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中尾山盛蓮院醫光寺~三好政盛再興の寺院

茶々姫をたどる汐路にて

○合同位牌(浅井六公・三好八公)

「浅井新三郎政重入道道瑞 明応五丙辰正月廿一日」…浅井政重?

「徳勝寺殿前備前大守救外宗護大居士 天文十一壬寅正月六日」…浅井亮政
「甲賢院殿前野洲大守久獄良峻大居士 天正元癸酉八月廿八日」…浅井久政
「養源院殿正二位亜相天英宗清大居士 天正元癸酉八月廿九日」…浅井長政

「浅井石見守明政 天正元癸酉八月廿九日」…浅井明政
「隆貞院殿節誉徹外烈鑑大居士 慶長二十乙卯五月七日」…浅井政高
「光月院殿廓心了栄大居士 寛永七庚午九月四日」…三好直政
「崇徳院殿前石州天誉月峯照和大居士 元禄十二己卯六月廿九日」…三好政盛

「空晴院殿法誉素白元元哲大居士 宝永四丁亥五月廿五日」…三好勝政
「消幼院殿耀誉旭室常鑑大居士 宝永七庚寅閏八月九日」…三好政敬
「暢要院殿玄誉清徹昇道大居士 寛延三庚午十一月十七日」…三好善政
「正慶院殿轉誉輪徹法道大居士 宝暦六丙子十二月十八日」…三好政幹
「俊興院殿本誉成願至道大居士 天明六丙午十二月十二日」…三好有政
「浩徳院殿明誉松月道園大居士 天保三壬辰三月十二日」…三好政典

cf. 「赤坂浄土寺過去帳」にみる浅井明政の法名
「忠海院殿従五下前石州刺史義山道勇大居士 三好家第三代」

○三好政盛位牌

「崇徳院殿天誉月峰照和大居士霊儀 元禄十二巳卯年 六月二十五日」

○醫光寺過去帳

四日
 光月院殿廓心了栄大居士 寛永七年九月/三好丹波守殿(政盛)御父

十九日
 浅井新三郎政道入道道瑞公 明応五丙辰正月十九日 当山剣立文明元丑年

二十日
 光源院殿正誉妙悟大禅女 明暦元未十二月 三好能登守殿続姥

二十二日
 桂昌院殿従一位仁誉奥国大姉 宝永二酉六月 塔頭仏閣御建立大□女

○崇源院位牌

「崇源院昌誉和興仁清大禅定尼霊位 寛永三年九月十五日寂 五十四歳/徳川第二代将軍秀忠公正室」
 …但し、この位牌は女性像が江のものだとされてから増上寺の戒名を使って作られたもののよう。

○三好政盛ら供養塔
茶々姫をたどる汐路にて

真ん中が政盛供養塔、右手が政盛室供養塔、左手が政盛の子勝政、勝政の子友政の供養塔だそうです。
他にも後方に宝篋印塔が二基あり、ひとつは直政のものではないかと言われているそうです。

○醫光寺浅井家女性木像

醫光寺は海津局の孫とされる政盛によって再興された御寺です。
そのこともあって、政盛以前の三好家浅井家女性の痕跡は少なく、政盛生母(明石全登女)の名前も見えませんでした。そんな中で、海津局の名前が過去帳にあったことは大きなことです。

ともかく、醫光寺にとって中興の祖である政盛を養育した海津局の存在は大きく、過去帳に戒名を記して供養が続けられてきたようです。
醫光寺さんといえば、今大河ドラマ展で活躍中の「伝崇源院像」ですが、醫光寺さんの過去帳には崇源院の名は有りませんでした。
この像はもともと五代将軍綱吉の母桂昌院のものとして伝わっていたそうで、そのためか、縁のほとんどない桂昌院の名前が過去帳に記されていました。

そもそも、この木像が江のものであると断定された背景には、こちらに安置されている阿弥陀如来木像の修理の際、家光の木像を作ったとされる康知という人が関わったという事実があります。
家光の木像を作った職人にわざわざ阿弥陀如来の修理をしてもらっていることから、醫光寺さんが家光にとって縁の深い寺でもあることから、女性像の像主もまた家光に縁の深い人であるだろうと推測されました。
これだけですと、家光の母である江、家光の側室である玉(桂昌院)のどちらも該当しますが、やはり浅井家ゆかり三好家のお寺であることから、浅井家出身で家光と関係のある女性=江のものである、と断定されたようです。

ただし、江がこの寺と関わりの深い女性かどうかというと、過去帳のとおり、戒名もありません。
一方、政盛以前の代の女性が他に見えない中で、過去帳に残る海津局の名前は嫌が応でも目を引きます。
既に政盛自身に、家光の小姓として側近くに仕えていたという縁があります(『寛政重修諸家譜』)。
海津局はその政盛を育て上げた女性ですから、像が作られてもいっこうに不自然ではありません。むしろやはり江の木像と言われるよりもずっとしっくりきます。

醫光寺さんにお参りして、木像が海津局ではないかという思いをより強くしました。

○消えてしまった明政一族の一代を追って…

合同位牌の道重という人がとても気になります。15世紀の終わりに亡くなっている方なのですが、明政の実父あたりでしょうか…

もうひとつ気になるのは、海津局が同じ過去帳に戒名が出ている直政の母と書かれるのではなく、「政盛の親族の媼」と書いているところです。やはり、明政と海津局が母子ではない可能性がぐっと強くなったように感じました。

三好家についてより調査を進めようと思うと、やはり菩提寺である赤坂浄土寺を伺わねばなりません。

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小谷寺 浅井長政供養塔へ①

                                    ↓この辺…
茶々姫をたどる汐路にて

江の生涯を歩く』で気になっていた小谷寺の浅井長政供養塔を目指してみました。
…が、思いのほか山の上だった&うっかり山登れる格好をしていなかったため、今回は泣く泣く断念しました…

次こそは。

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