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茶々姫をたどる汐路にて

茶々姫研究日記(こちらが現行版になります)

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ふたつの本徳寺

 
勘姫(本願寺光円〔良如〕の長女、母は完子の次女通。亀山本徳寺昭澄室)ゆかりの二つの本徳寺。

勘について
>「完子と子どもたち」(20110629)
>「九条忠栄(幸家)と豊臣完子の七人の子どもたち」(20111106)

○亀山本徳寺(大谷派)
茶々姫をたどる汐路にて

茶々姫をたどる汐路にて

茶々姫をたどる汐路にて
案内に見える准円後室「貞照院」が勘。

茶々姫をたどる汐路にて
七世「准圓」が勘の夫。

○船場本徳寺(東本願寺派)
茶々姫をたどる汐路にて

茶々姫をたどる汐路にて

茶々姫をたどる汐路にて

どちらも敷地内を散策してお墓や供養塔、境内にお位牌を探しましたが、見ることのできるところにはありませんでした…
勘のお墓はどこにあるのでしょう…生涯が複雑なだけに、西に尋ねるか東に尋ねるかびみょうなところではあります。


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[Twitter]鎌倉

 

結局、東慶寺と建長寺と英勝寺に行きました。東慶寺は疑問が解決してないのでまた行かなきゃ~


posted at 14:13:19


本日の教訓。6月に東慶寺行くとえらい目にあう!(~_~;)そして、鎌倉は電波死んでる…。歩道もなさすぎて結構怖かった。10年ぶりくらいに行くと忘れてるなあ(>_<)


posted at 14:11:55


もうすぐ父の日なこの日に、鎌倉へ。東慶寺に天秀尼展を見に。茶々姫による浅井長政供養も、天秀尼による秀頼供養も、もちろん孝行なもそうなのだけど、俗ながら幼くして生き別れた父親への「好き」が溢れているような気がして、ぐっとくる。


posted at 12:12:59

 

咲くときはそれとも見えず山桜…/鎌倉(東慶寺・建長寺)

 
天秀尼を訪ねて、鎌倉へ。

折しも紫陽花の季節、お花をめでる人々にあふれる境内をさまようことになろうとは…
眼福ではありましたが、ゆっくり目的を果たすこともできず、確認したかったことは次回へ持ち越し。
次回はいつになることやら…

とはいっても、大学生の時に親友と訪れて以来なのでおよそ十年ぶりに天秀尼に会いに行ってきました。

茶々姫をたどる汐路にて

明治三十一年に灯篭が奉納されているようなのですが、施主の三宅さんって…
三宅さんと言われると思い浮かぶのは天秀尼の乳母三宅善兵衛の妻ですが…関係あるのかな?

茶々姫をたどる汐路にて茶々姫をたどる汐路にて

墓刻文。

茶々姫をたどる汐路にて茶々姫をたどる汐路にて


「当山の天秀和尚は、豊国の神君(豊国大明神=秀吉のこと)の子である正二位右丞相秀頼公の息女である
松岡山東慶寺に入り、幼くして剃髪。円覚寺黄梅院の古帆周信に参禅した。一時は衰退しかかった寺を再興させた和尚としてその名が伝わる。二月に入寂、釈迦と同じ日に亡くなったことは誠に縁が深い。

小阿子法堯造立施
正保二年乙酉二月七日」
(参考:天秀尼展パネル。そのままではありません)


隣には、話題の天秀尼局台月院のお墓があります。

茶々姫をたどる汐路にて

茶々姫をたどる汐路にて

茶々姫をたどる汐路にて茶々姫をたどる汐路にて茶々姫をたどる汐路にて

「䑓月院殿明玉宗鑑大姉
当山天秀和尚御局
正保二乙酉九月二十三日
正保二乙酉二月七日」

日付が二つ刻まれています。一つは台月院の没日、もう一つが天秀尼の没日です。
台月院は天秀尼逝去の半年後に没していますが、墓所は天秀尼の逝去時に逆修(生前に自ら作ったもの)されたものであるようです。


人出的にアレでしたが、天秀尼展も開催されており、いろいろと久しぶりに見るものもたくさんありました。

茶々姫をたどる汐路にて


・東慶尼寺過去帳
(むしろこれが目的だったのですが、展示されているし、歴代宗主のところしか見えないし…)

・某年八月二十九日付「東慶寺侍者のかた」(天秀尼)宛て澤庵宗彭書状
…天秀尼が参禅しようとして再三入門願いの消息を呈したのに対しての断りの返信。
建長寺の澤庵に参禅を断られ、その後墓碑によると円覚寺黄梅院の古帆周信に参禅したようです。

・伝天秀尼使用百人一首

・豊臣秀頼公息女所持青貝摺文箱

・天秀尼持仏阿弥陀如来立像(堀主水妻なえ〔寿林尼〕の与えられたもの)

特に秀頼供養のための雲板を見ると、幼くして亡くした父への追慕がしみじみと胸に迫るものがあります…
祖母茶々姫が亡父を思い描かせた肖像を見た時と同じ感傷が。


最後に、天秀尼展に出ていた彼女の詠歌を…

咲時はそれともみえず山桜 ふもとにしるき風の色哉

柴の戸を春はにしきぞしきにける 花ふきおろし峯のあらしを



教訓:史跡目当てで6月に鎌倉を訪れたらえらいことになります。


ついでに立ち寄った建長寺唐門(台徳院霊屋廟門)
茶々姫をたどる汐路にて
肝心の仏殿(崇源院霊屋)を撮ってくるのを忘れてる…
プロフィール

紀伊

Author:紀伊
茶々姫(浅井長政の娘、豊臣秀頼の母)を中心に、侍女、ご先祖の浅井家女性(祖母井口阿古など)、茶々の侍女やその子孫、養女羽柴完子とその子孫を追いかけています。
ちょこっとものを書かせていただいたり、お話しさせていただくことも。





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メモ「赤石いとこ」名義で記事を書かせていただきました。

悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ) 悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ)(2009/06/06)
…改めて石田三成と茶々姫の“不義”を否定する記事を書かせていただきました。


メモ 参考資料としてご紹介いただきました。

めのとめのと
…茶々の乳母大蔵卿局を主人公描く歴史小説。茶々の祖母阿古の活躍も見どころ。
千姫 おんなの城 (PHP文芸文庫)千姫 おんなの城
…千の生涯を描いた作品。千が見た茶々をはじめとする人々の生き様、敗者が着せられた悪名が描かれる。


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