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茶々姫をたどる汐路にて

茶々姫研究日記(こちらが現行版になります)

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秀頼の教養 『慶長日件録』

 

『日本切支丹宗門史』の渾天儀エピとか『帝鑑図説』の出版などとあわせて、例に挙げているだけで、そんな目くじら立てるほどのことではないと思うんだけどなあ そこを否定しても教養が無いことの証明にはならないし…


posted at 22:31:03

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小吉周辺

 

〔小吉周辺〕秀吉の養子小吉秀勝が亡くなって、そのまま江は舅秀吉の養女にとどまり、秀勝の三回忌が明けるのを待って(なんと8日後)秀忠に嫁いだ。(続く)


posted at 22:40:49


〔小吉周辺〕(続き)小吉秀勝の遺領は娘(のちの完子)と縁組した織田秀信がその一部を継承したという形になっているのか。まとめるとうまいことできてるというか…秀勝の跡に秀信を推したのはやっぱり茶々と江かな。


posted at 22:41:53


〔小吉周辺〕そう考えると完子は小吉秀勝の嫡女としての存在感は小さくなかっただろうし、秀信へ嫁ぐことを前提としていたとしたら、完子が茶々のもとに残された意味も違って見えてくるんじゃ無いかと。


posted at 22:47:00

 

清正公

 

こっち側とか書いた舌の根も乾かぬうちに跡部先生の清正論を読んでうーんとなっているなう。こっち側でかつあっち側ということもありか… 関ヶ原前後微妙だったという清正と家康の関係の論考を読んでみたい… twitter.com/itoko_akaishi/…


posted at 02:31:09


婿だろうが舅であろうがことはそう単純ではないと関ヶ原合戦のあれこれで思い知った今となっては、清正はやはりこっち側だったと信じて疑わない。二条城会見は寧さんもだが、清正も茶々を説得したという話もあるんだよ。茶々からみてふたりとも秀頼を大事にしてるってわかったから説得に応じたんだよ。


posted at 22:32:24

 

真田丸 第38回「昌幸」

 

秀頼のギラギラ感が半端ない でも私のイメージには近い(笑)


posted at 20:30:00


耳打ちきた! だいたいあってた!


posted at 20:30:22


すごいな、いろいろ通説を逆手に取ってておもしろい


posted at 20:30:53


おおおおお 頭下げさせたああああ 鳥肌!


posted at 20:32:07


…ま、でもそれで目をつけられるよね


posted at 20:32:27


毒殺!!!(੭ु ˃̣̣̥᷄⌓˂̣̣̥᷅ )੭ु⁾⁾ ナレ死二人目…


posted at 20:33:22


最高にかっこよかったよせいしょこさま。・゚・(*/□\*)・゚・。


posted at 20:34:13


ギラギラしながら悪手を踏む、まさに若さか。


posted at 20:38:20


ちなみに二条城会見にはお寧さんもいたよ #真田丸 では政権と距離を置いているけど、実際は大坂の陣直前まで秀頼とやりとりしているし、京都から大坂になんども秀頼に会いにきてるよ


posted at 20:49:43


茶々姫ファンとしての個人的感情としては、思わず家康が頭を下げたシーンは心底胸スカでした!ごめんね!


posted at 21:00:06


なるほど、それで下がれからのその流れか… かっこいいけど、がんがん喧嘩売りまくっててそりゃ滅ぼされるわ!(涙) しかも当の清正がこれで退場やし! twitter.com/flowerdoctrine…


posted at 21:06:47


最近茶々様出るたびに美しさと臈たけた感が増してて次どうなるか楽しみ。 今回全く登場していませんが、影で茶々姫は秀頼の養育はもちろん、豊臣と徳川の関係維持のために妹の江と共に神経すり減らしながらがんばっておられました。大抵ドラマでは触れもされないけど。 #真田丸


posted at 21:11:25


すばらしい清正でしたよ 三成との関係の描き方は私的にはよりドラマティックになって大成功では?と思います 二条城は時間の制約もあって、思ったよりあっさりではありましたけど、でもかっこよかった! twitter.com/nhk_sanadamaru…


posted at 21:27:12


茶々は本人の死後に描かれた、しかも本人か確定できない画像が身長の由来(しかも考証がおはしょりあるなしで考えていて、おはしょりをつくらない時代を無視している) 秀吉の身長は福田先生曰く一次的には外国人の証言によるものでつまり日本人はみんな低身長レベルの証言 長政は何由来かなあ? twitter.com/vfk_ken/status…


posted at 22:05:23


さっきの身長リツイートの返信で治長や信繁(!?)の名前をドヤ顔でつぶやかれててドン引いた私です


posted at 22:06:40


秀頼が、「幼い頃から栄養やら教養やら完全に用意された秀吉」と聞くとなんだか完全無欠な気がする


posted at 22:27:11

 

東光院 萩の寺

 

<東光院>淀君が愛した萩の寺 : 地域 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE) www.yomiuri.co.jp/local/osaka/fe…


posted at 21:58:53


萩の寺、やっと行けた! pic.twitter.com/4MSQZmWztp



posted at 16:43:01


こんなのもあります pic.twitter.com/G3ZUIW0ORz



posted at 16:43:20


こないだの萩の筆 pic.twitter.com/14uCF4AYy7



posted at 23:17:50

 

歴史秘話ヒストリア 京都大仏回

 

鐘銘が言いがかりか否か両論あるけれど、それより以前からの徳川の動きを見ていると、 言いがかりであろうがなかろうがきっかけにすぎなかったのは確かだと思った ずっと言ってるけど家康の逆鱗に触れたはずの鐘は現在まで残っているのだし


posted at 20:37:32


棟札きたー


posted at 20:39:45


テレビでこんないい感じに秀頼の寺社復興を取り上げてもらえるなんて感激。・゚・(*/□\*)・゚・。 #ヒストリア


posted at 20:40:36


思わず鳥肌たった ええ締めやわ 全てがなくなったわけではないのね(;_;) ちょっと嬉しい #ヒストリア


posted at 20:42:30


やー今回はヒストリア史上私的にベスト回やった 秀頼回もよかったけど、今回がベストかな!


posted at 20:43:40


@hervorruf そうなんですけどね^^; 茶々様はほとんど秀頼の名前でやってたわけですから、秀頼の業績として評価されるのは本望かと とりあえず好評価していただけるだけで大きな感動レベルという程度にテレビに対するハードルが低いというのもあるのかもしれません(・ω・`)


posted at 20:47:17


家康に唆されて秀吉の遺産を湯水のように使ったと言われないだけで心底感動してしまった私はやはりハードルが低すぎなのか…? えっ、わたしのハードル、低す(ry


posted at 02:27:17

 

大局を追って ~「浅井備前守長政嫡女」は茶々か?

 

佐脇良之の妻大局が、のちに初の輿入れに従ったというのは何出店なのだろう。そもそも大局の史料が「佐脇譜略」しか見当たらない。良之没後に「浅井備前守長政嫡女の乳母」となり、その後(いつの時点か書かれていない)金沢へ下り、前田利次の乳母となったという下りしか書いていない…


posted at 22:55:29


娘の圓智院殿は肖像画も有名なのだけど、再興した金沢の妙法寺には大局やその父母の供養をされているのだろうか。


posted at 23:05:33


前田利次から追いかけられないかと思ったけど、こちらも今のところ全く手掛かりなし。


posted at 23:13:09


〔大局を追って〕『尾張群書系図部集』では佐脇良之の子に源助(「尾張犬山の住人。妻森甚之丞女」)と篠原出羽守一孝妻とあり、源助の子に生駒又左衛門がいて、「大坂にて討死にす」とある。


posted at 02:12:57


〔大局を追って〕「佐脇譜略」だと元亀三年十一月二十二日三方ヶ原で良之が討死にしたとき、すでに娘が二人あって、妻は身重だった(のちに作右衛門久好)。長女は後に京極家家臣堀江九左衛門へ嫁し、次女は前田利家によって篠原出羽へ嫁した。(続く)


posted at 02:22:35


〔大局を追って〕(続き)良之妻は寡婦となったため、「浅井備前守長政嫡女の乳母」となり、大局と称した。その後金沢へ帰り、これまでの縁によって前田利常の命でその子利次の「御乳母」に召し出され、表局と称した。江戸御殿に勤め、致仕したのち病死した。


posted at 02:22:51


〔大局を追って〕『金澤古蹟志』「泉野寺町妙法寺由緒」によると妙法寺の開基である良之息女圓智院殿は一女あり、濃州大垣城主伊藤長門守子息圖書頭と縁組した。圓智院殿は後に城内に住み、慶長三年八月晦日に亡くなった。圓智院殿妙浄禅尼。 長門守は伊藤盛景、圖書頭は盛正。


posted at 02:38:28


〔大局を追って〕「生駒又右衛門佐脇源助佐脇氏ハ尾州犬山ノ住人、親佐脇藤八ハ愛知郡荒子住人前田蔵人利正ノ五男也、信雄公小姓母方姓以テ生駒源助ト云フ佐脇源助親藤八ハ信長公二仕フ、又左衛門利家公ノ弟也」(『江南市史 資料四 文化編』p247)によると、大局は生駒氏ということか。


posted at 02:47:31


〔大局を追って〕史料少なすぎですが、乳母奉公をしたのが元亀三年冬に身重で夫を失った後のタイミングなので、実際に授乳したでしょう。この時期乳飲み子だったのは茶々ではなく江。そして生駒氏の一族らしいので、大局は小谷落城後信長が江のために用意した乳母ではないかという線が固い気がする。


posted at 04:23:24


「嫡女」って言われたら普通は茶々だけどね。 「嫡出の長女」だけでなく、「正妻の産んだ子」って意味もあるみたい。 姉妹の面倒も見ていたかもだけど、授乳は江相手しかいない。


posted at 04:32:49

 

真田丸 第37回「信之」

 

久々茶々様。 ますますお美しい。 デスノートっぷり怖美しい。


posted at 20:34:30


〔本日の茶々姫〕打掛の色味が一段と落ち着いて、美しさに磨きが掛かっておられました。 久々のデスノートかと思ったけど、あれは不吉な予言ではなく、大坂編に裏打ちされた再起を信じる予言と推察いたしました。 来週は我らが秀頼が最高の環境で育てられた秀吉の遺伝子を見せつけるよ! #真田丸


posted at 20:55:11


そしてお寧さんはまだ大坂にいる設定? 本当は京都にいて、女院さまの御所に避難したり、屋敷の城構えを解いたりめっちゃ大変だったんだけどね。 お寧さまも茶々姫も城で閉じこもっていたのではなく、関ヶ原の前哨戦で講話を成立させるために東奔西走しております。 #真田丸


posted at 20:59:02


はっきりしたとは書かれているものを見つけたことはないですけど、尼姿ではなかったと明記されているものも見つけたことはありません。 茶々の落飾もですけど、していただろうなあと個人的には思います。 twitter.com/t_souan/status…


posted at 21:02:05


関ヶ原合戦で諸大名の人質が逃げまくっていることで、茶々は寧に比べて人質管理能力がなかったのだなんて言われますけど、そもそも豊臣家として西軍に与していたのではないので、人質を管理する立場ではありませんから…!むしろ家康になんとかしてくれと言っちゃう程度に身柄を抑えられてる立場…


posted at 21:07:38


例の堀北真希ファンは今頃ご満悦なのだろうか…


posted at 21:16:31


@itoko_akaishi 東奔西走はもちろんご本人ではありませんが


posted at 21:18:50

 

「古田家譜」の分家本(竹田市立歴史資料館所蔵)

 

茶道の歴史は不勉強なのだけど、話題になっている件がそもそも秀吉の命だったとしている根拠になっている史料はなんなんだ?それと比較すると今回の史料はどうなんだ?そこが気になる。新説に飛びつくとしばしば痛い目見るからなあ。


posted at 23:50:05



 

「大坂」の地名で呼ばれた女性

 

大坂といえば秀吉!みたいな雰囲気ある?かもだけど、大坂という地名で呼ばれた茶々姫(「大坂殿」)のことももっと愛していいと思う!


posted at 20:40:07

プロフィール

紀伊

Author:紀伊
茶々姫(浅井長政の娘、豊臣秀頼の母)を中心に、侍女、ご先祖の浅井家女性(祖母井口阿古など)、茶々の侍女やその子孫、養女羽柴完子とその子孫を追いかけています。
ちょこっとものを書かせていただいたり、お話しさせていただくことも。





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メモ「赤石いとこ」名義で記事を書かせていただきました。

悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ) 悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ)(2009/06/06)
…改めて石田三成と茶々姫の“不義”を否定する記事を書かせていただきました。


メモ 参考資料としてご紹介いただきました。

めのとめのと
…茶々の乳母大蔵卿局を主人公描く歴史小説。茶々の祖母阿古の活躍も見どころ。
千姫 おんなの城 (PHP文芸文庫)千姫 おんなの城
…千の生涯を描いた作品。千が見た茶々をはじめとする人々の生き様、敗者が着せられた悪名が描かれる。


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