Posted at 2013.08.17 Category : ∟史料関係
『加藤清正と本妙寺の至宝展』より
紙本墨書・掛幅装 慶長五年(一六〇〇)
豊臣秀吉の子、秀頼(一五九三-一六一五)が書き記した「豊国大明神」(秀吉のこと)の神号。「秀頼八才」の自著から慶長五年(一六〇〇)に記されたものとわかる。『肥後国誌』によれば、秀頼没後、加藤清正は肥後領内立田山に「豊国大名神宮」を造立しており、この神号はその際に秀頼から賜ったものの可能性が高い。清正と豊臣家の関係をうかがわせる貴重な遺品である。熊本の「豊国大名神宮」は元和元年(一六一五)の豊臣家滅亡の後に廃されたと伝わっており、それに伴ってこの神号は本妙寺に入ったと推察される。
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