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茶々姫をたどる汐路にて

茶々姫研究日記(こちらが現行版になります)

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[Twitter]よしなしごと

 

豊臣家サイドの史料がほとんど残っていないから秀頼や茶々が孤立していたように思えるのではやいかしら…と眠れぬ夜に考える。秀次の駒井日記みたいに大坂豊臣家サイドの記録がどこかに隠れていればいいのに…


posted at 02:20:23

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[Twitter]江と日通

 

本日の収穫。江が和子を難産した話とか和子の乳母とか、江の輿入れに従った人とか。江を落城する小谷から救い出したという話まで。詳しくはまた後日…


posted at 21:23:56


QT @hanahime8787 以前教えていただいた日蓮宗の事典に仰る通り書いてありました。九条兼晴の養女になったそうなので、その年代で間違いなさそうです。さすがに逸宮の子ではなさそうですね...


posted at 12:09:55

 

[Twitter]九条寵

 

(メモ)「万治2.5.晦 松平(浅野)綱晟室寵君、男子を出産。岩松と命名す(のちの綱長)」[景永君御伝記]。 t.co/M4BxTDCq


posted at 20:15:09

 

古奈と初 興安院徳川初供養塔(三宝寺)

 
茶々姫をたどる汐路にて

三宝寺は二度目の参拝だったのですが、前回は気がついていませんでした。

古奈が建立したといわれる、養父母京極高次・常高院夫妻の供養塔の隣に、義理の姉妹である興安院徳川初の供養塔がありました。これも古奈によるものと思われます。
過去帳にも寛永七年三月四日付で「興安院殿豊誉天清陽山大禅定尼」の戒名がありました。

伝通院の墓所もあまり目立たちませんが(とはいっても大きな墓碑です)、こちらにも供養塔があるとは驚きました。
血はつながりませんが、仲の良い姉妹だったようです。
初が忠高を「あにさま」と呼んだエピソードは知られていますが、ひょっとすると古奈のことも「あねさま」と呼んで親しんだのかもしれません。
 

天真院完子・瑞円院日怡母子墓碑(本圀寺)

 
茶々姫をたどる汐路にて

『江の生涯を歩く』で紹介されていた本圀寺へ完子のお参りに行きました。
読みづらいですが、「天真院従二位本光円成大姉」でしょう。
完子の墓所・供養塔などでは等しく「従二位」とありますので、やはり従三位でなく従二位だったようです。

東福寺大機院に去年再発見された九条家墓地に完子の墓地がありますが、当時の記録によると、完子の遺体はこの本圀寺(当時は本国寺)に運ばれ、葬送が行われました。数日後、東福寺においても完子の法事が行われたようです。一周忌法要も、双方で行われています。
東福寺は九条家の菩提寺ですから、日蓮宗本国寺での葬儀は完子の遺志とも考えられます。祖母日秀が熱心な日蓮宗信者ですから、その影響でしょう。

そして、その完子の墓所の隣には、彼女の三女日怡の墓所を発見しました。

茶々姫をたどる汐路にて

判読しづらい部分もありますが、「瑞円院日怡大比丘尼霊位」となっているようです。
こちらもだいぶ読みづらかったですが、忌日もあり、「寛文四年二月三日」なのだと思われます(「二月」は判読しやすかったです)。

帰宅して確認していたところ、実はもう一箇所彼女の墓地にお参りしたことがあったことが判明。
二か所も残っているとは、驚きです。

日怡は曽祖母日秀(豊臣秀吉の姉、完子にとっては父方の祖母)の跡を継ぎ瑞龍寺二世となった女性です。
日秀の死後、豊臣家の寺院であるという理由で瑞龍寺は一度廃されますが、日秀は生前より日怡を後継とすることを望んでおり、日怡の父九条忠栄らの嘆願により、寺領を復され日怡が十七歳のとき、無事に跡を継ぐことができました。
寛永十八年七月二十四日には、日怡の薙髪に際し、父忠栄(幸家)、母完子、兄康道、忠象(道房)、姉序が揃って見守っていた様子が確認できます。

なお、彼女の跡を継ぎ瑞龍寺三世となったのは、兄二条康道(完子の長男)の娘日通。日怡にとっては姪、完子にとっては孫娘、日秀にとっては玄孫女にあたります。
康道の妻は後陽成天皇の皇女斎宮(逸宮、貞子内親王)で、他に康道の妻妾は見当たりませんが、日通の生母について明記されているものは見つけられませんでした。


念願の完子墓所だったわけですが、個人的には日怡の墓地発見にテンションが上がっていました(笑)
とても一人では行けそうな場所になく、連れて行っていただいたことに、ただただ感謝です。
 
 

太融寺初詣

 
茶々姫をたどる汐路にて

先日、太融寺のお墓に初詣してきました。
用があって寺務所に伺ったところ、茶々についてのパンフレットを頂きました。

茶々姫をたどる汐路にて(表紙)

御住職がパンフレットを制作されたということは存じていたのですが、現在も配られているとは、何度もお参りしているのに、存じ上げませんでした。

墓碑の側に掲げられている漢詩の作者、藤見東陽氏による解説などがあります。
茶々の来歴を紹介した石碑と同じく、永禄十年生まれ説を採られています。

その他、詩碑が小谷城縁の石であり、来歴を紹介した石碑は大坂城縁の石であることなどをはじめ、墓碑に関することも詳細にかかれてありました。
 

初春のお慶びを申し上げます

 
御挨拶が遅くなりました。バタバタと年末を過ごしているうちに、あっという間に年が明けてしまいました。
「一月は行く、二月は逃げる、三月は去る」と申します。なるだけ充実した時間が過ごせるよう自戒したいと思います。

大河ドラマが終わり、関連書籍が軒並み値崩れしていたので、何冊か購入。

特に新しい情報があったわけではありませんが、『戦国三姉妹の栄華と悲惨―茶々・お初・お江―』(立石優著、明治書院)は茶々の再評価という意味では近年の研究を取り入れられているように感じました。
完子のその後についても、すこし触れられています(出生のタイミングは従来の説の通りでしたが)。
戦国三姉妹の栄華と悲惨―茶々・お初・お江 (学びやぶっく)戦国三姉妹の栄華と悲惨―茶々・お初・お江 (学びやぶっく)
立石 優

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ツイッターでチェックしていた、『徳川千姫読本』(内海昭佳著、歴研)も手に入れました。
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まだざっと読んだだけですが、これまでの研究成果のまとめに多くの頁が割かれているという印象です。
ですので、従来の説を踏襲している部分も多々ありますが、一方で別の視点から改めて検討されている部分もあり、そこはとても面白く拝読しました。
義母茶々との関係についてはとくに偏った表現は見られなかったのですが、一方の江については一部辛辣で、「ネグレクト」という言葉を使って家光への冷遇を肯定し、表現されています。
とはいえ、決して安価ではありませんが、小説を除いて、千という括りではまとめられているものが割と少ないので貴重な一冊かもしれません。

大河ドラマが終わり、いつもの環境に戻りつつあることを個人的に嬉しく思います。
抜けている大河ドラマの感想も、必ず書きます。むしろ、抜けている部分のほうが語りたいことが多いので(こだわりが大きいからこそ続けて見ることができませんでした…)。

そして鶴松縁の妙心寺玉凰院、隣華院が特別公開されているので、ぜひ参拝したいと思っています。
もちろん史料読みもコツコツ続けて行きたいです。

今年も、例年通りマイペースに続けて行きますので、皆さま、ご指導のほどどうぞよろしくお願いいたします。

最後に、私の小学校の先生の座右の銘を。
「冬来たるなば、春遠からじ」
本年が良き年となりますようお祈り申し上げます。
プロフィール

紀伊

Author:紀伊
茶々姫(浅井長政の娘、豊臣秀頼の母)を中心に、侍女、ご先祖の浅井家女性(祖母井口阿古など)、茶々の侍女やその子孫、養女羽柴完子とその子孫を追いかけています。
ちょこっとものを書かせていただいたり、お話しさせていただくことも。





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メモ「赤石いとこ」名義で記事を書かせていただきました。

悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ) 悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ)(2009/06/06)
…改めて石田三成と茶々姫の“不義”を否定する記事を書かせていただきました。


メモ 参考資料としてご紹介いただきました。

めのとめのと
…茶々の乳母大蔵卿局を主人公描く歴史小説。茶々の祖母阿古の活躍も見どころ。
千姫 おんなの城 (PHP文芸文庫)千姫 おんなの城
…千の生涯を描いた作品。千が見た茶々をはじめとする人々の生き様、敗者が着せられた悪名が描かれる。


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