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浅井氏の権力と小谷城の構造

久しぶりに講演へ参加して来ました。
講師の先生は、滋賀県教育委員会文化財保護課で勤務されている北村圭弘先生です。
先生は小谷山の麓ご出身で、考古学がご専門とのこと。
今回小谷城の構造にみえる浅井氏の湖北統治について、とてもわかりやすく説明をしていただきました。

地元の講演ですので、ご年配の方が多くいらっしゃるため、説明が私のような未熟者にも大変わかりやすくてうれしいです。

ただ、若年の私の姿を見るなり、となりの老婦人が
「今流行の”レキジョ”やな」
と隣の旦那様に耳打ちしていたのにはさすがにむかっと来ましたが…(未熟者!)

講演のあと、せっかくのご縁を無駄にしないために僭越ながらお声をかけさせていただいたりしました。


講演後、浅井歴史民俗資料館の隣にある図書館でいろいろ資料を漁って帰ってきました。近くにいるにもかかわらず、浅井町は久しぶりだったので…

そしてこの間ようやくデジカメを新調したので、浅井町のいろんな見所を改めて取材してきました。



私もお気に入りなおなじみの浅井一家銅像も。
今回は正面から撮ってみました^^

この一家から茶々姫を抜き出してトップにもはってみました。
これから各地の茶々姫を見つけて集めてみようかと思ってます。

せっかくなので、旧浅井町周辺の史跡に関して更新したかったのですが、間に合わなかった…無念です。
そろそろ史料整理も再開したいところですが、それぞれまた日を改めて。


資料館では長浜み~なの最新号を購入しました。
先日亡くなられた高橋さんの取材記事が載っていると伺っていたので、是非手に入れたく…

何につけても、ご縁はきっとどんな貴重史料にも負けないくらい大事なものだなあ…と感じる日々です。
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| ∟講演会/展覧会 | 22:15 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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妙心寺展

…という訳で(↓記事参照)、京都国立博物館の妙心寺展へ行ってまいりました。

妙心寺の茶々姫のご縁といえば、鶴松関係です。
鶴松の行われたのが妙心寺で、その菩提を弔う祥雲禅寺の建立にあたり開山として妙心寺の禅僧でした。


<今回の特別展の鶴松関係展示品>

・隣華院蔵豊臣棄丸坐像
   …祥雲寺で祀られていた木像。
・妙心寺蔵豊臣棄丸坐像
   …妙法寺玉鳳院の御霊屋に安置されている木像。
・妙心寺蔵玩具船
   …鶴松が実際に台座に乗り、守役(石川光重?)に曳かせて遊んだと伝わる。
・妙心寺蔵小形武具(胴丸二)
   …童具足。妙心寺蔵棄松坐像・玩具船・守刀とともに鶴松の遺品として妙心寺に納められた品。
・妙心寺蔵倶利伽羅龍守刀
   …蒲生氏郷が鶴松誕生の際贈ったとされる守刀。

図録には他に妙心寺蔵豊臣棄丸像も掲載されているのですが、今回の展示にはありませんでした。


それでは、以下は感想です。ものすごく長いので、お時間があるときにどうぞ。




<感想>

・玩具船

どれもこれも写真では拝見したことがあったものの、実物を見るのはお恥ずかしながら初めてでした。
開期中に何度か訪れるはずだったのですが、うっかり気が付いたらGW直前だったという不始末(※ 管理人はひどいトリ頭です;)。

まずは玩具船が目に飛び込んでくるのですが、でかいという前評判どおりすごい存在感。船の裏には箔が貼ってあり(現在も残っています)、他も漆塗りだったそうで出来上がったばかりの頃はそれはもう目を見張るものだったのでしょうね。
細工が細かく、細い木製の材を使っているにも関わらず破損していないことから、鶴松は実際にそんな乗ってないかも…という話も頷けます。
確か何かの小説では亡くなった後に完成したということになってたなあ…と思い出しながら次へ。


・木像×2

どちらも賢く涼やかな目、結わえることなく切りそろえられた髪、愛らしい小袖姿というのは共通しています。
今回は見れなかったけれども鶴松の肖像もこれらは共通。
どれも鶴松が実際に亡くなった二歳二ヶ月にしては大人しく、理想化された童姿、なんて評価がされていますが、この三つの姿に共通する部分は確かに鶴松のそれだったのでしょう。
小袖姿がとても可憐なのですが、これは鶴松がまだ袴着も迎えていなかったからで、それがまた哀れさを誘います。
大きさはだいたい等身大だそうです。
ちなみに妙心寺蔵のほうは最近彩色が施されなおされたそうで、まるで最近作ったかのような雰囲気。
ということは隣華院蔵の木像も作った当初はこのような感じだったのだと想像できます。(どちらの木像も造られたのは鶴松がなくなってすぐ後)

ちなみに、鶴松の菩提寺・祥雲禅寺の二代目住職海山元珠(初代南化玄興の弟子)は、方広寺鐘銘事件の際、家康の機嫌を伺う僧を尻目に、決して家康に媚びることなく文英清韓(鐘銘の作者)の文才を支持したそうです。漢や…
この後家康によって祥雲禅寺は没収され、海山元珠は追い出されてしまいます。当時としても目を見張る価値があった主要伽藍は知積院に譲られ、当地には現在も当時の庭園・長谷川等伯による障壁画などが残されています。
祥雲寺にあった鶴松木像が現在隣華院で大切に残されているのは、海山元珠が祥雲禅寺から追い出される際、この木像を背中に負って師(南山玄興)ゆかりの隣華院に移ったからだといいます。
その行動は、時流に媚びず自ら信じた正論を貫き、打ちのめされてもなお抗議を続けているような、そんなふうに感じられます。ますます漢…かっこいい。


・胴丸×2

個人的に、長浜城の浅井氏特別展示で一番ぐっと来たのが養源院蔵の浅井長政像ならば、今回の特別展示ではまさにこれでした。

驚くほど、小さいのです。

白綾に刺繍が施されたほうよりも金箔が施されたほうは更に小さく、ひょっとしたら全く同時期の制作ではないのでは…と思いました。
そんな風習があったかどうかは不勉強で分からないのですが、初めての端午の節句で金箔の胴丸を、二度目の端午の節句で白綾の胴丸を、鶴松の成長を祈って着せたのだろうかとふと考えました。
生来体が弱く、何度も寝付く鶴松が、なんとか無事大きくなることを祈って鶴松に童具足一式を身に付けさせる秀吉夫妻や茶々姫の思いがなんとも痛々しくて…

今回は兜と胴丸のみの展示でしたが、また一式も見てみたいです。


・守刀

蒲生氏郷が贈ったとされるこの刀。解説によると鶴松が生まれたとき全国の諸大名らがこぞって贈り物を献上したといいます。
鶴松の周りには打算の入り混じった豪奢な品々で囲まれていたのでしょう。
その中で、あえて今回展示されている品々が妙心寺に残されているのは、この守刀も含めて、鶴松が本当に触れていた遺品なのではないでしょうか。
船は鶴松の愛玩というよりも、秀吉の思い入れのほうが強いのかな…?と思えましたが。
元気になったら鶴松を曳いて遊んであげるから、という会話があったのかもしれません。


・その他

茶々姫の叔母お犬の方の肖像、お寧さんの姉お熊さん(長慶院)の肖像や遺品、前田玄以夫妻・三の丸殿・福島正則の肖像(玄以夫人村田氏・三の丸殿の肖像は今回見られませんでした)などがありました。
お犬さんの肖像は、思ったより小さかったです。
「伝淀殿像」のときも同じことを思ったのですが、そのとき同時に展示されていたお初やお江の肖像の大きさが実は特別だったのでしょうか。

大野治長夫人の肖像も見たかったなあ。お犬さんと三の丸殿、そしてこの治長夫人の肖像は三名幅として伝えられているとか。
これに関しては写真すら見たことがありません。ひょっとしたら石松丸の肖像のように、実物が伝わっていないのかしら…

あとは妙心寺の開山無相大師(関山慧玄)の木製坐像が大きくて、リアルですごかったです。お隣の花園法皇坐像も。
実際の花園法皇は華奢な方で厳密に言うとリアルではないそうですが…


・図録

めちゃめちゃ分厚いです。そしてでかいです。重いです(笑)
見返すのも大変ですが、でもこれだけの展示を余すところなくおさめていただいているのはありがたい。

京都国立博物館学芸部工芸室長の淺浰毅先生という方が「ふたつの棄丸坐像――天正十九年の豊臣秀吉」というタイトルで論文を書かれているのですが、残念でならないのが、おそらくこの方は鶴松も秀頼も秀吉の子だと思っておられないところです…
はっきりとそう仰っているわけではないのですが、この論文を読んでいるとそれがすごく感じられます。
参考文献には福田千鶴先生の著書も入っているのになあ…
今回思ったのですが、展示の解説という短い文章でも、たった一言の単語であっても、書いた方の意思というか意図というものはきっちり伝わるんですね。
ともすれば弟秀頼の陰に隠れてあまり目立つことのない鶴松ですし、工芸品という観点から見ることは余りないので、この論文は大変面白く勉強になりました。だからこそ余計に残念。

この図録、東京や京都、これから九州などでも開催されるのですが、一体どれだけの人が購入されるんでしょうね。想像できない!
2500円とお高めに思えますが、この大きさ、ボリュームで2500円は正直安すぎると私は思います。

| ∟講演会/展覧会 | 23:12 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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新暦命日

同志様方が五月七日を偲ぶのを見守りつつ、さて五月八日です。
去年はいろいろ頑張ったのですが、今年は幸か不幸か大人しいもんです。

サイトの更新は順調に滞っております(…)が、水面下では一応活動を続けております。

明日は京都国立博物館へ妙心寺展を拝観しに行こうと思ってます。

その他、活動の一端がみなさんのお目にかかる機会がありましたらまたご報告いたしますね。

それではまた、旧暦の命日に。

| ∟よしなしごと | 00:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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植松三十里先生

先日、ご縁がありまして植松三十里先生の『千の命』という歴史小説を拝読させていただく機会がありました。

千の命千の命
(2006/06/08)
植松 三十里

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お腹の中で赤ちゃんが死んでしまった女性を助ける術を編み出した、賀川玄悦という人のおはなしです。

このGWに行帰の新幹線で拝読するつもりでこのご本を携えて帰省しました。
…結果は、Uターンを待たずして帰省の新幹線、そして帰省したての実家で完読(笑)

感想は、これだけでも充分伝わるかと思います。

私は正直、歴史小説自体あまり読まない上に、男の方を扱ったものはなおさらなんです。
いや、でも読んでよかったです。
個人的なこだわりでいえば、正妻も妾も出てきますが、どちらが正妻だから、妾だからといって女性の善悪が決められていないところが好きです。
そして、妻妾のいがみあいだって、あるにしろ決して非流動的な関係として書かれていないところもすごくリアルでよかったです。
人と人との関係なんて、ずっと悪いとか、ずっと良いとか、そんなのあるはずないと私は思います。

でも、そんな個人的なこだわりを抜きにしてもすごく面白い作品でした。
人が亡くなる、もしくは亡くなりそうになるところで何度涙を流したかしれません。
歴史小説という違う世界にいる人というのではなく、同じ人間として哀しみや痛みを共有できました。

植松先生、次回作も楽しみにしています。
それ以前に、今まで出されている作品もこれをご縁に拝読させていただこうと思います。


余談ですが、
このお話を読んでいる間中、私はかの源頼朝の孫娘、鞠子姫が九条頼経の子を死産した際に数日間七転八倒の苦悶の末亡くなったという話を思い出していました。

私は未だ出産というものを経験したことがないので、死産がどうして母親にとっても命の危険を伴うのかということ自体にまったくの無知でした。
それがこういうことだったのか、と分かったことも収穫の一つです。

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