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茶々姫をたどる汐路にて

茶々姫研究日記(こちらが現行版になります)

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蓮経院豊と養女本光院(瑞林寺墓地)

 
お久しぶりです。
ご無沙汰しまくりですが、ブログをお休みしている間もなんだかんだやっております。

今回は、谷中の瑞林寺墓地へ八代(称専院)の二女、豊(本多忠常室、初名犬)を訪ねたお話。
九条八代=完子の次男である九条道房の五女。久しぶりなので念のため…

茶々姫をたどる汐路にて

いくつかの大名夫人墓所に紛れてひっそりとその墓所はありました。
当然案内もなければ素性が刻まれているわけでもなく、それと知ってお参りする人以外にそれが織田豊臣徳川の血をひく女性と知る術はありません。

茶々姫をたどる汐路にて
蓮経院殿妙脱日解大姉 淑霊
元文二丁巳天/二月上旬七

その側には、血は繋がらずとも姪であり養女となった黒田吉之室本光院の墓所が。

茶々姫をたどる汐路にて茶々姫をたどる汐路にて茶々姫をたどる汐路にて

本光院殿妙瑞恵照日周大禅尼
宝暦七丁丑歳/五月二十七日

その様子は生前の睦まじさを想像させるものでした。

二人とも戒名に見える通り、日蓮宗徒だったようです。
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[Twitter]熱田神宮、「筑州母儀」

 

大坂の陣の後、熱田神宮社人が求められて奉行に提出した誓約書(大坂牢人を囲わない旨を誓わせた)、改元から三月経っても「慶長廿年」を用いているところが面白い。畿内じゃないのに。


posted at 22:53:25


そうなると、史料中に出てくる「筑州母儀」はやっぱり光高の母となり、元和八年に亡くなっている子々(天徳院)ではない女性を指すことに。利常のことなら、母寿福院が寛永八年まで生きているのでそっちかなと思ったんだけど、それもないっぽいですね…。ううん。


posted at 21:09:41


寛永六年八月の前田「筑州」と「播磨之御姫様」の縁談について考えていました。「筑州」が光高なのか父利常なのかと考えていましたが、この年の春に光高が家督を継ぎ筑前守となり、また前年に千の娘勝が池田家へ輿入れしていることから、やっぱり筑州=光高、御姫様=千ということに。


posted at 21:07:43



 

[Twitter]名古屋

 

熱田神宮、熱田誓願寺、中村公園(豊国神社)、常泉寺、油江天神社、妙行寺などなど、寒かったけど名古屋を堪能しました!ヽ(・∀・)ノ今から帰ります~


posted at 21:10:30


近江木下家の系図、日秀の名前が「阿宮殿」になってた…。「とも」があまり史料的根拠無いとは聞いていたけど、どうなのかな。


posted at 15:41:13


中村公園豊国神社なう! t.co/Ml0oKXyN


posted at 14:09:06


とりあえず、熱田文庫の先生がとてもご親切な方だったので、ありがたかったです。ただ秀頼の寺社修築に対しては決して肯定的ではなかったけど。お茶を濁してしまいました。


posted at 12:30:44


誓願寺にお位牌やら過去帳やらゆかりのものがあればなーと思っていたので、そこは残念。灯籠なども新しいものばかりでした。一応戦火前もあったけど、大正とか。


posted at 12:27:48


扁額、やっぱり戦火で焼けたっぽい…残念。でも、熱田さんではいろいろ収穫ありました♪早起きして寄り道してよかった!


posted at 12:22:30


熱田誓願寺。阿弥陀堂扁額の手がかりがあればなーとお詣りしたけれど、そもそも阿弥陀堂がない。それどころか、本堂もご住職さんらしきおうちと会館が一緒になった現代建築で、何も伺い知れなかった…どうみても普通のおうちだもの…


posted at 10:30:15



 

[Twitter]木村重成妹、千田采女妻

 

木村重成隊の山口左馬介弘定という人は、重成の妹婿らしい(御当家紀年録)。弘定の妻も宮内卿局の娘なんだろうなあ。弘定の娘が松平正綱の妻だったらしいけれど、慶長十八年ごろに離縁しているらしい(事語継志餘録)ので、異母ですね。重成娘も大坂城に仕えていたりしたのかなあ…


posted at 22:31:40


千田采女の妻が初の娘らしい。養女でしょうね。千田采女は何代かいて、一人は小谷落城時に戦死していて、もう一人は石田三成の家臣。時期的にその子くらいかな?家康の鷹役だったらしいです。


posted at 12:37:04



 

[Twitter]小督局

 

千の侍女、小督局の戒名、どっかにありそうでない。院号は妙源院らしいけど。あと、妙○院は松平忠明の妻妾に共通してるっぽいなーというところまではわかったのだけと…


posted at 15:03:02

 

[Twitter]江の異名

 

.@Ka_Yuu_K 最近気がついたのですが、江の異名に「阿子」ってのがありまして、祖母と同じ「あこ」かと思いきや、たぶん「阿」=「お」で「おこ」→「おご(う)」なんだろうなーと…。あんまり関係なくてごめんなさい。確かに読みは難しいです。


posted at 01:28:11

 

[Twitter]甲斐姫など

 

龍の乳母は、龍の先夫武田元明が亡くなった次の日(天正十年七月二十日)に亡くなっています。殉死でしょうか。「宗鏡妙寿大姉 武田孫八郎殿カミサマ御乳母」生きていれば、茶々姫の大蔵卿局くらいに活躍した方だったでしょうね。


posted at 21:05:30


台月院と甲斐が別人だったとして、間違われてしまう二人が二人とも悲劇。どうか慎重に。


posted at 17:13:23


まあでも、ここから甲斐と成田石の関係がわかるものが何か出てきたとすれば、二人はやっぱり親戚でした!という大逆転もあり得るかも、と思うと面白い。今のところ無関係というほうがあり得るというだけですし。でも、すでに台月院=甲斐という認識ができつつあるようで、ちょっと恐ろしい。


posted at 17:12:36


ところで、このニュースってのぼうの公開の頃ですよね。甲斐らしき和歌があるのは結構前から私も知ってたし、それより何より2003年出版の楠戸義昭氏の本にも書いてあったし、さらに言えば1972年出版桑田忠親先生の本でも書いてあるんだけどな(苦笑)言わぬが花?


posted at 17:08:47


私も時々時系列無視して思い込んでしまいますが、醍醐の花見の短冊、「いわ」さんが国松や天秀尼の生母では?というのは、さすがにないんじゃないかなあと思います。甲斐と石の実家成田家は同じ家ではないし、そんなに幼いころからずっと成田石が秀頼の傍にいたとはちょと現実味がなさすぎる。


posted at 17:01:15


仕事帰ってから史料の整理をしていたら案の定収集つかなくなってこんな時間\(^O^)/メモ代わりにタイムライン汚しまくってごめんなさい。


posted at 07:37:41


鹿苑寺過去帳:勧修寺光豊室(太田一吉女?)義光院遠月誓幽大禅定尼/慶長十六年七月二日没


posted at 06:57:56


霊元天皇皇女八重宮生母少将局(南相忠女法春院)


posted at 06:49:08


.@itoko_akaishi 水無瀬氏成女、慈祥院殿明雪文英大姉十一月十六日没。(念仏寺過去帳)


posted at 06:48:40


橋本実勝女、慶安元年十二月二十六日没 RT @itoko_akaishi 東福門院の側近、権大納言局は福正院殿梅雲妙白といって、龍が帰依した誓願寺に塔頭(福正院)を築いた人。お墓もそこにあったらしいのだけれど、今もあるのか、それとも龍や国松同様どこかに移転されているのか…(雍州)


posted at 06:35:59


横山家次女①宰相局:東福門院若宮乳母、②明正右京太夫局(「横山家累系」)


posted at 06:26:06


後西天皇局高辻豊永女「新大納言局」とも称す(按察使局)梅盛院長空尼?


posted at 06:11:50



おまけメモ。後水尾天皇帥局(水無瀬氏成女氏子)慈性院。後光明天皇小一条局(庭田重秀女秀子)栄雲院。後西天皇六条局(梅小路定矩女貞子)貞松院蓮生。霊元天皇少将内侍局(五条為庸女庸子、屋津子)清光院浄心信敬-所生皇子見性院(延宝五年七月十八日三歳薨)。


posted at 03:40:28


知恩院に廉貞院松平鶴(九条道房政所長子)の供養塔もあったのかあ…見逃しているというか、知恩院にお参りに行った時点ではまだ眼中になかった(涙)


posted at 03:38:47


知恩寺の末寺にかつて禅福寺というお寺があり、ここには天崇院(徳川勝)の供養塔とその孫で松平綱賢の妻豊光院九条梅(九条道房三女)の供養塔があったらしい……今でも豊光寺は残っているのかな…検索しても相国寺の豊光寺しか出てこない(しかもこっちは秀吉の供養のために建てられたとか)。


posted at 03:25:57


同書では、大野家供養塔について「主馬祐之類」の塔ということになっていたり。まあ、父母の供養塔だから間違ってはいないのだけれども。本圀寺の項には道犬一家の供養塔があるとあるけれど、こちらも今もあるのだろうか…。道犬ってやっぱり治長弟治胤のこと?ひょっとしたら父佐渡守のほうかも?


posted at 02:49:56


posted at 02:16:17

 

鍋島光茂生母松平牟利/利(千姫侍女小督局息女)

 
母は千附き侍女小督局(妙源院、藤本誓宗女)。
千が大坂城を退く際に同行した。
その後、松平忠明が家康に請い、小督局を妻とする。

元和三年十一月十五日大坂で誕生、名は利(「龍​造​寺​並鍋島家​譜」)、もしくは牟利(「鍋島家​譜​ ​(​肥​前​蓮​池​)」)

寛永七年、鍋島光茂に嫁ぐ。

寛永九年五月二十三日、江戸にて嫡子翁助(のちの光茂)を出産。
なお、女子も一人いたらしい(「鍋島直重家譜」)

寛永十二年正月、夫忠直死去。忠直の弟直澄に家督をゆずらんとし、牟利は義弟直澄に再嫁する。
しかし家中の反発が強く、結局翁助が家督を継ぐこととなる。
利が輿入れした時から附き従っていた小倉殿(利の母方の伯母。藤本誓宗女)、これに反発し、牟利のもとを離れ、翁助附きとなりその養育にあたったという(『葉隠』)。

寛永十二年十一月、光茂に伴って家光にまみえる。

寛永二十年正月十八日、直澄との間に嫡男千熊丸(のちの直之)を産む。

正保二年一月二十七日、江戸麻布屋敷で没。恵照院殿心月妙泉大姉(「龍​造​寺​並鍋島家​譜」)、慧照院心月妙泉(「鍋島家​譜​ ​(​肥​前​蓮​池​)」)。
肥前慶誾寺に葬られ、のちに蓮池宗眼寺に改装される。
 

京極忠高後妻文英尼の一族 円通寺位牌より

 
以前取り上げた京極忠高の後妻、園文英について、『近畿歴覧記』より。


「円光院瑞岩文英尼」(円通寺位牌)
「園光院瑞雲文英」

夫 京極忠高:「玄要院前若州太守羽林天慶道長大居士」(円通寺位牌)

父 園基任 「春松院贈左大臣雲岩宗貞大居士」(円通寺位牌)

母 「松樹院正受信女」(円通寺位牌)

祖父 園基継(基定) 「清樹院桃岸宗見居士」(円通寺位牌)

祖母 「梅春院許鶯妙忍信女」(円通寺位牌)

長兄 園基音(基景)「南宗院贈左大臣指月文明居士」(円通寺位牌)

次兄 東園基教 「冬松院高岩宗清禅定門」(円通寺位牌)

長姉 壬生院光子(はじめ継子) 後水尾天皇京極局 霊元帝生母

次姉 柳原茂光室? 「妙池院蓮誉華屋上台禅尼」(円通寺位牌)
プロフィール

紀伊

Author:紀伊
茶々姫(浅井長政の娘、豊臣秀頼の母)を中心に、侍女、ご先祖の浅井家女性(祖母井口阿古など)、茶々の侍女やその子孫、養女羽柴完子とその子孫を追いかけています。
ちょこっとものを書かせていただいたり、お話しさせていただくことも。





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メモ「赤石いとこ」名義で記事を書かせていただきました。

悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ) 悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ)(2009/06/06)
…改めて石田三成と茶々姫の“不義”を否定する記事を書かせていただきました。


メモ 参考資料としてご紹介いただきました。

めのとめのと
…茶々の乳母大蔵卿局を主人公描く歴史小説。茶々の祖母阿古の活躍も見どころ。
千姫 おんなの城 (PHP文芸文庫)千姫 おんなの城
…千の生涯を描いた作品。千が見た茶々をはじめとする人々の生き様、敗者が着せられた悪名が描かれる。


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