2011/11/23 14:10 | URI | ≫ EDIT















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