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茶々姫をたどる汐路にて

茶々姫研究日記(こちらが現行版になります)

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大津城跡にて

 


相変わらずの雨女ぶりにがっかりしつつ雨に濡れながら浜大津駅付近を散策。

本丸跡付近の石碑はあっさり見つかったのだけど、あるかもしれない石垣は捜索むなしく結局見つからず。
調べてみれば、埋めなおされてもうないかもしれないらしい…なんともったいない!整備すれば関ヶ原ファンがたくさん訪れるだろうに。

けどまあ大きな目的をひとつ果たせて大満足。

ここで高野山・お寧さん・我らが茶々姫の必死の講和が行われたのですね。
散々歩き倒したところはそのころ激戦で火の海だったと思うといろいろ考えてしまいました。

茶々姫が、掛け替えのない妹お初や、同志お龍さんを助けるために、お寧さんと手を携えて心を砕いた場所……感慨も一入です。。
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長浜豊国神社にて

 

△ 「虎じい」こと加藤清正公の像。

引っ越して半年、ようやく縁を頂いて行くことが出来ました。

ここに豊国社には太閤殿下のほかに、加藤清正や木村重成もご祭神となっておりとても驚きでした。

たまたま行った日には豊公まつりが行われており、武者行列もあったようですが、太閤殿下とお寧さんは二人づついてるのに姫役はおらず…
…ま、長浜時代には姫はいらっしゃいませんからね。

でも若干寂しい思いをした私でした。
 

太融寺にて

 
縁があり、久しぶりに大坂へ出向く用があったため、これまた久しぶりに姫にお会いしに伺いました。

すると、お墓(供養塔)には見知らぬ卒塔婆らしきものが。
よくよく見てみると、そこには

「大虞院英岩 第三九三回忌増進仏菩提也」

…と記してありました。
やはり五月八日に供養されたのでしょうか。それとも六月四日(旧暦五月八日)?
写真を撮ったと思ったのですが、データが見つからず…無念。

読売ウイークリーの記事といい、太融寺のご住職さんには足を向けて眠れません。姫を愛する点では、私たちの大先輩なんですよね。
いつかお手紙を手にうかがってみたい。お話してみたい。
出口の見えない迷路を突き進む私の心を救ってくださってありがとうございます、と一言お礼を言いたい。

それはそうと、四百回忌まであと七年なのですね。気合を入れねば。
プロフィール

紀伊

Author:紀伊
茶々姫(浅井長政の娘、豊臣秀頼の母)を中心に、侍女、ご先祖の浅井家女性(祖母井口阿古など)、茶々の侍女やその子孫、養女羽柴完子とその子孫を追いかけています。
ちょこっとものを書かせていただいたり、お話しさせていただくことも。





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メモ「赤石いとこ」名義で記事を書かせていただきました。

悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ) 悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ)(2009/06/06)
…改めて石田三成と茶々姫の“不義”を否定する記事を書かせていただきました。


メモ 参考資料としてご紹介いただきました。

めのとめのと
…茶々の乳母大蔵卿局を主人公描く歴史小説。茶々の祖母阿古の活躍も見どころ。
千姫 おんなの城 (PHP文芸文庫)千姫 おんなの城
…千の生涯を描いた作品。千が見た茶々をはじめとする人々の生き様、敗者が着せられた悪名が描かれる。


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