見ている最中に姉妹大喧嘩が勃発したりしまして(笑)、なんやかんやと今日になりました。申し訳ございません。
茶々姫が好きなんじゃないの?と訊かれると、それはそうなんですけれど、とあいまいな答えをするしかないというか、やはり歴史ドラマ・小説の類をひも解くのはどうも億劫という気持ちはぬぐいきれません。
とはいえ、観はじめるとのめり込むタイプですので、こんなぐだぐだ言っているのは始めだけでしょうね(苦笑)
感想ですが、文句ばかりもアレですので、できるだけ楽しんで観ていきたいなーと思っています。
ドラマを楽しみつつ、ぶつぶつ文句言いつつ(笑)、適当に目を通していただければ幸いです。
というわけで、前置きが長くなりました。
①浅井久政
最近湖北ではこの御方の見直しが進んできていますが、さすがに大河ドラマではステレオタイプでした。そこは残念。しかし最期はかっこよかったです。潔かったですね!
織田との同盟を反対していたことについて批判されていますが、後年長政は信長のやり方に疑問を持ち道を違えますので、その意味では先見性があった方なのではないかというのが私の評価です。
小谷城が長く籠城できたのも、そもそも戦に備えて水利を整えた久政のおかげです。
余談ですが、この方の肖像画(寿像)は男前で素敵です(笑)
②浅井長政
イケメンでしたねー!
私は茶々姫ファンでもありますが、浅井ファンでもありますので素敵な長政は大歓迎です。
最初時任三郎さんがキャストだと知ったときは、ただそのカッコよさにしか目がいかなかったのですが、長政を演じられているときには、不思議なことに、肖像画になんとなく似ているような、そんな印象を受けました。
長政公の肖像画といえば、現代では丸顔だとか太り肉とか言われたり、あまり男前扱いではありません。(この評価もどうかと思っていますが…)
今回の時任さんは間違いなく男前でいらっしゃったのに、なぜかあの肖像画と似通って見えてしかたありませんでした。
これは私の印象ですので、私の目が悪いだけだったら(もしくは何らかのフィルターがかかっていたら)、ゴメンナサイ(苦笑)
最後の、泣く娘を見て泣き笑いのような複雑な表情、すごくグッときました。
時任さん、長政公を演じてくださってありがとうございました。しばらく時任さんのイメージは長政公になりそうです。
③輿入れ時期、女佐の臣、乳母
いろいろなところで指摘されていますが、今回は時代考証の小和田哲男先生の持論永禄十一年輿入れの設定でした。資料提供としてお名前がテロップに流れた長浜城歴史博物館の太田浩司先生は、もっと早くの輿入れという説を唱えていらっしゃいます。
結局、「長政」の「長」の字が信長の片諱かどうかというところだと思うのですが…『浅井三代記』には市が信長の娘分として嫁いだとされているとのことですが、それが織田方の史料にも記載があれば…
で、輿入れの様子が、市と乳母だけで浅井に引き渡されていましたが、実際は女佐の臣(輿入れにつき従う家臣)がもっといたはずです。実家はその威信をかけて、嫁ぐ娘に「女佐の臣」を付け送りこみます。名前が残っているところでは、「藤掛三河守」(k2さんはこの方の父永継のことではないかと論考されています)の名前が通っていますね。
市の乳母については残念ながら名前が残っていません。幼いころからの乳母がいたのか(長女=総領娘ならばいると見てほぼ問題ないのですが…)、それとも嫁ぐに当たって信長につけられた乳母役だがいたのかもわかりません。私は、前述の藤掛氏の妻や親類に織田家から市に従った侍女がいるのではないかと思っているのですが…何せ、記述が残っていないのでなんとも言えないのが現状です。
④万福丸、阿古
小谷落城の後、刑死させられる浅井家一族の筆頭が、茶々姫らの兄にあたる万福丸です。
早期の市輿入れ説を唱えていらっしゃる方は、万福丸は市の所生に違いないためという点も論拠の一つにされていますが、実際は史実とは違うといえども平井定竹女(長政のはじめの妻)など、市ではない女性を生母にする史料もあります。妾の存在が確認されないため、万福丸が市の所生ではないとされますが、督と同時代に万菊丸が生まれており、後に周防守と名乗る喜八郎がやはり実子ではないかと私は考えていますので、万福丸が市でない女性の所生である可能性は充分にあるでしょう。万菊丸の存在を否定する説もありますが、福田寺や菅浦安相寺の件を考えると、万菊丸をいなかったものとして考えるほうが不自然に思います。また、茶々姫の姉にあたると思われる「くす」(後に京極龍の侍女として活躍する女性です)は、自身の両親の名前として「浅井太守 天窓芳清大居士」、「本念宗心大姉」と位牌に残していますが、この女性が市であったとは考えられません。
そもそも、市が輿入れするのが永禄十一年とすると、長政の年齢は数えで二十四歳。もちろん初婚ではありませんが、先妻平井定竹女と結婚・離縁したのが永禄二年(長政は数えで十五歳。初婚としては自然な年齢です)なので、その間側に置く女性がなかったと考えるのも不自然な話です。もちろん、これが太田先生や宮島敬一氏の説、永禄六年以前の婚姻だとすると、その前提は覆ります。
私の見解は…正直、まだなんとも断じかねています。後に茶々姫は万福丸の供養をしていますので、同腹かしら…?とも思います。しかし、両説を見ていると私は永禄十一年説のほうがしっくりくるかな…?という程度で、確固たる見解がまだありません。
(小和田哲男先生の説はそれまで裏打ちする史料がなかったのですが、『戦国三姉妹物語』の新版『戦国三姉妹 茶々・初・江の数奇な生涯 (角川選書)』で、『総見記』で市の輿入れが永禄十一年四月とあるのを発見されたと紹介されていました。)
万福丸は小谷落城後捕らえられ、関ヶ原で磔の後殺されたといいます。市は(実子であろうがそうでなかろうが)これを恨み、秀吉への恨みを深めたといいます。
また、姑である久政夫人阿古も捕らえられ、毎日指を切り落とされて死ぬという惨い殺され方をしました。この殺され方は、単に惨いというだけでなく、信長の阿古に対する怒りが見えますので、彼女は浅井家の中で発言力、影響力のある女性だったことが偲ばれます。
浅井家と織田家との合戦をもって、女性の命は助けられるのがしきたりだったとも言われますが、阿古を見るとそうだったのだろうか、と疑問を覚えます(阿古の実父は阿古の幼いころに亡く、兄は長政と最期を共にしています)。市も織田家の女性でなければ、阿古と同じ運命を辿っていたでしょう。
⑤小豆袋
『朝倉公記』という史料にあるエピソードですね。私は、これについては史実ではない派です。
なんで織田家でも浅井家でもなく朝倉家の史料に残っているんだという疑問はとりあえず置いておいて…
この説は市が浅井家の中でたった一人織田家縁の人間であることを前提に作られた話のように思います。
実際はというと、よく言われる話ですが、長政が信長と手切れした後、市は織田家に帰るのが当時としては当然のなりゆきだったのですが、それをしませんでした。それどころか、落城の年に督(江)が生まれているのは大河ドラマの示す通りです。
意地の悪い見解では、長政が美貌の市を手放すのが惜しく、閉じ込めていたのだなんて言いますが、これもまた、織田家から従ってきた市の侍女や家臣の存在を無視した、そして当時の女性の地位を軽視した見解です。
市が帰ると言えば周りの者が段取りを付けて帰ったでしょうし、長政が絶対に織田に返すと言えば周りの者はそれを止めなかったでしょう。長政と市双方の同意で、市は浅井家に残っていたものと考えます。
浅井家に残った以上、市はそれなりの覚悟を以てその決断をしたでしょうから、私は小豆袋の話はどうにも腑に落ちないのです。小豆袋なんて分かりにくい手段を使わずとも、周りの者のパイプがあったと思いますし。
市が、最後の義理だとばかりに送ったとしても、周囲が信長に報じたとしても(ただし、長政の翻意を周囲が知っていたかどうか…)、もっと違った方法ではないでしょうか。
⑥督(江)の出生時期と小谷落城
小谷山頂から虎御前山まで轟く大音声で出征した督(江)ですが…
ドラマの描き方だと、朝倉義景が亡くなった後の誕生ということでしょうか。本当にギリギリの誕生という設定ですね。
とすると、落城の時には本当に生後間もなくなので、笑ったことに私は何よりびっくりしました。そこはもうちょっと不自然さを感じない演出だったら嬉しかったかも。
一度浅井家に残ることに同意した長政と市なのに、結局最後には娘たちともども市を逃がしていることの整合性についてあまり語られることはないように思います。
長政は、浅井家の菩提を弔うこと、そして娘たちを頼むと市に言い残したとされますが、やはりこの時督はまだ市のお腹の中にいたと考えたほうが自然に思えます。その点からも私は督の岐阜出生説を支持しています。
身ごもっていた市だからこそ長政は娘たちと共に逃がし、市もまた最後には納得して小谷城を出たように思えるのです。
八月の末の脱出だとすると、市はまだ臨月ではなかったでしょう。となると、督は冬の生まれではないでしょうか。
ドラマの設定通り落城寸前の誕生だとすると、市は出産直後ですから、その状態で城を落ちたことも不自然に思えます。
小谷では生まれないけれど、故郷が小谷であったことは忘れないでほしい…そんな願いを込めて、長政が「姫ならば近江の『江』の字を名付けてほしい」と遺言する設定のほうがドラマティックなように思うのですが…それは余計なお世話か(笑)
⑦桐の家紋
ところで、秀吉が桐の紋を使い始めたのっていつ頃なんでしょうか…今回早速桐の紋でしたが、あれって確かかなり特別な紋ではなかったでしたっけ…。すみません、家紋はさっぱりで。
…長くなるまいと思っていたのですが、やっぱり長くなりましたねえ(苦笑)
思いつくまま書き連ねたので、練られていない文章で読みにくく申し訳ないです。
次からは短くするかもしれません。しないかもしれません。気負わず適当に楽しんでいきたいと思います。
今回は、茶々姫の涙の訴えと、長政さんの別れの表情で涙をこらえきれませんでした。
なんだかんだいいながら、思い入れのある人たちのシーンはグッときます。
あまり評判のよろしくない『茶々-天涯の貴妃(おんな)-』でも、北庄から茶々姫が妹を守りながら脱出するシーンや、最期のシーンは涙を禁じ得ません。
これから大河で何度も泣くんだろうなあ…と思うと、しんどいような、そうでないような(笑)
次の泣き所は北庄落城かな。