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茶々姫をたどる汐路にて

茶々姫研究日記(こちらが現行版になります)

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須磨寺

 

須磨寺詣で pic.twitter.com/7SkMyMmTob



posted at 13:51:38

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洲本城

 

洲本城わず pic.twitter.com/NAlHgRINJE



posted at 21:34:17

 

新出史料 豊臣秀吉直筆茶々宛書状

 

RT @sengoku_walker: 【ニュース】秀吉が茶々に宛てた直筆書状 兵庫の民家から見つかる / 10月、兵庫県立歴史博物館で公開予定 www3.nhk.or.jp/news/html/2017…


posted at 21:39:58


秀吉、優しく愛情豊かな夫だった 茶々への手紙見つかる:朝日新聞デジタル www.asahi.com/articles/ASK77…


posted at 21:40:19


病気の茶々気遣う、秀吉の手紙発見 79年ぶり(神戸新聞NEXT) - Yahoo!ニュース headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170707-… @YahooNewsTopics


posted at 01:43:48


茶々さまお灸苦手だったのね 豊臣秀吉から茶々宛ての手紙 発見(朝日放送) - Yahoo!ニュース headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170707-… @YahooNewsTopics


posted at 01:46:43



まさかの一面でした さすが地元 twitter.com/itoko_akaishi/…


posted at 13:12:02


RT @sanzarutaishou: 【動画】「さすが秀頼のお母さん」秀吉の茶々宛て自筆書状を発見 兵庫・豊岡の旧家 - 産経ニュース www.sankei.com/west/news/1707… @SankeiNews_WESTさんから


posted at 10:18:48


秀頼は8月生まれだから、文禄3から5年の6月かな。 秀吉→茶々宛が5通、うち「おちゃちゃ」宛が3通 【動画】「さすが秀頼のお母さん」秀吉の茶々宛て自筆書状を発見 兵庫・豊岡の旧家 www.sankei.com/west/news/1707… @Sankei_newsさんから


posted at 10:30:06


秀吉と茶々が別の場所にいたことがはっきりしているのは文禄3年6月(秀吉はこの月大坂と伏見を往復、茶々は大坂) 文禄4、5年は秀吉は在伏見か、移動の記録が見つからないけど、伏見城本丸と西の丸でやり取りしたかもしれない、特に茶々が病床だし。 でも一番可能性があるのは文禄3年かな twitter.com/itoko_akaishi/…


posted at 10:46:29


(茶々は文禄3年11月から文禄5年11月まで在伏見) 一応居所集成を参照しました。 また史料確認しよう。 twitter.com/itoko_akaishi/…


posted at 10:51:31


秀吉が茶々に宛てた直筆書状 兵庫の民家から見つかる | NHKニュース www3.nhk.or.jp/news/html/2017…


posted at 21:40:43


本当に偶然なんだけど、こんどの職場が例の書状が公開されるところだったりする。驚き。 中の人だけど、ずっと近くにいれるなんて感激だわ。


posted at 14:47:05


RT @kojima_sakura: 秀吉の茶々宛て書状、兵庫歴博と史料編纂所の合同記者発表資料が公開されてました。釈文、読み下し、現代語訳、秀吉自筆書状一覧など、全部ついてたんですね。www.hyogo-c.ed.jp/~board-bo/kisy… 年代は、藪田貫氏が文禄3年(1594。秀吉58歳、おひろい2歳、茶々26歳)と推定。


posted at 06:53:23


やはり文禄3年か。 早速昨日この書状目当てで歴博にこられた方がいたようです。 お気持ちはわかりますが、公開は10月からです。楽しみです。


posted at 06:54:44


おお、「妻の一人」になっている。


posted at 06:57:03

 

猶子

 

完子の件。 「猶子」で姪という意味もあるらしい… pic.twitter.com/1uXHUNVYPU



posted at 20:21:37

 

大蔵卿局というひと

 

なんとなく大蔵卿局でぐぐってしまって絶望している… ドラマはドラマじゃないか… 戒名にまで人柄と正反対だと突っ込まれているが、むしろ生き残った身寄りの少ない中、捧げられた戒名「智勝院智勝院桂岳宗春大禅定尼」こそ本来の人柄をしのばせるものだろう…


posted at 22:41:14

プロフィール

紀伊

Author:紀伊
茶々姫(浅井長政の娘、豊臣秀頼の母)を中心に、侍女、ご先祖の浅井家女性(祖母井口阿古など)、茶々の侍女やその子孫、養女羽柴完子とその子孫を追いかけています。
ちょこっとものを書かせていただいたり、お話しさせていただくことも。





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メモ「赤石いとこ」名義で記事を書かせていただきました。

悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ) 悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ)(2009/06/06)
…改めて石田三成と茶々姫の“不義”を否定する記事を書かせていただきました。


メモ 参考資料としてご紹介いただきました。

めのとめのと
…茶々の乳母大蔵卿局を主人公描く歴史小説。茶々の祖母阿古の活躍も見どころ。
千姫 おんなの城 (PHP文芸文庫)千姫 おんなの城
…千の生涯を描いた作品。千が見た茶々をはじめとする人々の生き様、敗者が着せられた悪名が描かれる。


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