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茶々姫をたどる汐路にて

茶々姫研究日記(こちらが現行版になります)

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小谷城宝物展(小谷城戦国歴史資料館)

 

小谷城の麓、清水谷にある小谷城戦国歴史資料館で初の企画展が催されているそうです。


茶々姫をたどる汐路にて
(小谷城戦国歴史資料館)


小谷寺宝物展:浅井家ゆかりの寺の宝 小谷寺の歴史紹介--長浜 /滋賀
 ◇曼陀羅や長政木像--小谷城戦国歴史資料館

 戦国武将、浅井長政の居城だった小谷(おだに)山への登山口にある小谷寺(長浜市湖北町伊部(いべ))の歴史を紹介する企画展「小谷寺宝物展~小谷城を見守ってきた寺の歴史~」が同市小谷郡上(ぐじょう)町の小谷城戦国歴史資料館で開かれている。11月14日まで。【桑田潔】

 同寺は真言宗豊山派の寺院で、本尊は如意輪観世音菩薩(ぼさつ)。同資料館によると、戦国時代、初代城主の浅井亮政(すけまさ)と相談した寺が「常勝寺」の名を「小谷寺」に改め、織田信長軍との城攻防戦(1573年)で寺は焼失したとされるが、実証する史料は残されていないという。浅井家滅亡後、一時期、城主となった羽柴秀吉によって手厚く保護され、多くの財宝を今に伝えている。

 同寺には3種の両界曼陀羅(まんだら)があり、同展では同市指定文化財で、いずれも室町時代の作とされる胎蔵界(縦約171センチ、横約144センチ)と金剛界(縦約170センチ、横145センチ)の両界曼陀羅(2幅)を展示。他に、同寺に伝わる長政の木像は丸い顔立ちの座像で、江戸時代に長政を弔うために造られたという。

 同資料館(0749・78・2320)は火曜休館。午前9時半~午後5時(入館は午後4時半まで)。大人300円。小中学生150円。最寄り駅はJR河毛駅。

毎日新聞 2010年10月21日 地方版
出典元:http://mainichi.jp/area/shiga/news/20101021ddlk25040470000c.html毎日.jp

小谷寺といえば、亮政が祈願所にしてから、何かと浅井氏に関わりがあったといわれているお寺。
茶々姫をたどる汐路にて

戦火やらなんやらの関係で、実際目にできる関係資料はそう多くないのですが、それでも長政公の木像とかものすごくみたいです。図録とか売らないのかしら…

せっかく公式サイトが出来たみたいなのですが、まだ工事中で図録関係の情報はわかりません。。


ものすごく見に行きたいけど、ちょうど14日に資格試験があって動くに動けないという…なんという嫌がらせ(T△T)

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百景更新しました

 

…写真データ溜まりすぎ…


てことで、せめてたまりにたまった写真だけでもあげておこうと、湖北・若狭・越前中心に更新いたしました。


茶々姫・浅井宗家関係を中心に更新したのですが、湖北だけでもまだまだあるよ!\(^o^)/

主に茶々姫以前の浅井関係史跡がたくさん。


そして京都をはじめ、茶々姫関係もまだまだありますです。


ここ数日急激に寒くなりましたが、手をかじかませながらの更新作業でございました。

写真だけ載せるつもりでも、なんやかんやと文章を打ってしまったところは多々あります。

ありますが、基本概要などの記事は日を改めて。


地味にブログもヘッダーなど変わってたりします。

凝りだすと止まらない!



福井市にこんなお店が…
茶々姫をたどる汐路にて

お店の前には「お市の泉」
茶々姫をたどる汐路にて

湖北には4年(もっと長い説もありますが)、越前には半年足らずしかいなかったのに、お市って引く手あまた。愛されてるなあ。

 

完子と随心院

 

以前「お江岐阜出生説」を取り上げさせていただいた『泰巖宗安記』さんに、完子に関する情報が掲載されています。

→*豊臣完子(『泰巖宗安記』)


完子(さだこ)といえば、お江と羽柴秀勝の娘ですが、徳川に嫁いだお江に代わって茶々姫が手元で慈しみ育てた、茶々姫のもう一人の”子”。

貴婦人として成長したであろう完子は、茶々姫の子(「猶子」)として、九条忠栄の妻となります。


これだけ重要で微妙なポジションにいるにもかかわらず、完子は忠栄との間に設けた子女以外、詳しい情報を得る機会がありませんでした。

夫忠栄(幸家)は関白となりますから、完子もまた北政所と呼ばれる立場となったはず。それなのに、没年も分からなければ院号も…と不思議に思って史料を当たっていたいたのですが、その答えは随心院にあったのですね。


k2さんのお写真を拝見させていただいたところ、供養塔には「天真院従二位本光國成大姉」と彫られています。

没日は「万治元(1658)年八月十八日」(記事より)ということですので、数えで66歳のときに亡くなられたということのようです(追記:出生年について確証はないそうです)。

一般的には完子は従三位とされていますが、こちらでは従二位となっていますね。どちらかが誤りなのか、追贈なのか、まだわかりません。

調べてみると、完子は生前に随心院の薬医門、玄関、書院を寄贈しているようです。

あまり伝わらなかったのは、天真院こと「九条家縁の女性」=お江として誤伝してしまったからでしょうか。そういえばお江と完子を混同して、お江が九条家に嫁いだという説がありましたが、これはこのあたりが原因なのでしょうか。

何にしろ、私は今日まで存じ上げませんでした…無念。


随心院と完子の関係ですが、随心院は代々九条家の子息が入室していたようで、完子の婚礼にも夫忠栄の兄弟増孝が出席していますし、その次の代は完子の三男栄厳が入室しています。完子にとってとても浅からぬ縁の寺院だったのですね。


その他『東福寺誌』に完子の葬儀について記載があるとか。『東福寺誌』か…ノーマークでした…。手に入る史料のようなので、早速注文しました。完子に関する情報はもちろん、秀吉時代から何かと関わりのあるお寺ですので、届くのが楽しみです。

 

〔福井〕リベンジしてきました

 

仕事の都合で石川県まで乗せていただいた道中、福井市内の史跡(北庄城跡、西光寺、自性院)にリベンジしてきました。


茶々姫をたどる汐路にて

写真:三姉妹神社(柴田神社マップ摂社) …茶々姫が妹たちとともに祀られています。


ぜひ注目していただきたいのが、この社殿の配置。


茶々姫をたどる汐路にて

かの有名な、柴田神社のお市さん(銅像)が見つめる先に三姉妹神社の社殿はあります。

そして縁あって父娘となった勝家の祀られる拝殿に守られているようにも見えます。

もし意図されているとしたら、とっても粋な計らいです。


福井市は、滋賀県長浜市や福井県小浜市ほど来年の大河ドラマによる盛り上がりはまだ見られませんでした。

見られませんでした、が。


神社敷地内にある資料館ではこんな子が御迎えしてくれました。


茶々姫をたどる汐路にて

お江…かな。

手にしているプレートが反射して分かりにくいですが、

「柴田勝家は私の父です。ゆかりの品々をご覧になりながらごゆるりとお過ごしください。」

とお江(崇源院肖像)がおっしゃっておられます。


この木像は以前来たときになかったように思うのですが…どうだったかしら。

 

醍醐寺文書

 

史料の整理をしていたらなぜか突然やる気になってその時手元にあった『醍醐寺文書』を更新しました。

(なぜか=「資格試験の勉強をしなきゃいけないのに現実逃避」というヤツです…;)


・慶長3年 木食応其による醍醐の花見成功のための立願文案

・慶長5年 義演による醍醐寺金堂棟札跡書案

・慶長11年 醍醐山上如意輪堂棟札案


今回は史料部分が多かったので、3件でギブアップ。


慶長5年は秀頼が数え八歳(満六歳、慶長11年は秀頼が数え十四歳(満十三歳)でまだ幼いですので、実質は茶々姫が再建に深く関わっているのでしょうね。



話は変わりますが、最近firefoxを使うようになったのですが、

うちのサイト、firefoxで見るとすごく見にくいですね…今も十分初心者ですが、スタイルシートが今よりもさっぱり分かっていなかったころに改装してしまったので…汗

また手を加えたいのは山々なのですが、前回の改装もまだ中途半端ですし、それにかかりきりになるとさらに更新が遅れるというジレンマに頭を抱えております。


見づらいことこの上ない思いをされている方にはここでおわびを申し上げます…


 

お茶々豆

 

まさか茶々姫がお菓子になる日が来ようとは…



→近江の記憶 お茶々豆(ごまの藏さん)


茶々姫をたどる汐路にて

販売してらっしゃるのはごまの蔵さんいう長浜商店街のお店です。


ブログへの掲載許可をいただく際、お店のディスプレイを頑張ったからと快く写真を撮らせていただきました♪



ついでに、お茶々豆のアップ↓


茶々姫をたどる汐路にて

抹茶がまぶされた緑色が鮮やかなお豆のお菓子です。


長浜に立ち寄られた際には、是非長浜商店街の茶々姫にまみえに寄られてはみてはいかがでしょうか音符



今回の湖北滞在のお土産話はまだまだありますが、

まずはこんな軽いお話でひとつお茶を濁してみますお茶

 

お江の出生地について

 

9月あたりから関連書籍がいろいろと出版されていて、いよいよ大河ドラマが迫ってきた、という感じですね。


今回は、mixiで教えていただいたk2さんのブログ『泰巖宗安記』 に、お江の出生地についてとても興味深い記事を書かれていましたので、ご紹介したいと思います。


お江の出生地といえば、私も例にたがわず、小谷城下であると思っておりました。

これまでこの説に対する反論は、「清水谷屋敷」か「小谷城山上の屋敷」か…というくらいで、小谷付近で生まれたということに対する反論は見たことがありません。


k2さんは小谷城説に対して、二つの史料を根拠に岐阜説を唱えておられます。



濃州殉行記


濃州殉行記に、信長の「女弟」つまり妹が長政自殺の後、岐阜に逃れて一女を生むと言う記述見つけました。

是が崇源院、つまり「江」。お市は、身重で小谷城を逃れた事になる。

逆に、身重であった事が、長政をして逃れるよう勧めたと言う憶測も可能かも知れません。


引用元記事:「江は岐阜生まれ」(http://taigan.blog104.fc2.com/blog-entry-642.html



尾濃葉栗見聞集 岐阜志略(昭和9年7月)


因幡宮社家傳の項に
大御台様 御父浅井備前守御母信長公妹 備前守滅亡の時内室懐胎にて岐阜へ逃れ、岐阜にて女子出産。
此の女子後に台徳院様へ宮仕えへ給ひ、後大御台様と申す由。岐阜御産所ゆえ因幡宮御信仰ありし 也。


「江は岐阜生まれ 2」(http://taigan.blog104.fc2.com/blog-entry-658.html

これまで小谷城説がとられていたのは、

お江の出生について書かれている史料が発見されていなかった、もしくは知られていなかった

というのが一番大きな原因だと思います。

そしてお江を身ごもったまま城を落ち延びたということが想像しにくかったから、というのもあるでしょうか。
そもそも長く織田家との戦争状態にあったにも関わらず、お市が織田家に返されることなく、さらにはお江が生まれた、ということ自体が驚きをもって語られています。


こうして郷土史とはいえ、お江の出生について記された史料があるということは、この説も取り上げられてしかるべきだと私は思います。

しかも、お江については将軍御台所・中宮生母とはいえ、大河ドラマ以前にはそこまで注目された女性ではありません。

そんな彼女についての記事であればこそ、信憑性があるのではないかしら、と私は思います。

それにしても、私も何の疑いもなく小谷城出生説を受け入れておりました。

いつもながら、客観的・論理的に考察する能力が乏しい自分を反省です。



追記:

うーん…

お江が小谷のことを人に言われるまで自分の故郷だと知らなかった…というようなものをどこかで読んだと思ったのだけど…

小谷寺と関わっていたように思ったので、小谷寺の事件の一連が書かれている『本光國師日記』をざっと探したけど、見当たらない。


私の勘違いかなあ?

(k2さんとこでは当代記かな…とか書いてますが、勘違いの様です;当代記にもなかった。)


もうちょっと探します(´・ω・`)

 

芦田愛菜さんが茶々姫の幼少期を

 

大河の続報です。


茶々姫の幼少期を演じる子役に、「Mother」に出演した芦田愛菜さんが決定したそうです。



芦田愛菜 :天才子役が大河ドラマ「江」で淀君の幼少期役 オーディションの演技は「断トツ」(2010年09月30日)


 人気子役の芦田愛菜(まな)ちゃん(6)が、上野樹里さん主演のNHK大河ドラマ「江 姫たちの戦国」に出演することが30日、明らかになった。愛菜ちゃんは、宮沢りえさん演じる淀君(茶々)の幼少期を演じ、戦乱の中で江が生まれるまでを描いた第1回とその後の回想シーンなどに登場する。NHK初出演となる愛菜ちゃんは「初めての時代劇で、お着物を着たり、せりふの言い方がいつもと違うのがとっても楽しいです」とコメントしており、早くも役柄を楽しんでいるようだ。


 愛菜ちゃんは、4月から放送されたドラマ「Mother」(日本テレビ系)で、虐待を受けながらもけなげな態度で母親をかばい、心に傷を抱えた母親代わりの教師と共に逃亡する……という熱演が注目を集め、現在は映画を含め数々の作品に出演する人気子役だが、今回、約300通の応募の中からオーディションで起用されたという。


 屋敷陽太郎プロデューサーは「実を言うと、演出家が考えていた茶々子役の劇中でのイメージ年齢は、もう少し上で、芦田さんでは、少し幼いのではないかと感じていました。しかし、オーディションでの演技が、同年代や少し上の年代を含めても“断トツ”だったので、ぜひ、芦田さんにとお願いすることにしました。既に撮影も始まっていますが、脚本の理解が素晴らしく、安定した演技力を発揮されています。今回の大河ドラマ『江』は第50作目。芦田さんは、大河ドラマ第100作目までに何度出演することになるのでしょうね」と、天才子役の将来の活躍にも太鼓判を押している。


 50作目となる11年の大河ドラマ「江 姫たちの戦国」は、織田信長の妹・お市と浅井長政との間に生まれた歴史上名高い“浅井三姉妹”の三女・江の波乱に満ちた生涯を描く。茶々は三姉妹の長女で、妹思いで優しく物静かだが、母・市に似て、時に周囲を驚かす気性の激しさを秘めている。二度の落城で父母を失い、秀吉に引き取られた後に側室となり、秀吉待望の嫡男を産むが、秀吉亡き後、豊臣家は江が嫁いだ徳川家と敵対。天下を二分する攻防の矢面に立ち、大坂夏の陣で生涯を閉じる。愛菜ちゃんが出演する第1回は、11年1月9日放送。(毎日新聞デジタル)


出典:http://mantan-web.jp/2010/09/30/20100929dog00m200046000c.htmlまんたんWEB


こんな有名な子役さんがお江の幼少期でなく、茶々姫の幼少期であることに正直ものすごく驚いています。

それだけ茶々姫という役どころに重きを置いていらっしゃる…と思っていいのでしょうか。


それにしても、長女である茶々姫を演じる愛菜ちゃんは六歳。

宮沢りえさんとの間にまだひとり少女時代を挟むのかしら…?

もしかすると実年齢より上も愛菜ちゃんが演じるのかもしれませんね。


演技にとても定評のある子役さんなので、楽しみです。



あと、


茶々は三姉妹の長女で、妹思いで優しく物静かだが、母・市に似て、時に周囲を驚かす気性の激しさを秘めている。

…妹思いで優しく物静かな茶々姫…

すみません、ものすごく私の個人的なイメージ通りです…!


未だかつて物静かな茶々姫が描かれたことがあっただろうか…

あ、映画の和央ようかさん演じる茶々姫は物静かで存在感ありましたね。素敵でした。


元が物静かだからこそ、言うべきときにその言葉に必要以上の重みがあったのだと私は思います。

(「秀頼を連れ出すなら秀頼を殺して私も死ぬ」と言った件とか)

 

宮沢りえさん茶々姫役を語る

 

芦田愛菜ちゃんの記事を探していたら、6月のこんな記事を見つけました。

三姉妹のキャストが発表された時点の記事ですね。

茶々姫役の宮沢りえさんメインなのではっておきますチェック



宮沢りえ :「気が強い淀君の思い演じたい」大河ドラマ「江」で上野樹里、水川あさみと3姉妹(2010年06月29日)

 女優の宮沢りえさん(37)が28日、上野樹里さん主演のNHK大河ドラマ「江 姫たちの戦国」で、豊臣秀吉の側室・淀君を演じることが明らかになった。89年の「春日局」に淀の妹・初役で出演した宮沢さんは会見で、「まさか茶々(淀君)をやるとは思っていなかった」と笑顔を見せ、宮沢さんは「淀は気が強い、波乱に満ちた人生を送ったというイメージが強い。でも、彼女は気が強くなければ生きていけなかったんじゃないか。彼女の思いみたいなものを演じられたら」と意欲を語った。

 江は、織田信長の妹・市と浅井長政の間に生まれた3姉妹の三女として生まれる。生後間もなく、長政が信長に滅ぼされ、市は柴田勝家に嫁ぐが、またも豊臣秀吉に攻められ、勝家とともに自刃する。江は、茶々、初の姉たちとともに秀吉に引き取られ、3姉妹で最初に結婚するが、夫・佐治一成が秀吉の敵対陣営に付き、無理やりに離縁させられる。次に秀吉のおい・羽柴秀勝と結婚するが、間もなく朝鮮に出陣し、客死する。そして、秀吉の最大のライバル徳川家康の息子でのちの二代将軍の秀忠と結婚し、娘・和子は後水尾天皇に嫁ぎ、長男・家光は三代将軍となる。その生涯を「篤姫」の田渕久美子さんのオリジナル脚本で描く。

 市を鈴木保奈美さん、初を水川あさみさん、江のいとこで秀吉の側室・松の丸殿役の鈴木砂羽さん、秀吉の妻・北政所を大竹しのぶさん、母・大政所を奈良岡朋子さんが演じる。宮沢さんは「すてきな女優さんたちと、歴史の本に書かれていない戦国の世に生きた女性たちの秘めた心をどんなふうに描くのか、すごく楽しみ」とほほ笑んだ。(毎日新聞デジタル)


http://mantan-web.jp/2010/06/29/20100629dog00m200014000c.html?inb=ytまんたんWEB


「淀は気が強い、波乱に満ちた人生を送ったというイメージが強い。でも、彼女は気が強くなければ生きていけなかったんじゃないか。彼女の思いみたいなものを演じられたら」


…なんか、とっても楽しみになってきたじゃないですか。

宮沢茶々姫、かなり期待アゲ




…ここでは言ってもいいよね。


なぜわざわざ「淀」を「淀君」と(ry

ていうか、文中で「淀」も使ってるし…

プロフィール

紀伊

Author:紀伊
茶々姫(浅井長政の娘、豊臣秀頼の母)を中心に、侍女、ご先祖の浅井家女性(祖母井口阿古など)、茶々の侍女やその子孫、養女羽柴完子とその子孫を追いかけています。
ちょこっとものを書かせていただいたり、お話しさせていただくことも。





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メモ「赤石いとこ」名義で記事を書かせていただきました。

悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ) 悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ)(2009/06/06)
…改めて石田三成と茶々姫の“不義”を否定する記事を書かせていただきました。


メモ 参考資料としてご紹介いただきました。

めのとめのと
…茶々の乳母大蔵卿局を主人公描く歴史小説。茶々の祖母阿古の活躍も見どころ。
千姫 おんなの城 (PHP文芸文庫)千姫 おんなの城
…千の生涯を描いた作品。千が見た茶々をはじめとする人々の生き様、敗者が着せられた悪名が描かれる。


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