Posted at 2008.11.08 Category :
∟講演会/展覧会
現在、長浜城歴史博物館では25周年特別展示「浅井三代と北近江」を開催中です。
遅ればせながら私も本日展示説明会と共に行ってまいりました。
公式サイト
http://www.city.nagahama.shiga.jp/section/rekihaku/news/info103/index.htmlこの特別展示は、一言で言うと「すごい」です。
後にも先にも、浅井でこれだけのものを集められる展示はないのではないかと。
門外不出だった養源院蔵の崇源院像が公開されていることはもちろん、普段展示で目にするものはほとんどレプリカな肖像たちが、すべて本物です。
あの有名なお市の肖像も、当然浅井久政・長政像も。
浅井系に興味のある方は、行かなければ確実に損だと断言できます。
たとえいけなくても、今回は図録が発売されています(たしか1890円)。

内容も、展示物はもちろん諸研究者による記事などかなり盛りだくさんです。
今確認したら、もう長浜城歴史博物館のサイトから購入できるみたいなので、売り切れないうちにぜひぜひ。
これは絶対オンタイムで買い逃すと凄い値段になりそう…
(印刷も少数部数&古本が高額になることで有名?なご当地出版社・サンライズさんだし…)
というわけで、細かい感想は以下。
・もう飽きるほど見て、見飽きたはずの肖像たち。本物はとても存在感が違う。絹に塗り重ねられた色が、なんともいえない重厚感と立体感を感じさせられる。
・今度はいつ見れるだろうと思っていた亮政・蔵屋木像。去年見たときにはもっと小さい印象だったのですが、今日見たら意外と大きかった。この蔵屋さんのポニーテールがキュートで個人的に大好きです。

← これこれ。
この亮政夫妻木像を作った人は対馬局という方なのですが、この方は浅井一政さんの妹だそうですよ、H身さん!(見てないってw)
・長政公の肖像もほぼ余すところなく一堂に。今回見慣れない下郷共済会蔵(江戸中期に書かれた久政のとそっくりの肖像)や養源院蔵の束帯姿もおごうの隣に公開。
養源院の束帯姿は、桃山時代に養源院に奉納されたらしい。私の考えでは、そんな時代に肖像を養源院に奉納できたのはやはり茶々姫しかいないように思います。鶴松を産んで、かの有名な2幅の父母肖像画を収め、秀頼を産んで養源院を建てた時にこの束帯姿を奉納したのではないでしょうか。
…というのも、死後すぐに描かれた入道姿の徳勝寺蔵系はとても苛烈で戦国大名らしいのですが、一方高野山小坂坊蔵系の肖像と、養源院蔵の長政はとても表情が穏やか。「有人」こと茶々姫は、死んだ父を本当に慕っていたのだなあ…と胸を打たれます。
・肖像といえば、久政さんの有名な肖像は寿像(生きているときに描かれた像)なのですが、いつも見るほどに男前だと思うのですがいかがでしょう(笑)
きりりとした肖像に学芸員さんは「とても暗愚とは思えない」と見事なフォローコメントもあり、なんだか嬉しかったです。優しき領主よ、復権は近いかも!
・そして、数々の家臣や其の妻の肖像も… 決して今後も有名にはならないであろうけれど、確かに生きていた人たちのその証はいくら見ても見飽きないものでした。
・姫の肖像は例の奈良県立美術館像の「伝 淀殿像」でした。しかし、今回はさすがの特別展示!きっちり「伝」のところを説明してくださっていました。この画像が茶々姫という確証はどこにもないのです。ただ、豪華絢爛な衣装だからというだけで比定されたんじゃ?と疑いたくなります。
江戸のだいぶたってから、お市と長政の像を見ながら描かれたという話もありますからね。そういえば、着物に詳しい方が、姫の着ている衣装はだいぶ後のもの(丁度描かれたといわれる時代)ですよと仰っていましたっけ…
・さて、今回初公開の崇源院像。尼姿で瓜実の可憐な顔立ちの肖像画で、今回の解説文にも「お市の肖像によく似ている」というコメントがありました。しかしここの学芸員さんはお市像に対してただ賛辞を送っているわけではなく、表情がないのでだいぶ理想を美化されているんだろうと考えておられるようです。納得。
その崇源院像コメントに隣にいたおばさんが一言。
「へえ…おごうがお市に一番似てるんだって!」
な、なんかニュアンスが大分違うんですが…
一番っていうには、姫のちゃんとした肖像はないし、いくらなんでもそこまで正確に絵で表現するなんてありえないと思うのですが…
だってあくまで写真ではないんですよ。むしろ描く人によってものすごく感じがかわるんじゃないかなあ。
・というか、どうせなら養源院さん、茶々姫の肖像も貸してくださったらよかったのに…。やっぱりボロボロだから出せないのかな。養源院の肖像はどれもあまり保存状態がよくないのですが、いろいろ複雑な事情があるのでしょうか。
じゃあせめて姫が拝んだ弁天様!あの小さな金色の厨子の中に眠る弁天様が見たかった!(※ 私は養源院で見ました)
・姫関連の展示物は、あと姫のものとされる扇子。宇野茶道美術館蔵だそうです。保元物語の絵が描かれた中に、源実朝作の和歌(『金槐和歌集』蔵)が描いてあるのですが、それが姫の直筆という伝承があるそうです。
直筆というものが少ない姫ですので、どきどきしながら見入っていました。
・そして知善院蔵の京極高次宛書状。高次に対し、とても世間で流布している姫像とは対極のイメージである懇切丁寧な礼状。世の中にある姫が高次を好きだったという話は、この書状から来ているのではないだろうかというのが私の予想です。
しかし…私はたしかに崩し字がほとんど読めませんが、読めないなりに書き下しと見比べればどこに何が書いてあるか分かるのですが…
この書状はかなり難易度高いです、姫、ほぼ読めません。。唯一確認できたのは署名の「よ□」(福田先生は「よど」、桑田先生は「あこ」と読んでいる部分)と「秀頼」だけでしたよ(涙)力不足ですみません姫!でもこの書状はいくら読めるようになっても読める気がしません!!