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茶々姫をたどる汐路にて

茶々姫研究日記(こちらが現行版になります)

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江の命日と名前

 

そういえばお江の命日ですね。 最近お江の名前が本当に江だったのか考えてたりします。


posted at 16:34:51

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大雲院特別公開

 

大雲院。信忠座像。お位牌もありそう。後陽成天皇宸筆勅額草、額草年号。軍配団扇、盆石 銘残雪、餓鬼腹花入(開山貞安上人が信長に拝領したもの)。信長画像。信忠画像。丸壷茶入 銘唐丸(貞安上人が秀吉に拝領)


posted at 15:34:01


豊臣秀次の供養塔もなにか展示や解説あるかと思ったけどそんなことなかった pic.twitter.com/tHdylwkBcB



posted at 16:05:43



 

「武士の装い展」@丸亀市立博物館

 

#武士の装い展 @ #丸亀市立資料館 京極の家紋が眩しい 秀頼から京極に送られたにっかり青江さんも気になるところ pic.twitter.com/Zdys8PBbQm



posted at 09:07:56

 

特別企画展「れきはく玉手箱」@兵庫県立歴史博物館

 

兵庫県立歴史博物館の特別企画展、いろいろなジャンルの資史料揃い踏み。個人的には酒井家の家族一覧が面白いです。


posted at 19:53:01


加古川に秀吉の手植えの松(伝)があったとは。今もあるのかな? #れきはく玉手箱 #兵庫県立歴史博物館 pic.twitter.com/xEoWDK2tSf



posted at 14:46:14


この忠次さんの子孫一覧が兵庫県立博物館で見られるよ!(宣伝


posted at 20:40:51


こんなに大河ドラマに酒井さんが出て入るのに、酒井さんツイートに誰も反応しないwさみしいww姫路まで見にきてwww


posted at 01:44:52


真田信吉室松仙院や京極高豊室松寿院も出てきます pic.twitter.com/NlEZfSLrPO



posted at 23:10:09

 

知善院展@曳山博物館(→知善院、長浜豊国神社)

 

いかなきゃ。 茶々の京極高次宛書状は出ないのかな pic.twitter.com/MaWbI6nIn3



posted at 13:51:00


【曳山博物館知善院展①】 ◯知善院蔵豊臣秀頼書豊国大明神神号(慶長6年):↓の発願文に三河村新兵衛尉が寄進したとあり。他のものに比べて華奢な筆かなとも感じたけれど、ハネはしっかりピンと跳ねていた (解説は「ほうこくだいみょうじん」とルビが…)


posted at 13:19:30


【曳山博物館知善院展】 ◯知善院蔵観音堂発願文(元禄13年):町民が観音像・豊国大明神・東照大権現の名号を祀るため建立を計画との記載 知善院には秀吉の木造もあり


posted at 13:20:13


秀頼自筆神号の、神の字の横にくるくると謎の渦巻きを書いたのはなぜか…


posted at 13:21:02


【曳山博物館知善院展】 ◯柿経(こけらきょう)…清水谷知善院跡出土。法華経が記されている。元亀三年の墨書あり ◯硯、瀬戸美濃水注、銅壺、香炉、笹塔婆…清水谷知善院跡出土品、長浜市蔵


posted at 14:33:42


こんな感じ。近いので現地にもお参り。 pic.twitter.com/Q8FrPMDEsg



posted at 14:34:32


過去の図録に、長浜城歴史博物館蔵や長浜八幡宮蔵の秀頼自筆神号、竹生島の慶庵ゆかりの灯籠や観音様があったので入手。 先日読み直した福田先生がとりあげていた侍女こぼ書状に関する太田先生の記事を収録したみーなも入手。 たくさん買って下さるんですねえとボランティアさんに言われたわず(笑)


posted at 14:39:33


豊国神社なう


posted at 14:42:08


豊国神社の字は浅野長勲書 当然、浅野長政の子孫ですが、完子の子孫でもあり。 完子ー九条道房ー寵ー浅野綱長ー吉長ー宗恒ー重晟ー懋昭ー長勲 pic.twitter.com/Jv7HOna7db



posted at 15:21:53



そういえば、知善院展に京極高次宛の茶々姫書状(知善院蔵)が出るかなあと思って行ったけど、ありませんでした あまりでることもないから、残念


posted at 17:07:26


 

瀧谷吟松寺紙本巻物@ヤフオク

 

★資料 寛永15年 瀧谷吟松寺 「・・豊臣御母公淀殿之・・・」 紙本 巻物★ page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/s54… #ヤフオク pic.twitter.com/OkDVx7owpR



posted at 17:22:09

 

堀智博氏「豊臣家中からみた大坂の陣ー大坂落人浅井一政の戦功覚書を題材として」

 

秀頼母子の最期、史実だとどうしてわかるのか。内容が一致=同じ情報源 の可能性は? どちらにしろ、徳川方vs豊臣方の、三者とも徳川方という一方的な、しかも秀頼主従の様子を直接見ていない者の話が何が史実か


posted at 20:42:07


少なくとも、天守閣で浅井一政に自害の教えを受ける秀頼の様子からは、そのような様子は見受けられない 最後までなんとか母(茶々)を生かそうと伝手を辿った様子はよくわかるけれど それも茶々が見苦しく最後まで生き残ろうとしたかのごとく語られる ここでの主語はあくまで秀頼なのに。


posted at 20:45:16


例の『浅井一政自記』の論文を改めて読んだ。学ぶところ多かったけど、茶々に関する記述で、当時の女性の政治関与や豊臣家内の勢力図を明らかにしないままに、悪女の萌芽とか独断とか断ずるのはやっぱり違和感を覚えました。贔屓目のぞいても、根拠と検討が充分とは言えないのでは、と。


posted at 19:54:07


そういえば、こないだの論文、最後の常高院への助命嘆願使者の依頼も、何度読んでも原文で主語は秀頼なのに、表では茶々になってたな。秀頼と茶々は一枚岩ではないということにも言及されてたのに、そこを混同したのはわざと?なのかな?


posted at 21:27:03

 

茶々が絶賛した?毛利輝元室周慶寺(「二の丸」)

 
twitterでフォロワーさんより、山口県で発売されている切手シートに、「淀君が絶賛した」とされる毛利輝元室「二の丸さま」という人物が取り上げられている旨教えていただきました。

切手によると、「周慶寺」と謚され、慶長九年に三十二歳で亡くなったらしい…
毛利秀就、吉川広正室竹姫、毛利就隆三子の生母らしい…
(史料は未確認のため、切手シート情報のみですみません)

この、「淀君が絶賛した」なるエピソードについてのご質問でしたが、浅学の私は全く存じ上げませんでした。
フォロワーさん方にお知恵を拝借できないか尋ねてみたものの、今のところ情報なしです。

しかしながら、気になるので忘備録もかねて改めてブログに書き残します。
 

浅井長政年忌

 

短い一生を駆け抜けた長政パパに黙祷。 離反してなければとは思わないけど、生きて茶々姫のそばにいたならどんなに救いになったかと、「はかばかしき親もなく…」を読むと思います。


posted at 08:20:35

プロフィール

紀伊

Author:紀伊
茶々姫(浅井長政の娘、豊臣秀頼の母)を中心に、侍女、ご先祖の浅井家女性(祖母井口阿古など)、茶々の侍女やその子孫、養女羽柴完子とその子孫を追いかけています。
ちょこっとものを書かせていただいたり、お話しさせていただくことも。





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メモ「赤石いとこ」名義で記事を書かせていただきました。

悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ) 悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ)(2009/06/06)
…改めて石田三成と茶々姫の“不義”を否定する記事を書かせていただきました。


メモ 参考資料としてご紹介いただきました。

めのとめのと
…茶々の乳母大蔵卿局を主人公描く歴史小説。茶々の祖母阿古の活躍も見どころ。
千姫 おんなの城 (PHP文芸文庫)千姫 おんなの城
…千の生涯を描いた作品。千が見た茶々をはじめとする人々の生き様、敗者が着せられた悪名が描かれる。


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