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饗庭局(「あいばのつぼね」)を見直す

散々ここで取り上げている茶々の侍女饗庭局ですが、彼女の名前は「あえば」ではなく「あいば」なんですね。
wikiは「あえば」としているので、これで思いこんでしまったのでしょうか。反省です。
桑田忠親氏の『桃山時代の女性』で、「饗庭局」に「あえばのつぼね」とルビがありました。どうやらこれのようです。

前回の右京大夫局と宮内卿局の記事を書く為に史料を見ていて自分の思い込みに気がついたのですが、旧暦命日を前に三十二義士の一人でもある饗庭局の名前について史料を追いかけてみようと思います。

「醍醐花見短冊」:「あい者(は)」
(代筆説もありますが、自著だとしたらこれだけでも決定的ですよね…)

『輝資卿記』:「あいば殿」
『資勝卿記』:「饗庭様」
『色部文書』(大蔵卿局書状):「あいば殿」
『山内家文書』(大蔵卿局書状):「御いば殿」?
『筑紫古文書』:「あいばとの」
『土屋知貞私記』:「饗庭」
『三好家過去帳』:「アイバ殿」
『駿府記』:「相庭〔アイバ〕殿」
『慶元記』:「饗庭ノ局」
『豊内記』:「饗場局」「アイバノ局」
『元寛日記』:「饗場」
『慶長見聞書』:「饗場ノ局」
『大坂冬陣記』:「相庭局」
『難波戦記』:「饗庭局」「饗場局」
『大坂籠城記』:「饗場局」
「続撰清正記」:「あいば殿」
『甲子夜話』:「あいは殿」
『諸系譜』:「饗場局」

そもそも、彼女の女房名、もしくはその由来となったであろう「饗庭」姓の発祥地元高島市の饗庭も「あいば」なんですよね…

ついでに、思いこみというか、以前から疑問に思って史料を探していたんですが未だに見つからないのが、饗庭局を茶々の乳母とする史料です。桑田忠親氏の『淀君』に「淀君の乳母」という注記があるのですが、これはどこからひいたのか未だに分かりません。
乳母は、格下の家から選ばれることがほとんどで、茶々の乳母となるには饗庭局は家柄が良すぎるなあ…というのは前々から感じている違和感の一つです。
大蔵卿局に次ぐ茶々の側近であったのは間違いないようなのですが…
仕えた時期も早く、秀吉の生前既に茶々の側近として姉海津局とともに醍醐の花見に参加傍にいました。

「今日ここに人ともみゆきの山桜 あかず千年の春を重ねむ あい者」
「今日よりや花の色香も千年経む 君かみゆきの山桜かな かいつ」

皆おなじテーマで詠んでいるとはいえ、「今日」「みゆきの山桜」「千年(ちとせ)」…と姉妹で大変よく似た和歌を残しています。短冊では二人の和歌は隣り合っていませんが、姉妹で合わせて詠んだことが偲ばれます。

| ∟史料関係 | 22:45 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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