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茶々姫をたどる汐路にて

茶々姫研究日記(こちらが現行版になります)

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放光院くす

 

ウィキのくすのページがなんか残念なことになってる…? 乳母(姥)=乳をあげた女性のことのみになっている(たとえば朝日姫が徳川に嫁ぐ時ついていった乳母は当然幼い頃からの乳母ではなく輿入れに際し選ばれた女性です)し、


posted at 19:51:35


「内」が妻と同義になってる…侍女であっても「〜内」と著されることもあるのでは…?二位局も「大坂二ノ丸ノ内」と説明されていましたし。 参考にうちのサイト(しかも修正が行き届いていない過去の記事…)を書いてらっしゃるけど、そこの見解は昔から変わらないのですが twitter.com/itoko_akaishi/…


posted at 19:52:49



(追記)
いつの間にかうちのサイトが参考から外されてました(苦笑
それはそれで多少もやっとしますが、内容は私の見解とは違う部分が多いので、まあいいか。
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天徳院禰々と前田光高

 

現在野田山の前田家墓所にある前田光高の墓所は最初天徳院にあったそうな s.webry.info/sp/72469241.at…


posted at 18:08:02


天徳院音信の署名は「禰々」なんだよねえ


posted at 18:31:42

 

黒田基樹氏『羽柴家崩壊 茶々と片桐且元の懊悩』

 

浅井一政の茶々に対する辛辣さを見ていると、ああ、まさに中世から近世への最終段階なのかなと痛感する


posted at 23:02:18


羽柴家崩壊読み始めました


posted at 12:17:25


(こんなときに何ですが、『羽柴家崩壊』を読了しました…ぜんぜん「こんな茶々は見たくなかった」ではなかったです。真摯に茶々にも向き合ってくださっていた良書でした。残念なのは帯の煽りだけでした…)


posted at 21:08:09


『羽柴家崩壊』続き。茶々と且元の心の行き違いはよくわかったのだけど、そうなるのますます且元と治長のそれが気になって仕方ない。


posted at 16:43:04


誰かを頼るしかなかったから、信頼する人を信じて頼って生きてきた。 その結果、その人たちをまとめられるほどの絶対的な力を持てなかった。 その人たちの道が違って、茶々は道を見失った。そんな気がする。 誰かのせい、という話ではもちろんないです。


posted at 22:17:21


『羽柴家崩壊』続き。茶々は片桐を信じきれなかった。 且元は父の代からの忠臣、治長は誰よりも茶々のそばで仕えた大蔵卿局の子で兄弟より近しい乳兄、織田常真や有楽は数少ない肉親の一族。 誰を取っても茶々にとって辛い決断だっただろう。 (投稿ミスしてしまった…)


posted at 22:18:45

 

歴人マガジン

 

「秀吉が近江長浜城主だった時代、山名禅高の娘との間に、男子が生まれたと言われています。 その男子誕生を領民が祝ったことが、現在の曳山祭りの起源だとされています。」 石松丸とは書いてない rekijin.com/?p=12592


posted at 22:51:31


秀吉の遺骸と歯、秀頼の手形 rekijin.com/?p=16212


posted at 23:54:06

 

企画展「近江の城を掘る」/講演会「京極氏の城『小谷城』」@安土城考古博物館

 

安土城考古博物館企画展「近江の城を掘る」。浅井氏が京極氏を推戴したことを重要視し、小谷城を京極氏の城として紹介。ほか、上平寺(刈安)城の絵図、長浜城、八幡山城、、大津城、永原御殿などを興味深く拝見。


posted at 15:25:38


小谷城図複製(原本彦根城博物館蔵)原本は彦根藩が所蔵していた絵図。廃城後の曲輪や地名なども記載。これは撮影禁止。残念。


posted at 15:31:46


京極氏を滅ぼす選択をせず、血縁に取り込むという手段をとったということは、京極家の権威もそれ相応の大きなものだったし、それとあえて決別しなかった浅井家はやはり面白いなあと。


posted at 15:36:26


龍や茶々を妻とした秀吉も、貴種好みなどと俗な視点ではなく、近江支配にやはり京極家、それに連なる浅井の権威を重んじたのでは?と学芸員の先生のお言葉。おもしろい。


posted at 15:38:14


同じ安土城考古博物館で聞いた金子先生の講演を思い出す講演でした。義昭ー信長と、京極ー浅井の関係。


posted at 15:40:40


龍が子どもがいなくとも、第3位の高い地位で妻として生涯重んじられたことを鑑みても、京極家の権威という側面も無視できないなと。


posted at 15:42:32


なんか撮影しててあまりゆっくり見れないなう。


posted at 15:46:44


これを踏まえて、忠高が生まれたときに、大蔵卿局が高次に怒った例の書状の件は、代々の京極家と浅井家の血縁をそれだけ重んじていたことを考えると、しっくりきますね。しかも、その仲裁を頼まれたのが、その血縁を背負っていた泉源寺殿(マリア)というさらなるしっくり感。 twitter.com/itoko_akaishi/…


posted at 18:54:11


北村圭弘先生、以前講演を聴講したことがあったはずと思ってブログを遡ったら、8年前で驚きました。 chachahimeblog.blog.fc2.com/blog-entry-796…


posted at 22:48:49


安土城考古博物館企画展「近江の城を掘る」① pic.twitter.com/wP2JgELnx8



posted at 22:53:11


安土城考古博物館企画展「近江の城を掘る」② pic.twitter.com/uISLDzwtfR



posted at 22:53:38


安土城考古博物館企画展「近江の城を掘る」③ pic.twitter.com/TgnDdM2ucG



posted at 22:54:06

プロフィール

紀伊

Author:紀伊
茶々姫(浅井長政の娘、豊臣秀頼の母)を中心に、侍女、ご先祖の浅井家女性(祖母井口阿古など)、茶々の侍女やその子孫、養女羽柴完子とその子孫を追いかけています。
ちょこっとものを書かせていただいたり、お話しさせていただくことも。





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メモ「赤石いとこ」名義で記事を書かせていただきました。

悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ) 悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ)(2009/06/06)
…改めて石田三成と茶々姫の“不義”を否定する記事を書かせていただきました。


メモ 参考資料としてご紹介いただきました。

めのとめのと
…茶々の乳母大蔵卿局を主人公描く歴史小説。茶々の祖母阿古の活躍も見どころ。
千姫 おんなの城 (PHP文芸文庫)千姫 おんなの城
…千の生涯を描いた作品。千が見た茶々をはじめとする人々の生き様、敗者が着せられた悪名が描かれる。


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