fc2ブログ

茶々姫をたどる汐路にて

茶々姫研究日記(こちらが現行版になります)

RSS     Archives
 

小谷、浅井、長浜、竹生島

 

2度目の城攻め pic.twitter.com/lwv9RbCV6g



posted at 09:45:03


やっぱり一年間この年表が使われるのかなあ…茶々さんの印象が…


posted at 10:25:42


養源院本は本当に茶々姫なのか。養源院に借りてるから違うとは言えないだろうけど。


posted at 10:31:26


竹生島。葵紋付戸張。寛政元年寄進。江以降続けられてた寄進。御使番頭御喜満殿名義らしい。


posted at 12:51:33


さくらちる ここ下かせは さむからす そらにしられぬ ゆきそふりける


posted at 12:52:38


徳川家の家紋である葵紋が付いた戸張や祈祷具は、崇源院(江)が竹生島かの氏子であるという縁により、最初崇源院から竹生島へ寄付され、それ以来大奥より寄付を受けるようになった。


posted at 12:59:31


こんなんできてる! pic.twitter.com/4KdSmOsRgr



posted at 15:32:50


お参り数度目にしてはじめて弁天堂の中の天女さまやお歴々の弁天様にお会いできた。ご縁に感謝。


posted at 13:19:12


良き旅でした pic.twitter.com/tskzfHhkNy



posted at 22:22:09

スポンサーサイト



 

安土

 

実は初安土なう。 pic.twitter.com/eeiNwZUudm



posted at 12:49:23


良いお天気でした! pic.twitter.com/o4c0n1rSvX



posted at 20:05:07



 

東福寺

 

某寺の涅槃会にいってきました。2011年涅槃会には完子のお墓とお位牌の写真を展示していたはずなのに、そんなことをした覚えがない的な反応をされて困惑…


posted at 17:03:38


そういえばムッとして忘れてました。東福寺の本殿の神様ゾーンに秀吉の位牌がありました。「國泰院太閤殿下」院号だけど神様ゾーン。


posted at 17:59:57


完子の傍に孫娘、寵(九条道房女、浅野綱晟室/芳雲院)のお墓を偶然見つけていたことに今気が付きました…


posted at 22:41:43




納得いかないので、当時の記事を貼っときます
→「完子の墓地・位牌確認/東福寺」(http://chachahimeblog.blog.fc2.com/blog-entry-934.html、http://ameblo.jp/chachahime-blog/entry-10836028267.html)

【ふるさと便り】江の“知られざる”最初の姫君、東福寺で墓と位牌を発見
(http://sankei.jp.msn.com/life/news/110315/trd11031500120000-n1.htm)
 NHK大河ドラマのヒロインとして注目を集める浅井三姉妹の三女、江の最初の娘、天真院寛子(完子)の墓と位牌(いはい)、天真院の長男の九条康道が写経した法華経3巻(縦約30センチ、横約84センチ~約340センチ)が京都市東山区の東福寺で見つかり、14日、墓と位牌の写真や写経の実物の公開が同寺の涅槃会(ねはんえ)法要に合わせて始まった。16日まで。

 今回見つかったのは、同寺境内にある九条家の墓地に眠っていた宝篋印塔(ほうきょいんとう)の墓と、境内の開山堂にある九条家の仏壇に安置されていた高さ約60センチの位牌。墓の花挿しや位牌に「天真院」と記されており、いずれも天真院のものとみられる。また写経は、九条康道が天真院の月忌、一周忌、七周忌の供養のために奉納したものと確認された。

 江は文禄元(1592)年、豊臣秀吉の姉の子で秀吉の養子になり岐阜城主となった秀勝と、2度目の結婚。間もなく秀勝は死亡したが、天真院は江の初めての子として生まれた。江はその後、徳川秀忠と3度目の結婚。天真院は江の姉の淀殿に引き取られ、後に関白の九条幸家(忠栄)に嫁いだ。

 東福寺は九条家の菩提(ぼだい)寺で、寺史に「天真院」という名で同寺に葬られたことが記してあったことから、ドラマ放映をきっかけに改めて調査したところ、開山堂の仏壇奥から天真院の位牌が見つかり、九条家の墓地から天真院の墓が見つかった。これとは別に文化財調査も進め、その中で天真院の長男による供養経も見つかったという。

 同寺の五十部泰至寺務長は「まとめて発見され驚いている。江は千姫や東福門院和子など多くの姫君を生み、徳川家や天皇家の基礎を築いたが、実は最初に生んだ姫君、天真院は江戸時代の摂関家、九条家の基礎を築いた。織田、豊臣、徳川、天皇家、摂関家の家系が一本の糸で結ばれていることに歴史の数奇さを感じる」と話している。」
 

六本木朝日神社・清心尼

 

@dainagongusa こんなの見つけました www.asahi-jinjya.com/asahi.html


posted at 17:00:48



 

長浜城年表

 

長浜城に「淀と大坂の陣」のプレ展示を見に行きました。個人蔵らしき寧の木造は初見。年表があって、茶々についてまとめられた数少ない項目の一つをあえて治長との噂がたったことに割いているのがすごく意図的に思えてしまったのは私のひいき目のせいなのかなあともやもやしてしまいました…


posted at 19:32:34


.@joseph_maki それなら秀吉没後の茶々姫の体調不良のほうが、茶々姫の当時の環境を察することができるのになあとか、千姫との交流や度重なる秀頼の後見事業のほうが茶々姫の功績や人間関係を知れるのになんで…と。いつかもこの年表項目使ってましたよね…


posted at 21:04:00


.@joseph_maki 再評価がコンセプトのはず…再評価が良いものとは限らないのかもですが、北川先生の茶々像がもちらついたり…。噂があったのは事実かもしれないけど、豊臣家房中の噂が真実かどうかなんて週刊誌レベルと思っている私にとっては、他にあるだろ…と思ってしまうわけです。


posted at 21:05:24

プロフィール

紀伊

Author:紀伊
茶々姫(浅井長政の娘、豊臣秀頼の母)を中心に、侍女、ご先祖の浅井家女性(祖母井口阿古など)、茶々の侍女やその子孫、養女羽柴完子とその子孫を追いかけています。
ちょこっとものを書かせていただいたり、お話しさせていただくことも。





月別アーカイブ

フリーエリア

メモ「赤石いとこ」名義で記事を書かせていただきました。

悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ) 悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ)(2009/06/06)
…改めて石田三成と茶々姫の“不義”を否定する記事を書かせていただきました。


メモ 参考資料としてご紹介いただきました。

めのとめのと
…茶々の乳母大蔵卿局を主人公描く歴史小説。茶々の祖母阿古の活躍も見どころ。
千姫 おんなの城 (PHP文芸文庫)千姫 おんなの城
…千の生涯を描いた作品。千が見た茶々をはじめとする人々の生き様、敗者が着せられた悪名が描かれる。


検索フォーム



ブロとも申請フォーム

QRコード
QR