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1615/慶長二十・元和元年

慶長二十・元和元(1615)年
※ []内は茶々姫の居場所

この年

某月一日 〔福田寺寺伝〕近江福田寺住職伝法院正芸、卒する。彼は茶々の末庶弟万寿丸(万菊丸・幾丸・虎千代丸とも)であると伝わる。


一月[大坂城本丸奥御殿]

二日
・五山衆、家康に謁見する〔本光国師日記(東福寺誌)〕

十九日(天晴)
・徳川秀忠(「江戸将軍」)、大坂城より伏見城へ引き上げる〔舜旧記〕

二十一日(天晴)
・梵舜、寧(「政所様」)のもとへ年賀の祝いに訪れる。対面・盃事あり。〔舜旧記〕

二十二日(天晴)
・萩原兼従(「萩原」)・梵舜・瑛侍者(「侍者」)、伏見城を訪れ秀忠に礼参を図るも、禁じられ果たせず。〔舜旧記〕

二十四日(天晴)
・徳川秀忠(「江戸将軍」)、二条城へ入る〔舜旧記〕

二十五日(天晴)
・大野治長(「大野修理殿」)、上洛し養源院へ入る。夜、萩原兼従(「萩原」)・梵舜が治長を見舞いに訪れる〔舜旧記〕
・五山衆、二条城に上り、秀忠に年賀する。〔鹿苑日録、本光国師日記(東福寺誌)〕

二十六日(天晴)
・徳川秀忠(「江戸将軍」)、参内する〔舜旧記〕

二十七日(天晴)
・親王公家門跡衆ら、和議を賀すため、二条城に秀忠を訪れる。参加者は八条宮智仁親王(「八条殿」)・邦房親王(「伏見殿」)・摂家・清華衆(「清花衆」)・門跡・堂上衆と記載。取成は金地院崇伝(「傳長老」)、奏者は酒井忠世(「酒井雅楽殿」)。萩原兼従(「萩原」)・梵舜・瑛侍者も初めて秀忠に対面し、兼従は太刀折紙、梵舜・瑛侍者はそれぞれ杉原十帖・扇一を贈る〔舜旧記〕

二十八日(天晴)
・徳川秀忠(「江戸将軍」)、江戸へ向け京を発す。〔舜旧記〕

三十日(天晴)
・細川興秋(「細川讃岐守殿」)、秀頼(「大坂」)の名代として豊国社を参詣し、銀子二十枚を奉納する。私的な奉納はなし。その後、寧(「政所様」)より梵舜へ衣料(小袖「ハフタイ」・絹二端・綿二把、「不縫シテ」)が届けられる〔舜旧記〕
・徳川秀忠より東福寺大慈庵、不二庵、龍眠庵、南昌院、勝楽庵、万寿寺などへ時服を給う〔本光国師日記(東福寺誌)〕


二月[大坂城本丸奥御殿]

一日(天晴)
・早朝に寧(「政所様」)が突然豊国社へ参拝する。萩原兼従(「萩原」)も梵舜もこのとき不在〔舜旧記〕

七日
・以心崇伝、文英清韓よりの使者及び進物を退ける〔本光国師日記(東福寺誌)〕

八日(天晴)
・梵舜、松雲院殿(「萩原御内儀御袋」=萩原兼従妻の母。兼従妻はお寧の姪)より進物を受け取る。〔舜旧記〕

二十二日(天晴)
・豊臣家(「大坂」)の依頼により、豊国社においてこの日から十七日晩神道大護摩一座の祈祷が執り行われる。執行者は萩原兼従(「兼従」)〔舜旧記〕

二十六日(天晴)
・梵舜、金地院崇伝(「南禅寺之内金地院」)を見舞い、豊国神社の安堵を図る。〔舜旧記〕


三月[大坂城本丸奥御殿]

九日
・家康、五山の学僧を試文する〔本光国師日記(東福寺誌)〕

十二日
・有節瑞保、寧(高台院殿)を見舞う。庭花一両枝を献ずる〔本光国師日記(東福寺誌)〕

二十五日
・大蔵卿局、駿府城より帰り上洛する。講和成立の報を聞き、義演安堵する〔義演准后日記〕


四月[大坂城本丸奥御殿]

七日
・天下不穏につき、貴重物を疎開する。〔舜旧記〕

十八日
・家康上洛する〔舜旧記〕

二十八日
・堺の街が放火される〔泰重日記(同年五月二日条)〕


五月[大坂城本丸奥御殿]

一日(晴天)
・徳川家康(「前将軍家康公」、「大樹」)、公家衆へ大坂に籠城する公家衆を糺す。梵舜もここに参加。持明院基久(「持明院中将」)・富小路良直(「富小路」)ほか数人の籠城を聞き、土御門泰重は雑説かと疑う〔泰重日記、舜旧記〕

二日(晴天)
・岸和田落城の噂について、虚説であることが分かる〔泰重日記〕

四日(晴天)
・持明院基久らの大坂籠城に、基久子息の基征も同心し大坂へ駆けつけるとの取沙汰あり。基征の弟・正親町季俊(「正親町」)は同心せず〔泰重日記〕

五日(晴天)
・徳川家康・秀忠(泰「大樹父子」/舜「駿州前将軍」)、淀を発ち大坂表へ出陣する。後陣は徳川義直(「尾張宰相」)・徳川頼宣(「同少将」)。供には佐竹義宣。公家衆二条にてこれを見送る〔舜旧記・泰重日記〕
・細川忠興(「豊前之越中忠興」)、急遽上洛する〔舜旧記〕

六日(晴天)
・大坂表にて合戦。大坂方(「大坂衆」)の敗北に終わる〔泰重日記〕

七日(晴天)
・大坂表の合戦続く。この日の昼八時(午後三時)より夜半時(午前一時)まで清涼殿の屋根より大坂城の戦火が見える。また、京にて大坂落城の風聞が流れる(泰)〔泰重日記・舜旧記〕
・明石全登(「赤石掃部」)、木村重成(「木村長門」)の討死の噂が届く〔鹿苑日録〕

八日(泰:晴後雨/舜:天晴→夜大雨)
・巳刻(午前十一時)ごろ〔舜〕、秀頼(舜・言緒・鹿苑「秀頼公」)、茶々(本光「御袋」、舜「同御袋」)自刃する。
・井伊直政(「井々掃部」)・安藤重信(「安藤対馬」)、秀頼主従の籠もる蔵に鉄砲を撃ちかけたという〔本光〕。
・梵舜は、その他女中が二十人ほど秀頼母子の供をして自害し、二万の兵が討ち死にしたと記す〔舜旧記〕
・自刃の場所は唐物倉〔本光国師日記〕、矢倉〔言緒事記〕、芦田曲輪〔徳川実紀〕。大坂は炎上した〔鹿苑日録〕
・東福寺において、秀頼のために「崇陽寺殿秀山居士」と祠堂する〔東福寺位牌記(東福寺誌)〕京にて、大坂の徳川家康本陣を見舞うか否かの話し合いが行われる。大坂落城の報にふれ、この見舞は延期される〔泰重卿記〕
・また土御門泰重ら公家衆、禁裏へ赴き、長橋局を通じて大坂落城を知らせる〔泰重卿記〕
・夜、徳川家康(「大御所様」)が大坂より二条城へ帰る。

九日(晴天)
・諸公家、秀頼(義演・泰重「秀頼公」)と茶々(義演「御母儀」)自刃の報を聞く。哀れまないものはなし(泰重「毎人皆無不哀傷候」)という〔義演准后日記、泰重日記〕

十二日
・秀頼女(駿「秀頼御息女七歳」、相「台徳院様御孫姫君、正二位右大臣豊臣秀頼公息女也、大坂一乱之後、天樹院様御養女ニ被為成」)、京極忠高(「京極若狭守」)の手により捕らえられる。千、この姫を養女とする。家康(「権現様」)の命令で鎌倉東慶寺十九世の瓊山清和尚(喜連川頼純女)の弟子として入寺する。その際、家康より縁切法の護持を約させ、後に、忠長(「駿河大納言」)邸をもらいうけ東慶寺の客殿仏殿などを再建する〔駿府記、相州鎌倉松ヶ岡東慶寺由緒書写〕

十三日(雨降)
・法中衆、二条城にて礼参あり。ただし、豊国神社関係者は大坂の件でこれを控える。萩原兼従・梵舜はこれより豊国神社保持を家康に申し入れるべく、金地院崇伝・板倉勝重など徳川方の有力者へ贈答などの働きかけを続ける〔舜旧記〕

十八日(天晴)
・秀吉の月忌も、大坂の穢れにより豊国神社での神事の大方が略される。萩原兼従も参加せず。〔舜旧記〕

十九日
・梵舜、家康側近の亀屋栄仁(「栄仁」)に進物・音信をおくり、豊国神社の社領安堵を懇願する。〔舜旧記〕

二十日
・真田信繁夫人大谷氏(駿「真田左衛門佐妻女」、浅「真田左衛門佐女房」)、紀伊伊都郡にて浅野長晟(「浅野但馬守」)の手にとらわれる。その際、秀頼に賜った来国俊の脇差を所持しており、長晟に献上する〔駿府記、浅野家旧記〕

二十一日
・国松丸(「秀頼御息八歳」)、伏見農人橋で捕らわれる〔駿府記〕または傅役の田中六左衛門、乳母、小姓と共に逃れ、枚方にて妻木雅楽頭に捕らわれ、青木伯耆守によって伏見へ連行され、板倉勝重(「板倉伊賀殿」)に引き渡され、その後加賀衆の材木屋に預けられるとも〔駿府記、大坂御陣山口休庵咄〕

二十三日(残雨のち晴天)
・未刻、国松丸(泰重卿記「秀頼ノ若公」、舜旧記「大坂秀頼公之若君」、駿府記「秀頼御息八歳」)、慶「国松殿」、若狭より連れられ〔泰重卿記〕、六条河原にて斬られる。
傅役田中六左衛門(「乳母男田中六左衛門」、京極家家臣)、十二、三歳の小姓(「京極殿大津之蔵屋敷奉行宗語と申ものの忰」)、六歳の仙石宗也子息も同時に誅され、乳母は赦される。処刑を見た人々は、みな国松を哀れむ〔舜旧記〕。
土御門泰重(織田信包の曾孫)は翌日これを耳にし哀れむ〔泰重卿記〕。
なお、この処刑の日(二十三日、申酉間)は金地院崇伝が吉凶を占ったものである〔本光国師に日記〕
・徳川秀忠(「江戸将軍」)、二条城に入る〔舜旧記〕

二十七日(天晴)
・千(「姫君様」)、清水寺・祇園寺・三十三間堂・東山大仏を見物する。豊国神社へは、大坂の穢れのために参詣を遠慮する〔舜旧記〕

二十八日(雨降)
・片桐且元(「片桐市正」)、病により京都で死去する。大徳寺にて葬られるとのこと〔舜旧記〕


六月

一日(天晴)
・大坂の穢れにより、豊国神社の神事が省略される〔舜旧記〕

四日(天晴)
・京都大徳寺にて、片桐且元(「片桐市正」)の葬儀が執り行われる〔舜旧記〕

五日(天晴)
梵舜、板倉勝重(「板伊州」)より、豊国神社の社領を幕府に差し出すべき旨の書状を受け取る〔舜旧記〕


閏六月

一日(天晴)
・梵舜、豊国神社存続のため、連日二条城に家康を訪れる。しかしあまり対面を許されず〔舜旧記〕

九日(天晴)
・梵舜、瑛侍者を連れて寧(「政所様」)を訪ねる。対面あり〔舜旧記〕

十一日(天晴)
・豊国社社殿の金具が盗難にあう〔舜旧記(同年七月二日条)〕


七月

九日(天晴)
・梵舜、豊国神社について、神事が大仏殿に移され、社頭は一円に廃される旨を金地院崇伝(「傳長老」)の秘かな使者より聞く〔舜旧記〕

十日(天晴)
・板倉勝重(「板伊州」)より呼び出され、神官知行を悉く召し上げる旨通知される。梵舜、寧(「政所様」)を訪れ、事の顛末を報告する〔舜旧記〕

十一日(天晴)
・「御神事御神供為祝奉備、各涙洩、御供令頂戴也、今日毎朝御供奉納闕也、神慮中々在恐也」〔舜旧記〕


八月

六日
・豊国社神社の鐘を知積院へ渡す〔舜旧記〕

八日
梵舜、塩を断ち薬師如来へ願を掛ける〔舜旧記〕

十四日(天晴)
梵舜、豊国神社校倉内、唐装束之長櫃について寧(「政所様」)と話す〔舜旧記〕

十六日(天晴)
板倉勝重(「板伊州」)の指図により、豊国神社撞鐘・巫女屋敷二十帖・神供所十帖を知積院へ渡す。引き渡しを迫られ、是非もない様子だったという〔舜旧記〕

十八日
片桐貞隆、豊国社に参詣する〔舜旧記〕

十九日
豊国神社護摩道具を吉田神社へ渡す〔舜旧記〕

二十日
豊国神社神具を吉田神社へ渡す。豊国神社倉庫を大仏へ移築〔舜旧記〕


九月

十六日
・梵舜、豊国神社社頭にて百日日参祈願を始める〔舜旧記〕

十七日
・梵舜、貴船神社に参拝する〔舜旧記〕

二十八日
・幕府、板倉勝重(「板倉伊州」)に命じて、東福寺において文英清韓の所持していた書籍・長持などを探索させ、同寺にこれを保管させる〔金地院文書(東福寺誌)〕


十月

七日
・豊国神社神官衆が離散する〔舜旧記〕

十四日
・東福寺文英清韓、方広寺鐘銘により捕縛される〔金地院日記(東福寺誌)〕

十七日
・文英清韓、方広寺鐘銘により台首座譲状などを検査される〔金地院日記(東福寺誌)〕

二十四日
・北山鹿苑寺より、文英清韓の織帯二筋が幕府に届出される〔金地院日記(東福寺誌)〕


十一月

四日
・幕府、禁中にあった文英清韓所持の「四河入海」、「帳中香」などを押収する〔金地院日記(東福寺誌)〕


十二月

七日
・梵舜、鞍馬寺へ参詣する〔舜旧記〕
十八日
・妙法院(常胤法親王)が豊国神社の参道を塞ぐ〔舜旧記〕



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