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茶々姫をたどる汐路にて

茶々姫研究日記(こちらが現行版になります)

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大坂の陣、茶々・秀頼武装の有無

 
昨年、あまのかるも様のところで大坂の陣のときの秀頼・茶々について書き込みをさせていただきました。
まだ大河ドラマ鑑賞は中断したままなのですが、見ていない状態での私の考えを長々と書かせていただいたので、備忘録も兼ねて、こちらにも書きます。

○大坂の陣、秀頼武装の有無

大坂の陣のエピソードですが、なんだかんだあって秀頼は結局出陣はしませんでしたが、「出陣しようとしていてその機会を逸してしまった」という描かれ方をされますので、おそらく武装はしていたのではないかと思います。
この間姫路の千姫展では「伝」ですが、秀頼の陣中床机がありましたし、『江の生涯を歩く』で大信寺に千が忠長の供養に秀頼の陣羽織から仕立てた袈裟が残されていると紹介されていました。史料を読んでいても、秀頼はしっかり陣頭指揮をとっているように見受けられます。

○大坂の陣、茶々武装の有無

逆に茶々の鎧姿の件ですが、『当代記』に茶々が鎧を着て番所の見回りをしていたという記述があり、『駿府記』に茶々が万事指図をしているために兵たちが色を失っているという記述があります。後者(『駿府記』)は他の史料と照らし合わせて事実秀頼が指図をしている様子が見受けられますし、当時は女性が鎧を着て戦場で指図することは珍しくないことと知っていたので、ある程度茶々に対する悪意を前提とした記事なのだな、と思っていました。しかし前者(『当代記』)は文面通り私も茶々が武装していたのだと考えていたのですが、前者も後者同様、又聞きの形で書かれた史料であることを指摘され、そういえば、と思っております。
小説ではありますが、植松三十里さんの『千姫 おんなの城』でも、この記述も敗者に着せられた「汚名」であり、茶々が戦場の兵士を慰問していたという事実が捻じ曲げられていたのでは、という解釈で、小説ながらなるほど、と思いました。
別の方(いつもお世話になっております)からの情報ですが、当時織田頼長が遊女に武装させて大坂城を見回りさせていたことに、周囲から大変不興を買っていたという史料があるそうで、その方はそれとの混同があるのでは、と仰っておいででした。
我ながら、茶々姫贔屓を自負しておりましたが、無意識のフィルターがまだまだあるのだと痛感させられた一件でした。

茶々姫をたどる汐路にて

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Comment

1. 無題

群馬の地方誌「上州路」の「幻の三代将軍 徳川忠長」に大信寺の宝物が出ていたと記憶してます。実物がどこかに入ってしまい詳細は申し上げれずすいません。ただ、もう品切れかも知れません。

2012.03.03 | ダイナゴン[URL] | Edit

2. 無題

何しろ、あの時代の鎧は大変な重量がありますから、野戦においても 敵といよいよ遭遇するまでは装着しなかったようですね。

陣中でいつも鎧甲でいるのは、映画やテレビ向け?

いざ城外に打って出るという場合を除いて、比較的安全な城内では どんな格好をしていたのか、勿論茶々様や秀頼公が士気を鼓舞するため城内を巡察する時にはそれなりのスタイルだったと思いますが、余り重装備ではすぐに疲れてしまうので、軽武装というか、軽装備姿だったのではないか、と想像しています。

2012.03.06 | 渡邊markⅡ[URL] | Edit

3. Re:無題

>ダイナゴンさん

貴重な情報ありがとうございます!
どこかで見ることができないか早速探してみます^^

2012.03.06 | 紀伊@赤石いとこ[URL] | Edit

4. Re:無題

>渡邊markⅡさん

確かに、普通に考えれば、後に徳川家茂が戦国時代以来変わらない重い鎧を着けて体の負担が云々というエピソードをドラマでもよく見ますから、当時の武将たちも同じであるはずですよね。

さすがに始終鎧姿というのは現実味がありませんが、ドラマなどでよく見る陣羽織姿が陣中の普段の姿だったのでしょうか。

2012.03.06 | 紀伊@赤石いとこ[URL] | Edit

5. 無題

紀伊様
武徳編年集成、69 4
大坂より脱出の卒を捕へ糺する処、淀殿甲冑を著し二三人戎衣して城中を巡視せらるとあります。

伊勢一身田ですが、犬山織田信康の息女が堯真に嫁ぎ堯秀を天正十年に産んでいます。
 その後は感心外なので(笑)資料がありません。系図を見ると堯真の子に鶴子というのが、秀吉の侍女として仕えてたみたいで、伏見地震で圧死しているようです。元和三年秀忠から寺領を寄付のがありますので、これが江との接点かもしれません。
 長丸母が、犬山織田家縁だとすると、このあたりが怪しいかも?と思っていたこともありますが、何も出てきません。

2012.03.08 | k2[URL] | Edit

6. Re:無題

>k2さん

ご指摘ありがとうございます。
『武徳編年集成』の記載は、成立年代と内容から考えて、記事に挙げました『当代記』及び『駿府記』を引用したものだと思います。
私としては、武将が戦っている中、城の奥で悠然とされているよりも、城兵を鼓舞していたというほうが「好み」ではあるのですが、「好み」であるばかりに記事に疑問を持たなかったなあと反省した一件でした。

堯秀の件についても、ありがとうございます。
いつも九条忠栄とともに江戸へ参府していますから、江とはもちろん、九条家とも何らかのつながりがあったことは想像できるのですが…なんともスッキリしません。
でも、手掛かりをいくつも頂き、ありがとうございます。

長丸生母についても、どこかに史料が残っているといいのですが。

2012.03.08 | 紀伊@赤石いとこ[URL] | Edit

7. 無題

紀伊@赤石様 恐れ入りますがこちらの写真はどこの場所でしょうか。お教え頂ければ有り難いです。

2012.03.25 | 田中[URL] | Edit

8. Re:無題

>田中さん

大阪城にある供養塔ですよ。

2012.03.26 | 紀伊@赤石いとこ[URL] | Edit

9. Re:無題

>紀伊@赤石いとこ様

ご回答ありがとうございます。左側に黒でなく白い花がありますが、太融寺さんといい大阪府民の方に供養されていると思いました。

2012.03.28 | 田中[URL] | Edit

10. 大坂城と太融寺

紀伊@赤石様

最近久々に大坂城と太融寺を訪れました。太融寺さんには白い花が置かれていましたが、太閤様は白い花に重きを置いている教えに厳しい部分もあったようなので、太閤様がいらっしゃる間に白い花を飾るのはなかなか勇気のいることと考えられます、淀殿は白い花を現代人が思うほど観賞できたのかなと思いました。

2012.09.04 | 田中[URL] | Edit

11. Re:大坂城と太融寺

>田中さん

どうでしょうね。
お寧さんと菖蒲や桜のお花見をした記録もありますし、俗説の黒百合はともかく、白百合辺りはたのしまれていたのではないでしょうか。

とはいっても茶々姫がお好きだったと伝わるのは萩や都草といった可愛らしいお花ですが…

2012.09.24 | 紀伊@赤石いとこ[URL] | Edit

12. Re:Re:大坂城と太融寺

>紀伊@赤石いとこさん

PCつながっていない時にコメントし申し訳ないです。教えという見方ですと白い花はどうなのかなと思われますが、茶花という見方でしたら百合は多用されているようですので、場合によったら茶室があったといわれる山里丸は百合が多かった可能性もあります。信長公や家康公は朝廷から目の上のたんこぶのように思われがちだったように感じられたので、太閤様や淀殿はあの時代にあっては信長公や家康公とは違った対応を朝廷からされていたのかなと思いました。

2012.09.25 | 田中[URL] | Edit

13. 大坂城

以前に大坂城の山里丸付近に行った際にこの写真の場所を訪れました。多分大阪府民の方等が供養のためにこのような場所を作っているのでしょうけど、養源院さんや妙心寺さんなど豊臣家の菩提寺とは違う形式なため若干の違和感を感じました。ただ、大坂の陣の戦没者の供養であれば豊臣家だけではないので大阪府民の方等のそれぞれの思いがあるのでしょう。あと、話題が変わりますが当時の公家等の日記に杉原を送った等と書かれていて、杉原とは一体何だろうと疑問だったのですが、兵庫県を訪れた際に杉原和紙の産地と書かれているのを見て、和紙だったのかと納得しました。

2014.07.10 | 田中[URL] | Edit

    
プロフィール

紀伊

Author:紀伊
茶々姫(浅井長政の娘、豊臣秀頼の母)を中心に、侍女、ご先祖の浅井家女性(祖母井口阿古など)、茶々の侍女やその子孫、養女羽柴完子とその子孫を追いかけています。
ちょこっとものを書かせていただいたり、お話しさせていただくことも。





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メモ「赤石いとこ」名義で記事を書かせていただきました。

悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ) 悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ)(2009/06/06)
…改めて石田三成と茶々姫の“不義”を否定する記事を書かせていただきました。


メモ 参考資料としてご紹介いただきました。

めのとめのと
…茶々の乳母大蔵卿局を主人公描く歴史小説。茶々の祖母阿古の活躍も見どころ。
千姫 おんなの城 (PHP文芸文庫)千姫 おんなの城
…千の生涯を描いた作品。千が見た茶々をはじめとする人々の生き様、敗者が着せられた悪名が描かれる。


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