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茶々姫をたどる汐路にて

茶々姫研究日記(こちらが現行版になります)

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九条忠栄(幸家)と豊臣完子の七人の子どもたち(改)

 
完子の子とされている人たちについて追いかけてみました。系図上では全員完子の子として記録されており、生年も問題ありません。一応念には念を入れて裏を取ってみたいと思います。
康道・道房・序・日怡は固いですね。
道基の「庶子」は引っかかりますが、彼は幼い時から忠栄がかなり可愛がっていて、学問に励ませたり、兄たちと頻繁に交流しているんですよね…。二条家の嫡子たる康道や九条家の嫡子たる忠象同様に乳母をつけられていますし(玉松や竹、祢々といった人にも乳母がいるようですが)、後に摂関家に名を連ねますし。『幸家公記』には完子との関係も伺えます。
とはいえ、通・栄厳はもとより、忠栄についても裏付けるにはいかんせん史料が少なすぎます。

子が多いといえば、長女序所生の子も十人を数えますが、生年には問題なさそうなんです。(母については朱書による情報で、後記かもしれませんが)
光従の子で他の女性所生の子はそうだと記録されていますし、他の代では、もっと家女所生の子は多く記録されていました。なので、光従の子だけが書きかえられているようには思いません。

かなり『康道公記』『道房公記』を通読したいです。もしくは現存していない『幸家公記』の他の部分が出てこないものか…

○二条康道(後浄明珠院) 慶長十二(1607)年一月二十四日 ~ 寛文六(1666)年七月二十八日
幼名:松鶴〔孝亮宿禰日記〕
慶長十六年、五歳の時で二条昭実の「猶子」〔孝亮「猶子」、義演准后日記「猶子」、「養子」、九条家譜「猶子」〕となる
慶長十八年十二月七日、元服する(「二条殿御養子九条殿ノ一男七歳、昨日元服」)

・乳母:「二条殿御乳」〔幸家公記〕

・完子の月忌や一周忌、七周期に供養した写経(東福寺蔵)
・「若政所殿(完子)、二条殿(康道)為御見廻入夜帰了、」〔幸家公記〕
…完子が康道邸を見舞に訪れる様子が書かれている。
・「母従二位豊臣完子」〔二条家譜〕
・完子の死後、幸家・康道・道房が揃って弔問を受けている〔石川日記〕

(妻)
斎宮貞子内親王(女五宮/貞了院永輝元寿/後陽成天皇第五皇女、生母中和門院近衛前子/慶長十二(1607)年三月二日~延宝三(1675)年六月十六日、元和九(1623)年十一月二十四日入輿)〔執次詰所記〕「斎宮(いつのみや)」〔泰重卿記〕〔尭恕法親王記〕〔中原章成日記〕〔続史愚抄〕「斎宮 イ逸宮」〔執次詰所記〕〔御系譜〕

(子女)
・光平(後是心院/寛永元(1624)年十二月十三日~天和二(1682)年十一月十二日)…母は斎宮〔諸家譜〕〔御系譜〕〔執次詰所記〕
・華山仙□(慈受院五世/~寛文十一(1671)年六月十五日)…長得院墓地に墓碑あり
・瑞照院日通(瑞龍寺三世/養父は九条兼晴/承応二(1653)年~寛文十二(1672)年七月十七日)…瑞龍院歴代墓所に墓碑あり

○九条忠象(道房、後浄土寺) 慶長十四(1609)年八月十三日 ~ 正保四(1647)年一月十日
・慶長十八年十二月二十一日、兄の半月後元服〔時慶記〕(「九条殿御元服五才ト」)
・乳母:「忠象卿御乳」〔幸家公記〕

・「此尼(日秀)者、余母儀来北政所親類也」〔道房公記〕
・「杉原十帖・末広壱本者、忠象卿より堀中将とのへ/但自内儀(完子)持進候也、」〔幸家公記〕
…忠象名義の贈答を代理で完子(「内儀」)が渡している様子が描かれている
・「母従二位完子、参議豊臣秀勝女」〔九条家譜〕
・「母従二位完子、贈太政大臣源秀忠女、実参議豊臣秀勝女」〔諸家譜〕

(妻)
松平鶴(長子/廉貞院機爽俊巧大禅定尼/従三位/松平忠直女、徳川家光猶子、母は徳川勝/元和四(1618)年六月六日~寛文十一(1671)年九月十九日)〔東福寺誌/両檀歴代御廟位〕

(子女)
・寵(逸?/芳雲院/浅野綱晟室/母は松平鶴) …「長女」〔東福寺誌/両檀歴代御廟位〕、〔寛政重修諸家譜〕〔景永君御伝記〕
・令(~寛文二(1662)年十月十三日〔産褥により死去〕/光応院晴雲/本願寺光晴室)  …「二女」〔東福寺誌/両檀歴代御廟位〕〔大谷嫡流実記〕〔系図纂要
・梅(豊光院貞誉祐清尼公/松平綱賢室/~寛文七(1667)年三月八日)…「三女」〔東福寺誌/両檀歴代御廟位〕〔雍州府志〕 …松平綱賢は鶴の兄光長の嫡男。
・待(慈雲院等岳妙興大姉/母は松平鶴/九条兼晴室/~寛文九(1669)年七月七日)…「四女」〔東福寺誌/両檀歴代御廟位〕
・八代(稱専院/浅野綱晟継室) …「五女」〔寛政重修諸家譜〕〔九条家譜〕

○序(成等院如従/本願寺光従〔宣如〕室) 生年不詳~延宝八(1680)年

・「姉姫(序)瑞龍寺殿へ同道」「瑞竜寺殿姉姫(序)同道来儀」〔幸家公記〕元和六(1620)年十一月十九日、二十三日
…序が日秀と行動をともにしていることがわかります。
・「崇源院殿御法会結願なれば、増上寺に詣給ふ。(中略)九条前関白幸家公幷右大将道房卿も。この御法会に参拝せんとて。七月より滞留せられ。けふ焼香あり。東新門跡光従。専修寺門跡堯秀も同じく進香す。これは崇源院殿いまだ丹波中納言秀勝のもとにおはせし時設給ひし御女。幸家公の政所に定まり給ひ。右大将も光従の北方も。みな政所の御腹なれば。とり/\ふかき御ちなみあるゆへなるべし。」〔大猶院殿御実紀〕寛永九年九月十五日

・元和九(1623)年八月三十日輿入れ〔大谷嫡流実記〕

〔子女〕
・琢如光瑛(本願寺十四世/茶々丸/寛永二(1625)年七月二日~延宝八(1680)年十二月十三日) …〔大谷嫡流実記〕「御母成等院尼」〔大谷家譜〕「母九条氏関白幸家女」〔系図纂要〕「母九条関白幸家公女 成等院如従」
・従高(字方円/霊瑞院法印権大僧都宣澄/阿茶丸/長浜大通寺住持/寛永三(1626)年~延宝八(1680)年〔大谷嫡流実記〕/天和元(1681)年〔系図〕十一月二十五日) …〔系図纂要〕
・長(恵光院住持宣慶康授室、離別後恵聖院弟子/瑞華院春嶺聖心/寛永六(1629)年~〔大谷嫡流実記〕寛文七(1667)年四月二十九日〔系図纂要〕元禄三(1690)年十二月二十六日) …〔大谷嫡流実記〕「同母」、〔系図纂要〕「母同」
・世牟(光耀院如幻/寛永八(1631)年~同十七年九月四日) …〔大谷嫡流実記〕「同母」、〔系図纂要〕「母同」
・佐奈(照蓮寺住持宣心従純室/瑤台院宣純/寛永十(1633)年~寛文七(1667)年六月二十七日) …〔大谷嫡流実記〕「同母」、〔系図纂要〕「母同」
・栄芳院宣通(万里小路雅房室/寛永十二(1635)年~宝永四(1707)年十一月十五日) …〔大谷嫡流実記〕「同母」、〔系図纂要〕「母同」
・宣縁従因(大信寺/藤丸/智光院法橋権少僧都/寛永十四(1637)年八月~寛文十二(1672)年七月十四日) …〔大谷嫡流実記〕「同母」、〔系図纂要〕「母同」
・於天(教行寺住持宣誓従海室/彩雲院宣海/寛永十六年(1639)~宝永六(1709)年三月十三日) …〔大谷嫡流実記〕「同母」、〔系図纂要〕「母同」
・宣因(乙丸/光触院/寛永十八(1641)年~正保二(1645)年十月十五日) …〔系図纂要〕「母同」
・浅井左兵衛(尚丸/宣政/松雨軒/一実院慈渓/慶安二(1649)年~宝永五(1708)年十二月三日) …〔系図纂要〕「母同」

○通 (つう/貞梁院良尊〔御系図、大谷本願寺通紀歴世宗主伝〕、貞梁院良高〔良如宗主歴伝〕/本願寺光円〔良如〕室) 慶長十八(1613)年十月十三日〔時慶記〕~寛永九(1632)年十二月二十三日
・寛永二(1625)年輿入れ〔本願寺家系〕
・貞梁院如高絵像(西本願寺蔵)

・「姫両人禅さまへ参候也」〔幸家公記〕元和九(1623)年五月七日
…通の動向を知る数少ない一次史料

・「九条左大臣藤原道房卿へ嫁女子二人出生其女子二人トモニ本願寺東西門跡将軍家ト御信仰ト云」〔将軍外戚伝〕
…姉妹の母を娘完子ではなく江であると誤伝しているが、東西の門跡の妻は江の血筋とする。

〔子女〕長女勘(かん、閑、感、貞照院良春〔本徳寺系譜〕、貞昭院/亀山本徳寺昭澄室/寛永六(1629)年二月十五日~元録四(1691)年四月十八日/寛永十八(1641)年十二月二十七日鉄漿、寛文八(1668)年演慈院の養子となり 東本願寺に転派し船場本徳寺に入る)、次女赤良(あかやや/寛永八(1631)年七月二十日~同九(1632)年十月三十日)、「御子御所」(/寛永九(1632)年十月二十一日~同年十二月十一日/『石川日記』系図・『系図纂要』には男子とあり、「本願寺家系」には女子とある。)〔本願寺家系、系図纂要、石川日記〕

・完子が没する直前、良如が幾度も見舞に足を運んでいる。また、葬儀にも出席するつもりであったが、病により欠席、三日後の法事にて焼香する〔石川日記〕。

〔メモ〕早世したこともあり、全体的に史料が少ないです。三女の誕生時期から、産後の肥立ちが悪く夭折したものと思われます。享年二十歳。

○松殿道基(道昭、泰雲院) 慶長二十(1615)年二月十七日 ~ 正保三(1646)年六月十二日
幼名:千世鶴(『幸家公記』、『資勝卿記』)、千代鶴(『大内日記』)、千代鶴丸(「大猷院殿御実紀」)
通称:千世、千代(『幸家公記』)

・「千世御乳」〔幸家公記〕

・「泉州参徳勝院供也、於書院振舞以後瑞殿(日秀)内義(完子)千世(道基/五歳)初而被謁之了、」〔幸家公記〕元和六(1620)年十一月二十三日
・学問のため千世鶴が万寿寺へ通う際、茶道具一式を完子(「内義」)が用意している〔幸家公記〕元和九(1623)年四月十四、十五日
…日秀、完子、千世鶴が揃って藤堂高虎に面会した様子が描かれている。
・「庶子千代鶴丸」(「大猷院殿御実紀」) …字面通りの意味?嫡子ではないという意味?
・「母従二位完子、参議豊臣秀勝卿女」(「諸家譜」)

許嫁:水戸頼房長女・通子
「女 道子 松殿右大将道昭室/後称恵了院」(「改選諸家系譜」)
恵了院達心日具 寛文四年十一月四日没 墓所:経王寺→水戸徳川家墓所〔水戸徳川家墓所〕

○栄厳(東大寺別当、随心院住持、大僧正、本浄院、本輪院) 元和八(1622)年~寛文四(1664)年閏五月十日 
幼名:玉松?〔幸家公記〕元和九年

・「玉松御乳」

・完子寄進の隋心院薬医門、玄関、書院
・元和九(1623)年五月七日、完子と「玉松」がともに「玉松御乳」の父を迎え、進物を受ける。〔幸家公記〕
・「母丹波少将季勝女」〔華頂要略門跡伝〕
・伝法灌頂の際、長兄康道(「先摂政殿 受者御舎兄」)、父幸家(「九条御所 同御父」)、三兄松殿道基(「松殿 同御舎兄」)が同席。〔醍醐寺文書〕

○瑞円院日怡(瑞龍寺二世) 寛永二(1625)年三月二十八日~寛文四(1664)年二月三日

・「此比丘尼寺者、豊国大明神秀吉太閤事之姉(日秀)為尼隠居、此所之地也、此尼者、余母儀北政所(完子)親類也、仍彼尼自在世之時、約束余妹前殿下末子、為弟子、雖然、当時将軍家、与秀吉太閤流、依為不快、先年領地今没落右大臣秀頼与東照権現合戦以後也、相続難叶之処、今度当年(寛永十八年)四月二十八日、従将軍家、被仰寺領之事、其間事等也此寺従先尼、為日蓮宗、雖不快宗、先尼、此宗門、今更難改易」〔道房公記〕寛永十八(1641)年六月一日
・「余最末妹、向瑞龍寺、明日依落髪也、為彼寺尼、子細記右、前殿下(忠栄)御物語云、此瑞龍寺ノ号物者、先年先尼日秀依望申、為比丘尼御所、従内裏下賜此寺号了、」〔道房公記〕寛永十八(1641)年七月二十三日
・「前殿下(忠栄)幷北政所(完子)、令向瑞龍寺給、未封余於伴四位少将向彼寺、(中略)、従女院御方(和子)、賜樽肴物、於瑞龍寺、御使権大納言(局/和子側近)、摂政(康道)来臨、東寺(本ヵ)願寺光従、同北方(序)被来訪、有小膳事、盃夥数及、権力大納言局列座法名日怡、」〔道房公記〕寛永十八(1641)年七月二十四日

…「日秀が完子の親族であるために、生前より妹を弟子とすることをのぞんでいた」という記述から、日怡が完子の血縁であったことが伺えます。また落髪の日、忠栄、完子、康道、道房、序が瑞竜寺に揃っていることも注目されます(通は既に他界)。

○〔幸家公記〕に見える九条家周辺人物の名前
「房」 …瑞龍寺へも見舞に訪れている。忠栄の乳母?
「竹御乳」(天和元年十二月) …千世鶴の脇差代のやりとりの際、九条家の取り次ぎを務める
「祢々御乳」(元和六年閏十二月十七日) …忠栄父兼孝より忠栄の子息たちが小袖代を貰った際取り次ぐ
「祢々さま」(元和九年五月三日)

「姫さま(序)・祢々さま・若政所殿(完子)」と出てくるので、祢々は親族のようなのですが。通の本名でしょうか?では、序の本名は竹?…なんとも言い難いです。玉松=栄厳は固いと思っています。

最近いろいろと史料を再確認しています。
もうちょっとこんなメモ代わりな記事が続くかもしれません。基本的に私の記事はほぼメモ代わりなのですが…(苦笑)
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Comment

1. 無題

序君の子供達について、ブログに載せて頂きありがとうございます。いつもの事ながら大変参考になります。
さて序君ですが、1611年頃の生まれかなと勝手に推測しておりますが、没年は系図纂要にしか記載が無いのですかね?大谷嫡流実記にも記載が無いのですね…。
昔の本願寺手帳には、代々裏方の院号が載っていた聞きました。貞梁院についても、貞梁院殿如高尼?と、貞梁院釋尼如高?で微妙に違うのだとか。残念です。

2011.11.07 | はなひめ[URL] | Edit

2. Re:無題

>はなひめさん

こちらこそ、完子の娘たちに関してははなひめさんなくしては情報を得ることができませんでした。ありがとうございます。

序について、『大谷嫡流実記』は輿入れの日しか見つけられませんでした。
娘たちの中で、序が一番史料が多いように思うのに、生没年が分からないのは不思議ですね。本願寺さんの記録にありそうなものですが…

序の子どもたちは、没年と亨年しか載っておらず、生年は計算したものですので、間違いがありましたら申し訳ありません。

通の戒名を教えていただき、ありがとうございます。
どちらにしても院号が貞梁院、法名が如高ということに違いはなさそうですね。出典は過去帳でしょうか。その辺りの記録もぜひ公開していただきたいです。
特に、序、通、二人の行動は東西本願寺さんの史料などに残っているのではないだろうかと思っています。門跡さんの行動を記録した日記とかありそうなのですが、どうなのでしょう…

2011.11.08 | 紀伊@赤石いとこ[URL] | Edit

3. 無題

こちらこそ、いつもお世話になっております。
ありがとうございます。

不勉強で恥ずかしいのですが、『大谷嫡流実記』はどちらでご覧になったのでしょうか?
国立国会図書館とかでしょうか?
いろいろ探してみたのですが、どちらで閲覧もしくは入手出来るのか、私にはお手上げ状態です。
差支えなければ教えていただければ、幸いです。

2011.11.09 | はなひめ[URL] | Edit

4. Re:無題

>はなひめさん

私は幸いにして地元の図書館に所蔵されていたので複写できました^^

2011.11.09 | 紀伊@赤石いとこ[URL] | Edit

5. ありがとうございます

ありがとうございます。
国立国会図書館では置いていないようですね…。地元図書館は近隣市町村としかお付き合いが無いそうなので借りられず、借りる事が出来たとしてもコピー不可なので微妙です…。

話しは変わりますが松平忠明女についてネット上で検索したところ、こちらのブログにヒットして驚きました。さすが紀伊様、深く広くお調べですね。ブログは総て拝見していたと思っていたのですが、見落としていたようです。
もう一人の“小督”こと藤本氏は、葉隠にも載っていましたね。彼女の娘はネット上ではムリ姫で定着していますが、光茂譜考補及び龍造寺並鍋島家譜では名前はお利(トシ)様でした(古い記憶ですが)。鍋島家譜(肥前蓮池)で名牟利とあったので、それが定着したのかもしれませんが。

2011.11.10 | はなひめ[URL] | Edit

6. Re:ありがとうございます

>はなひめさん

『真宗史料集成』7巻、国会図書館ありました。私が複写を持っている版と同じか分からないのですが、「伝記・系図」となっているので「大谷嫡流実記」が入っていると思います。

松平忠明女について、私もピンと来ず自分で検索してしまいました(笑)
「ムリ」はどこで調べたのか覚えていません…未確認だったらごめんなさい。
「利」という名前について教えていただきありがとうございます。「牟利」の「利」なのか、「於利」が「牟利」になったのかどちらかなのでしょうか。また史料が見れる機会があれば確認したいと思います。

2011.11.10 | 紀伊@赤石いとこ[URL] | Edit

7. ありがとうございます

『真宗史料集成』7巻に載っているのですね。ありがとうございます。調べてみます。
恵(慧)照院について調べていたのが今から十数年前(汗)なので、於トシ様と何に載っていたのかが思い出せません。彼女の母の藤本氏についても葉隠に妙源院とあるのみで、他に史料が見つけられません。奥平松平家の菩提寺天眼寺にも、該当する人物は見つけられませんでした。また恵(慧)照院についても、調べてみます。

2011.11.13 | はなひめ[URL] | Edit

8. Re:ありがとうございます

>はなひめさん

いえいえ、こちらこそいつもありがとうございます。
『葉隠』もチェックしなければですね。

2011.11.16 | 紀伊@赤石いとこ[URL] | Edit

    
プロフィール

紀伊

Author:紀伊
茶々姫(浅井長政の娘、豊臣秀頼の母)を中心に、侍女、ご先祖の浅井家女性(祖母井口阿古など)、茶々の侍女やその子孫、養女羽柴完子とその子孫を追いかけています。
ちょこっとものを書かせていただいたり、お話しさせていただくことも。





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メモ「赤石いとこ」名義で記事を書かせていただきました。

悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ) 悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ)(2009/06/06)
…改めて石田三成と茶々姫の“不義”を否定する記事を書かせていただきました。


メモ 参考資料としてご紹介いただきました。

めのとめのと
…茶々の乳母大蔵卿局を主人公描く歴史小説。茶々の祖母阿古の活躍も見どころ。
千姫 おんなの城 (PHP文芸文庫)千姫 おんなの城
…千の生涯を描いた作品。千が見た茶々をはじめとする人々の生き様、敗者が着せられた悪名が描かれる。


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