2016年09月 | ARCHIVE-SELECT | 2016年11月

| PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

真田丸 第43回「軍議」

ナレは信繁のままなのだな #真田丸


posted at 20:03:17


茶々姫の秀吉にたいする感情は一言「愛情」と簡単に片付けられるものではないのだよ… でも、秀吉こそ茶々姫が言ったそのまま未練に塗れて死んでいったよ… たぶん茶々姫自身でも計り知れない感情なんだろうなあ #真田丸


posted at 20:27:18


明石さんの娘レジイナは人質として大坂にきていたのですが、大変茶々姫に可愛がられて、浅井一族(侍女の息子)に嫁がせています。この家は大阪落城後江に託されて旗本として存続しました。 #真田丸


posted at 20:30:20


大蔵卿局がすべて悪役を背負わされてて悲しくなってくる #真田丸


posted at 20:32:51


まあその背後に茶々姫が見え隠れしてるけど… #真田丸


posted at 20:36:11


治長〜(涙)よかった〜!!ただの悪役じゃなくてよかったああああ #真田丸


posted at 20:37:52


ここにきて秀吉への感情とか人間不信とか、忍び寄る死の影を前に茶々姫の有無を言わさぬ暗黒面が美しく全開でした。信繁の生への説得は五人衆や修理、重成、秀頼は動かしたけど、茶々姫までは届かなかったようです。あんな接近シーンまであったのになんという皮肉か…。 #真田丸


posted at 20:48:12


今日頑張ってたひとり木村重成の奥様は今日の嫌われ役を担ったひとり有楽さんの孫娘 #真田丸


posted at 21:20:48


治長はかっこいいよ、母子揃って忠義の人だよ。刺されて大怪我しても大坂出て行かなかったし。最後まで秀頼と茶々の命を一番に考えて千を無事徳川に送り届けたのに自分の命惜しさとか言われちゃう損な役回りだけど(涙)茶々といらん噂がたっても忠勤で噂の荒唐無稽を主張した人だよ。 #真田丸


posted at 21:53:29


しかし悉く浪人たちの元士官先や関係の深い間柄にいわゆる豊臣恩顧の家が連なっているものだ


posted at 21:56:08


結局討って出なかったから、今の京都があるという面でも、京の社寺復興に尽くした茶々姫を評価してほしいわけでして(´・ω・)


posted at 23:31:51


なるほどなぁ。茶々姫が千に役割を託そうとした形跡があるにもかかわらず 最後まである程度権力が残ってたのはそういう面もあるのか。


posted at 22:43:31


(時代考証の丸島先生のツイートを読んで。「どんなに親子関係が良くても、権力移譲が、側近層に影響するからです。このため、秀頼成人後も、淀殿の発言力が残りました。」、「問題の根っこは淀殿本人よりも、彼女に引退されると困る側近層にあるので、大蔵卿局が必ずしも淀殿の意向通りに動くとは限らない」という内容でした。)
スポンサーサイト

| ∟真田丸 | 22:06 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

真田丸展@大阪歴史博物館

(10/3 前期展示)

大河ドラマ展なのに、展示解説の系図梅の母が高梨内記娘になっている件。


posted at 13:10:12


大阪市立美術館蔵豊臣秀吉画像(慶長五年六月惟杏永哲賛)


posted at 13:27:39


上田合戦も大河ドラマ展は秀忠が遅参して家康に激怒されたと何度も出てくる。


posted at 13:28:35


太宰府天満宮蔵鶴亀文懸鏡。「願主 同 東 小石 徳 小屋」が刻まれた大きな鏡。脇に願主の人物比定の説(「東 大谷吉継の母/小石 大谷吉継の妻/徳 大谷吉継の娘(真田信繁室の竹林院)/小屋 大谷吉継の妹」)が紹介されている。あら、みんな吉継の姉妹じゃなかったっけ?


posted at 13:38:08


大阪歴史博物館蔵 一行書「龍虎梅竹」(豊臣秀頼筆)、真田宝物館蔵 豊臣秀頼黒印状 真田伊豆守宛、大阪市教育委員会蔵沢瀉紋飾瓦(沢瀉は秀次の馬印だったので出土地が秀次屋敷跡地か)、大阪市教育委員会蔵 桔梗紋鬼瓦(桔梗は加藤清正の家紋のひとつ、出土地は清正関係の敷地か)


posted at 13:48:17


フランキ砲の音声ガイドに茶々のエピソード。豊臣秀頼禁制 河州平野庄宛(慶長19年10月26日付)、東京大学史料編纂所蔵板倉勝重書状 島津陸奥守宛(慶長20年5月6日付、則秀頼・どうかなあ御袋、其外修理・甲斐守、於本丸同八日ニ被相果候、」)


posted at 14:08:55


仙台市博物館蔵高台院書状 大崎少将宛(慶長20年5月19日付、「大坂の御事ハなにとも申候ハんずることの葉も御入候はぬ事にて候」の書状)


posted at 14:15:31


高知城歴史博物館蔵 緋羅紗地大に渦巻文様切付陣羽織、毛利勝永所用のもの。勝永が関ヶ原合戦ののち土佐の山内一豊に預けられた縁で形見として家臣に託され、明治25年山内家へ譲られた…というエピソードが面白いなあと。


posted at 14:18:28


ちゃうか。妹とわかっているのはやっぱり小屋さんだけ。後の二人は大谷家の女性と推測していただけだった s.ameblo.jp/chachahime-blo… twitter.com/itoko_akaishi/…


posted at 14:43:01


@itoko_akaishi 豊臣秀頼黒印状 真田伊豆守宛 為歳暮之祝儀 呉服二到来、 遠路祝着候、尚 片桐市正可申候、 謹言、 極月廿七日(黒印) 真田伊豆守とのへ


posted at 14:59:20


江の時も思ったけど、大河ドラマ展と大河ドラマと設定や解釈が違ったりするよなー。どっちかというと大河ドラマ展のほうが俗説とか通説寄りだなと感じます。


posted at 15:25:02



追記:(10/28 後期展示)

某条書案(慶長20/6/11)。秀頼様五月八日未ノ刻御切腹 御袋様モ御同前ニ候 大蔵卿殿・右京大夫殿・三位殿 韓長老・秀頼様御介錯 速水甲斐殿・同おてきかい子 津川左近・大野修理・同信濃 毛利豊前・同長右衛門・竹田左吉 堀対馬・氏家内膳・伊藤武蔵 (続く)


posted at 20:30:56


(続き)とい少五郎・片岡十右衛門・高橋半三郎 同三十郎・森長八・建部加藤弥太 藤四郎・竹田永翁・はい原八蔵 同三十郎・小室義兵衛・浅井喜八 同半兵衛・寺尾少右衛門・真田大介 左衛門子


posted at 20:34:16


落城後まもない噂や雑説などの書き付けだけど、常高院とともに逃れた浅井喜八の名が見えるなど、不確かな情報も。しかも千を逃した大野治長に至っては自分の命惜しさにとか言われて気の毒すぎる。大野兄弟や国松の件も書かれてあるようです。


posted at 20:37:05

| ∟講演会/展覧会 | 21:00 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

大阪城天守閣 特別展「真田幸村の生涯を彩った人たち」

大阪城天守閣蔵大坂冬の陣図屏風、同蔵大坂夏の陣図屏風、長野市立博物館蔵豊臣秀吉・徳川家康・真田信之像、米沢市上杉博物館蔵豊臣秀吉直書(上杉景勝宛。上位者が下の立場の者に出す文言「候也」がみえる)、大阪城天守閣蔵豊臣秀吉画像(伝狩野光信画)、同蔵富士御神火文黒黄羅紗陣羽織


posted at 14:25:22


大阪城天守閣蔵大坂城図屏風、聚楽第図(「高台院殿」、「大政所御殿」がみえる)、肥前名護屋城図屏風、◎豊臣秀吉自筆書状(「おひろいさま」宛、文禄三年九月二十六日付/「おかか」、「おちや/\」)、増田長盛・石田三成連署血判起請文(文禄四年七月十二日付、秀次事件直前のもの)


posted at 14:38:49


上徳寺蔵阿茶局画像、大阪城天守閣蔵阿茶局書状写(元和元年十一月六日付、「あちや」)、上徳寺蔵徳川秀忠画像(もみあげ)、大阪城天守閣蔵豊臣秀頼自筆神号「豊国大明神 秀頼十一歳」、金小札緋威喉輪(「箱書きに豊臣秀頼所用とある」)、陣中床几


posted at 14:58:13


澤田家蔵越後吉長等六名連署状(慶長十一年七月一日付、鷹狩関係)、施福寺蔵豊臣秀頼黒印禁制(慶長十九年十月廿二日付、「袖印」:通常より尊大な文書形式/慶長廿年五月四日付(黒印)、現存最後の秀頼文書)、大阪城天守閣蔵秋草文彩画団扇(伝茶々所用)、


posted at 15:05:02


真野家系図(大阪城天守閣蔵真野英幸氏寄贈):頼親 真野蔵人 後剃髪而号宗信/事大坂 豊臣秀頼公大阪夏陣元和元乙卯年五月六日木村長門守重成與宗信於河州若江郡井伊掃部頭殿軍勢與相戦宗信自身手下数刻働與木村一所討死行年七十歳 ※頼親の子は頼包のみ記載


posted at 15:17:29


頼包 真野豊後守/事 秀頼公/領知壹万石/七組番頭 旗者赤白段々/組子四十三人有之内千石以上七人夏陣五月七日天王寺庚申堂之前毛利豊前守勝永備之北東七組頭備陣毛利勢被追立時豊後守押返雖得勝利加賀越前之大勢城江押込直依然火城中江帰於千帖敷中島式部少輔氏種與切腹


posted at 15:24:41


頼包の子、頼継のみ見える(以下は展示部分ではなかったのでわからず) 頼継 真野小源太/事 讃州生駒壱岐守殿知行… 以下不明、頼継の嫡子嘉包(真野源兵衛 事 典信様/知行三百二十石被下置…)


posted at 15:29:27


頼包次男中川瑞碩、和州郡山本多内記殿医師/郡山浪人以後死、頼包女 本多内記殿医師/臼田桂寿妻。 図録にちゃんと載ってた…なんと親切。そして青柳も大蔵卿局の存在も手がかりもなかった…残念。


posted at 15:48:16


『御撰大坂記 火』の内 豊臣秀頼書状、淀殿書状、淀殿起請文等写、板倉勝重書状(慶長十九年九月廿八日付) なんせ後から図録みたら釈文もしっかり収めてくださっていて大変親切。ありがたや…


posted at 15:49:04


茶々姫にもご挨拶。 pic.twitter.com/mLYDZjGxaZ



posted at 20:16:51


大阪城でもご挨拶。伏見の妙教寺さんが供養されてるのかしら。 pic.twitter.com/UXMl0fd0Ls



posted at 20:18:01


@karinto55 ですね!由緒いろいろ言われてますが、茶々姫のお墓として大切にしていただいてるのでお参りしがいがあります。


posted at 20:19:49


ずっとある案内板だけど…改めてかつてはここに豊国神社があったのですね。 天守を離れて山里曲輪を最期の場所に選んだのはそれも関係あるのではと思いました。 pic.twitter.com/vzsLJLC2Y5



posted at 20:21:21

| ∟講演会/展覧会 | 20:15 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

大野弥十郎

大坂から人質に出された大野治長の息子、徳川方の認識ではほぼ共通して「信濃守」。でも落城時の記録では「信濃守」が殉死している。ので、人質に出されたのは次男弥十郎とされている。ちなみに治長の次弟「壱岐守」は大坂の陣で徳川方の使者になったりしているが、大坂落城後パタリと消息が途絶える。

posted at 00:42:18


のちに下谷海禅寺で刑死する「弥十郎」を治長次男とする人と、治長次弟壱岐守治純のこととする人がいる。正直、治純なら壱岐守と記されそうだと思うのだけど。思うのだけど、治純も消息が途絶えるからひょっとして…という思いも捨てきれない。 twitter.com/itoko_akaishi/…


posted at 01:27:48


あったあった。「大野修理亮ガ二男弥十郎ヲハ誅戮可仕由被仰遣」「武州下谷於海禅寺大野弥十郎被誅」。やっぱこの時点では嫡男ではなくちゃんと次男の認識だわ。 twitter.com/itoko_akaishi/…


posted at 01:34:59

| ∟史料関係 | 22:33 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

木村重成の妻 織田長孝女と青柳

大和芝村の織田系譜によると木村重成の妻は織田長孝の三女らしい


posted at 02:33:08


大和柳本本でも三女 twitter.com/itoko_akaishi/…


posted at 02:35:20


青柳、旧参謀本部編『大坂の役』から「浪速全書」までは追える。


posted at 11:23:26


そこまでしか追えないともいう。 twitter.com/itoko_akaishi/…


posted at 11:25:48


木村重成の弟七兵衛の妻が「黒柳」といって大坂落城後近江坂本へ移住したというんだけど、実際重成の妻だったの?という疑惑のある青柳がこの人がモデルなのか、逆に青柳の話がこの人の話になっているのか。そもそも黒柳ってどこのトットちゃんとかいろいろツッコミが追い付かない。


posted at 21:19:16


@mitagino 青柳の話は超有名ですが、質の良い史料が見当たらないんですよねえ…。実際史料に妻として出てくるのが織田有楽斎の孫みたいで。九州説は面白いですね。このお墓関連でしょうか。 twitter.com/noimago/status…


posted at 21:53:24



@mitagino @ameba_official 新聞記事情報ありがとうございます。とかく九州は秀頼生存伝説含めて関連する話が多いですね。


posted at 22:04:20


@mitagino 私も、秀頼の性格(想像ですが)的にそれはないだろうと思っています。この重成弟は黒柳さんの旦那さんとは別人かなあ…


posted at 22:16:24

| ∟史料関係 | 18:31 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

真田丸 第42回「味方」

真田丸で千の出番はここからだから仕方ないけど、実際は七歳から十二年を大坂城で過ごし成長してきたわけです。大坂城で伯母茶々の世話で将来の「関白」秀頼の妻に相応しくなるべく薫陶を受け、成人し、秀頼の妻として諸大名や公家衆とも交際もしていました。 #真田丸


posted at 21:27:56


茶々は千の成人後少しずつ豊臣家の女主人としての役割を千に任せていこうとした様子があり、贈答の順番も秀頼・茶々・千から秀頼・千・茶々となった例が見えます。 #真田丸


posted at 21:31:24


大坂落城の際には秀頼から「南無阿弥陀仏」の神号と陣羽織を賜り、後年その神号をご神体に、陣羽織を袈裟にするなど、大切に扱っていました。千が成人する前生まれた秀頼の娘(天秀尼)は養女として実の娘同然に扱い、生前も死後も親身に世話をし続けました。 #真田丸


posted at 21:40:10


次回の茶々の願い、「花のやうなる秀頼さま」関連だったりして。 #真田丸


posted at 21:55:05


竹内茶々さまおきれいですね。ちなみに次回の時点で数え46歳、満44、5歳です。 #真田丸


posted at 21:56:35


次回の且元…どうなるんだろうか。今回あくまで秀頼の命を助けようとしている家康と話しているから、秀頼の命を助ける話をしているのだろうか。 #真田丸


posted at 21:57:43


〔後藤味噌〕真田信繁は秀頼に厚遇されすぎて困惑している書状がありますが、#真田丸 でライバルとして描かれている後藤又兵衛も茶々や千に超歓待された話が…。そのお返しに又兵衛手作り味噌をもらったというのがすごい印象に残る。 chachahimeblog.blog.fc2.com/blog-entry-107…


posted at 22:02:18


私の中で「ハムの人」なみに「味噌の人」な又兵衛


posted at 22:32:51

| ∟真田丸 | 23:42 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

徳川千侍女 織田信澄母

織田昌澄の母が大坂で千(「大坂の北方」)に仕えていたとある。その女性は明智光秀の娘らしい。


posted at 01:39:55

| ∟史料関係 | 22:34 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

飯尾尚清女(豊臣秀吉妾)

飯尾尚清の娘(長女?)に「豊臣秀吉公 妾」が見える〔系図纂要〕


posted at 12:51:58

| ∟史料関係 | 23:37 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

茶々と家康の縁組?について

なぜ噂話が史実として問答無用で取り上げられるのか


posted at 16:41:10



姉妹で姑嫁になるってのは当時の時代的に問題はなかったのかな


posted at 16:42:17

| ∟つぶやきまとめ | 20:27 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

真田丸 第41回「入城」

戦を前にして厳しい表情の茶々様が信繁と再会してふと以前の無邪気な表情がよぎったのが切なかった。というかさすが竹内さん。 #真田丸


posted at 22:50:06


結局茶々様しか見てないのかってまあそうなんですけど、きりちゃんのここにきての頼もしさとか、おこうさんよかったねえとか、今度は家康か老化描写生々しいとか、伊賀越え再来ー!とか、一応いろいろ思ってますよ(笑) #真田丸


posted at 22:54:27



誰もいなくなったと信繁に語る、大蔵卿局の疲れ切った表情たるや。ともに秀頼の脇を固めていた且元の分の重荷ものしかかってるのだろう。みながそれぞれ秀頼御為だったというのに、ただ足並みが揃わずこの結果というのがなんとも切ないし、当時の豊臣家を仕切るの難しさが痛感される。 #真田丸


posted at 08:49:58



@hervorruf 本当に。この14年悲しいくらい駆け足でしたが、あの表情だけで茶々様に関しては14年の辛苦をある程度表したなと思いました。


posted at 23:43:25


@joseph_maki 修理は、このまま嫌味なキャラで終わるのか、挽回の機会があるのか…あってほしいです。


posted at 23:44:30



後継問題。大河では丸く収まってよかったけど、実際問題、妻への扱いは妻の実家のメンツにも関わっていただろうし、とりまきの家臣もいるわけだから、嫉妬とかそういうのだけではどうこうできる問題ではなかったのだろう。もちろん逆に本人がさっぱりしていても周りが許さないこともあっただろうし。


posted at 10:07:53


| ∟真田丸 | 23:31 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

| PAGE-SELECT | NEXT