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2011年02月 | ARCHIVE-SELECT | 2011年04月

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御所周辺、北野、大徳寺 ~京都冬?の旅 4日目

宿泊地に戻り、震災を知りました。
怖い思いをされた皆様に、心よりお見舞い申し上げます。

①聚楽第本丸跡石碑
・東濠跡(中立売通大宮角)
・西濠跡(中立売通裏門角、正親小学校一角)
・南外濠跡(智恵光院通出水下ル西入ル南側、松林寺前)
・鵲橋旧跡(松屋町通出水上ル東側、松永稲荷前)
…これのみ、石碑の刻字の色が剥げていたので少しわかりづらかったかも。
参考サイト:(追記予定)

②京極龍洞院邸跡
龍が、大津城攻防戦で寧と茶々姫の使者に救われ、送り届けられた京極の屋敷。
上京区西洞院一条下ル 賛州寺町(教えていただきました。ありがとうございます)
ご近所の方々に伺いながら探索。当然、跡地を示すものは何もありません。

③京都新城(「秀頼卿御城」)跡
現仙洞御所。
秀吉の生前、秀頼と共にここから参内し、「秀頼卿御城」と呼ばれた。
秀吉の死後は寧がここに入り屋敷として守った。
関ヶ原合戦の際、寧は城壁を壊し開城のうえ、御所へ避難した。
そんなエピソードがありありと浮かんでくるほど御所から近い場所にあります。
Twitterで、仙洞御所の庭園が小堀遠州のものであることを教えていただきました。どの時点で作られた庭園か気になりますね。
仙洞御所拝観は要申込とのことですので、次の機械には準備を怠りなく必ず。

④本禅寺
$茶々姫をたどる汐路にて-110311_1058~02.jpg
こちらの鐘・鐘楼は、摂津法安寺に秀頼の名前で慶長十一年に奉納されたものです。
鐘銘には、現在でも「法安寺」の名前と施主秀頼(「正二位右大臣豊臣朝臣秀頼公」)の名前、そして奉行である片桐且元(「片桐東市正且元」)の名前が見えます。
昨日この鐘にも茶々姫が深く関わっていらっしゃるらしい話をうかがって…気になっています。

⑤相国寺
慶長十年に秀頼の名前で再建された法堂が未だ健在でした。
承天閣美術館の学芸員さんにお話を伺ったのですが、秀吉の朱印状は残っているそうですが、秀頼関係のものは他には何も残っていないそうです。

⑥北野東向観音寺
もともと「観世音寺」北野天満宮の神宮寺の一つだったお寺。当時は「西向」と「東向」があったそうです。
現在の本堂(入母屋造本瓦葺)は慶長十二年北野天満宮再建のおりに秀頼の名前で再建されたもの。『当代記』によると北野天満宮の再建は茶々姫の発願だったそうですので、この東向観音寺の再建も茶々姫の意向であると思われます。

⑦北野天満宮
$茶々姫をたどる汐路にて-DSC_0013.jpg

・秀頼の名前で再建されたものは拝殿・本殿・多宝堂、本社、中門、東門、北門、廻廊、後門、透塀、校倉、神楽所、摂社地主神社本殿など
・本殿、拝殿の擬宝珠も確認してきました。大分見づらかったのですが、いくつもある擬宝珠すべてに施主秀頼の名前と且元の名前、日付が入っていたと思います。
$茶々姫をたどる汐路にて-110311_1317~02.jpg

・宝物殿に縁の品が多数展示。慶長十二年十二月吉日付の「北野天満天神本社」再興の棟札。施主は「右大臣豊臣朝臣秀頼公」、奉行は「片桐東市正且元」。
・慶長十五年五月吉日付の秀頼奉納絵馬。「絵馬」といっても、かなり巨大です。曽我直庵によって描かれた静の白馬、動の黒馬に、秀頼の直筆で武運長久祈願、日時、「松」の署名。秀吉が使っていた「松」の一字名を受け継いでいたことを初めて知りました。
・慶長二年奉納のふたつの釣灯籠。施主は秀吉と秀頼。一方には「御歳丙申」。これは、天文五年の干支で、秀吉の生年とされている。もう一方は秀頼の生年(文禄二年)の干支「御歳癸巳」の文字が。そして、五三桐とおそらく北野天満宮の梅の紋。最近では秀吉は天文六年の酉年生まれが有力な説となっていますが、どうなんでしょう。釣灯籠の文字は、確かに確認しました。
・摂社で豊国社があったのに少し驚きました。

⑦北野経王堂
現大報恩寺(千本釈迦堂)に秀頼の名前で修築したらしい経王堂が移築されています。
しかし、現地では何も書かれていませんでした。

⑧大徳寺
・前田利家室まつゆかりの芳春院、石田三成の墓地があるという三玄院などを外から眺めました。
・総見院の特別拝観へ。若く可愛らしいガイドさんについていただく。
・本堂では開祖、信長の等身大と伝わる木像。この木像の通りなら身長は160センチほどで、当時としては高めだったそうです。秀吉は同じ信長の木像を二つ香木で作らせ、一つは遺体の代わりに火葬したといいます。
・本堂に安置されていたお位牌、見えるところにあったものは信長のものが二つと、五徳(見星院)のもの。他は判別できず。ガイドさんによると、秀忠など徳川将軍のものもあるらしい。お位牌の数的に、徳川将軍全員の分があるようには見えませんでした。江のものがあったりしないでしょうか…。江が織田縁の姫だと意識されていたのなら、信長の菩提寺であるこちらに江の位牌などがあってもおかしくないなあと私は思ったのですが…。やっぱり単に時のの権力者であったからというだけ?
・信長画像。見慣れたものよりなんとなく渋くて好きだ。
・清正が朝鮮から持ち帰った火山岩で作られた井戸。この井戸は秀吉も茶会で使い、現在も使われているとか。そこかしこで清正が朝鮮から持ち帰った××、というものをよく見ますが、朝鮮でたくさん兵士が死んだために、船が軽くなってしまい、転覆の危険を避けるために岩や灯籠、手水鉢などを持ち帰ったと説明を受けました。なるほど。
・織田家墓地。信長を中心に信忠、信雄、秀勝、秀雄、信高、信好。独立して五徳。さらに離れて帰蝶、鍋。鍋の墓だけ系統が違った。信孝がいないあたり、秀吉の作った寺院という感じですね。五徳は、信康死後織田家に帰り、信雄の庇護にあったようですし、総領娘ですし、やはり長女は実家にとって特別という感じがします。生駒氏のお墓がないのは意外。やっぱり信長より先になくなったからからかな?でも供養塔があってもいいのに。


毎回、Twitterでの長々とごめんなさい。
Twitter→ブログと、メモ&備忘録がわりに使わせていただいている状況です。ご了承ください。

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妙心寺・三寳寺など ~京都冬?の旅 3日目

$茶々姫をたどる汐路にて-110310_1706~01.jpg

本日は、素人ではとても体験できないような旅をご案内いただきました。

①妙心寺
…どこかに茶々姫縁の品は残されていらっしゃらないものか…
・慈徳院供養塔
・織田信忠供養塔
・織田長孝供養塔
・織田高長供養塔
・大雲院跡地
・前田玄以木像
・前田玄以夫妻画像、位牌、供養塔
・門(聚楽第遺構)
・三の丸殿位牌、供養塔
・韶陽院跡地
・海福院お茶室
…大坂の陣のあと、海福院で悔恨の言葉を残されたという場所はこのお茶室だったのだろうか。
・福島正則画像2点
…家臣の描いたものと、絵師の描いたもの。前者のほうが色彩鮮やかで、後者は威厳と風格があった。
・福島正則直筆書状
・福島正則所用貝盃、槍
・福島正則供養塔(子女のものもあり)
…説明してくださった方の話の内容が今さら武断派=寧派vs文治派=茶々姫派で、こっそりうんざりしていたのは内緒。大坂の陣前秀頼・茶々姫にご丁寧なお手紙をくださった福島さん、陣後に海福院で悔恨の言葉を残してくださったらしい福島さん大好きです。
・玉鳳院、雲祥院、雑華院(外から眺めるだけ)
…雲祥院さんには火事のため御霊屋など何も残っていらっしゃらないとのこと。残念。

②某所
・個人的に好きな孫七郎さんの像や供養塔に手を合わせられて幸せでした。
・もうすぐ話題になるであろう次弟小吉さんや末弟さん、若君方の供養塔にもご挨拶。
・幸家公記の登場回数がめちゃめちゃ多いお母様の像・供養塔にご挨拶。
・個人的には秀頼の許嫁の姫君(妙亀)の供養塔にお参りできたことがとても嬉しかったです。
・メモ(仙千代=妙泉、百=道喜、十=妙寿、土=妙授)
・某書物で見た秀頼の和歌にはお心当たりなし。残念。
・但し、過去帳に秀頼の名前はあり。茶々姫らしき女性の戒名をご覧になった覚えはなしとのこと。
・貴重な資料をいただいた。大変ありがたいです。

③三寳寺
・秀頼・国松・茶々姫供養塔(今回の画像)
…念願の。『その時~』の茶々姫回で見た、こちらで侍女の末裔さんたちによって供養が続けられている件についてお話を伺いたかった。
・氏家古奈供養塔
…三寳寺を開いた茶々姫の姪御。侍女とも。この方の婚礼は茶々姫の肝いりだったそうな。養母初からも、伯母茶々姫からもとても可愛がられた姫だったらしい。
・氏家行広・松雲院供養塔
…氏家行宏は別名荻野道喜。大坂の陣では茶々姫を介錯する。古奈の父。
ときどき古奈の実母が松雲院でないような系図を長浜城辺りで見かけるけれど、どういう意図だろう。『渓心院文』にも高次の姪御(松雲院は高次の妹)と紹介されているし、三寳寺にも父母の供養塔を建てていることから、実母は松雲院でよいのでは。
・京極高次・常高院供養塔
…これも古奈の作らせたもの。夫婦は幼いときから古奈を引き取ったため、養父母にあたる。古奈の供養塔の背面にひっそりあるので、見つけるのが大変でした。というか、一人では発見できませんでした。


件数は多くはなかったけれど、とても貴重な、充実した一日でしたm(_ _)m

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お江旅 ~京都冬?の旅 2日目

①金戒光明寺
・江の供養塔
$茶々姫をたどる汐路にて-110309_0917~02.jpg
・松平忠長供養塔
・春日局供養塔
・阿弥陀堂(秀頼再建)
・御影堂(秀頼再建も当時の建物は焼失)

②光雲寺
・和子木像(没後一年後に制作。若かりし頃の容貌。)
$茶々姫をたどる汐路にて-110309_1102~01.jpg
…実物は撮影できませんので、ポスターの写真です。
・和子画像(木像を模して文政九(1826)年制作。容貌は壮年期。)
・和子位牌「東福門院 尊儀」
・江位牌「崇源院殿従一位 和興大禅定尼 尊儀」
・和子直筆過去帳。天皇家、徳川家の忌日をまとめる。九月十五日に崇源院の名前あり。
・徳川将軍家(初代~十四代)の位牌の他、家光と家綱の小型の位牌、女三の宮昭子内親王(和子の三女)の位牌が安置されている。
・和子の持仏は聖観音菩薩。仏像は運慶作。厨子は和子の一周忌に作られたもので、葵と菊の紋あり。
・和子さんの義娘円照院宮文智尼(梅宮)が光雲寺に奉納した経典。あまのかるもさん曰く、和子と梅宮には後年交流があったそうです。和子が幼い頃実家徳川家にいわれのない仕打ちを受けたであろう梅宮を気の毒に思っていたのでしょうか…
・和子の遺髪「門院様宝髪」
・和子と明正天皇の和歌
・和子寄進の加藤清正由来手水鉢
・徳川家綱筆普賢菩薩像。乳母川崎局を介してその子英中玄賢が光雲寺に奉納。家綱の絵心にびっくり。

③知恩院
・千供養塔
・方丈(秀頼再建と調べていたが、その様子なし。勘違いか?)

④高台寺
・開山堂の江位牌
・方丈にて展示されていた高台寺にて供養されている人々の一覧(徳川将軍家、秀吉、寧両親、木下家など。徳川家で記された女性は江のみ。)

⑤方広寺
・鐘銘再確認。鋳潰されず残っていることが何を示すものか。
・茶々姫の幽霊と伝わる白い影の確認。

⑥豊国神社
・大野治長寄進の石灯籠を確認しに。
・宝物殿の裏に幕府の作った秀吉の墓があるらしい。前回宝物殿を制覇していたので、スルーしてしまっていました…次こそは…!

⑦養源院
・江供養塔(和子建立)
$茶々姫をたどる汐路にて-110309_1553~01.jpg
・市供養塔(茶々姫建立)
・伝茶々姫画像
・伝江画像
・豊臣秀頼画像(追善供養のため和子制作か)
・豊臣秀吉木像
・茶々姫持仏弁天厨子
・浅井長政、久政、亮政位牌
・江位牌
…茶々姫の位牌がなかった(´・ω・`)
表にある供養塔はどなたのものだろう…

⑧豊国廟
・京極龍・国松供養塔


まだいろいろありますが、見たかったもの、見甲斐のあったものをとりあえず。
光雲寺は一番見ごたえありました!

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西本願寺・東寺 ~京都冬?の旅 1日目

茶々姫をたどる汐路にて

本日の行程

①西本願寺
お目当ては聚楽第の遺構と伝わる唐門と飛雲閣。
唐門は別名四足門、勅使門、日暮門。
偶然団体さんの案内をされていたお寺の方の門の説明を聞けてラッキーでした。

飛雲閣は事前予約が必要でしたので、本日予約してきました。
後日拝観してきます。
非公開が多いなか、お願いすれば通していただけるだけでもありがたいです。

②東寺
特別拝観中。
目当ては秀頼の名前で再興された金堂と観智院(?)。
金堂は寧再興の講堂と隣り合い、個人的になんだか嬉しくなりました。
↑の写真、手前が講堂で奥が金堂です。

観智院は、土日しか拝観できないとのことでしたので、外から眺めて参りました。

金堂もそうでしたが、秀頼の名前はお寺の解説などではあまり見えませんでした。
金堂は奉行の片桐且元の名前しか見えず、観智院は徳川家康の意向としかかかれてありませんでした。

実際幕府を憚って、秀頼の名前で修築されたことを家康の名前や意向ということにして隠してしまい、分からなくなってしまっている寺院がいくつもあるそうです。
そんな当時の情勢をうかがわせるような一件でした...

もう一件くらいうかがうつもりだったのですが、悪天候のため断念。
明日は天気になりますように!

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第八話「初めての父」【大河ドラマ感想】

久しぶりにオンタイムで視聴した割に、感想が遅くなりました。
今回もほぼ創作エピソード回だったのと、前回の感想でいろいろと書きすぎてしまったせいで、特に書くべきことがあまり思い当たらなかったりします(汗)

とはいっても、いくつかメモってますので、今回は感想を中心に。

茶々姫をたどる汐路にて
(柴田神社/北庄城址に現存する当時の石垣)

①勝家と市の婚礼

前回まで母子がいた清州城から岐阜城に移った描写が特になかったのですが、婚礼は岐阜城で行われたようです。岐阜城に居を移しており、岐阜城から北庄城に直接移ったのかどうかは分かりません。

②今週の茶々姫

今回は今までになく頑なでしたね。
それでも、市に「勝家様の気持ちを分からないそなたではあるまい」とたしなめられていましたし、江が行方不明になって早くから勝家への見方を変えていたようですので、利発な女性として描かれていることが伺えて、そこは嬉しかったです。
そのように頭では理解していても頑なになるくらいに、浅井の父を大切に想っているところも素敵です。

とはいえ、江の件でイニシアティブをとる勝家を見て考えを改めているように感じられたところから、どちらかというと浅井の父への想いだけというわけではなく、いつまでも父(夫)らしく振舞わないことに対して苛立ちを感じているようにも見えました。

勝家と茶々姫についての考察は前回書きましたが、実際はどうだったんでしょうね。
特に父子関係を築いていなかったことから、もっと他人然としていたとも言われますが、父とまでは思えずとも身内だと思って接していたのではないかと思うのですが。

③市…

第一回目を思うと、長政に対して市はずいぶんあっさりしているなあ…と…
本能寺の変の直前、信長と仲直りしてしまったことでドラマ内の市は長政のことを割りきってしまったのでしょうね…寂しいです。

でも、勝家に心情を吐露されて、ポカンと驚く市は新鮮で良かったです。

あと、久しぶりに長政さんを見れたのも嬉しかったです。
第一回以降、モバゲーの宣伝が長政さんにしか見えなくて困っています(笑)

④腹黒秀吉

ここ数回の秀吉のコメディ&悪役っぷりがちょっと残念。
今後の江の婚礼や離縁は、この秀吉の流れで描かれるのでしょうか…
演じる岸谷さんはとてもあっていると思うので、もっと深い人間像で描いてほしかったです。

⑤その設定生きてたんですね…(笑)

江の大声設定。
誕生時以来久しぶりでしたね(笑)


火曜日から仕事ついでに京都に滞在してきます。
携帯から記事をあげようと思っていますが、大河ドラマ感想含め、まとまった記事は続けてしばらくお休みします。
ごめんなさい。

| ∟江 姫たちの戦国 | 22:57 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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