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茶々姫をたどる汐路にて

茶々姫研究日記(こちらが現行版になります)

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渡岸寺観音堂にて

 
浅井の昔からの観音様が、ここにいてはります。

織田信長はご存知のとおり仏教にこだわりがないため、
織田軍の湖北攻めに、寺や里の人たちが観音様を土に埋めて戦乱を乗り越えたといわれています。
(実際そのときに焼失した遺構はそれはもう数え切れないとか…)

そう考えると、なんだかずしん、と重く胸に響きます。
当たり前といえば当たり前なのですが、
昔から多くの方がここで必死に生きていたのだなあ…と。
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ごちょごちょと

 
1582~1589の史料に手を加えました。

『言経日記』と『北野社家日記』と『お湯殿の上の日記』を中心にアップしています。
今回も福田先生のご本に大変お世話になりました~
評価云々はともかく、事実確認と史料の詳細さでは桑田先生の本もやはり不可欠です。

淀殿―われ太閤の妻となりて (ミネルヴァ日本評伝選)淀殿―われ太閤の妻となりて (ミネルヴァ日本評伝選)
(2006/12)
福田 千鶴

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先人(といっても福田先生はまだまだ現役バリバリですが^^;)に大感謝!
 

ひきよせる

 
今日は作家の畑裕子先生の講演を聴いてきました。

見事にご年配の男性ばかりで(女性もいらしたけど、やっぱり残らずご年配でした…)ちょっといづらかったです^^;

講演の後、思い切って畑先生にお話を伺いにいったのですが、光栄なことに快く応じていただき、ご飯もご一緒させていただきました。

旦那様が私の出身大学の先生をされているとのことで、またもや縁を感じてしまいました…

明日は関ヶ原についての講演に行ってきます。
 

燦然

 
一年に一度の、五月七日です。
もっとも旧暦ではないので、慶長二十年五月七日・八日は夏の暑い日でした。

在りし日の悲劇を否が応でも思い出させようとする大砲の轟音、
僅かな父の、母の面影も焼き尽くしてしまう業火、
たくさんの人を見送らざるをえなかった哀しみを思い起こさせる悲鳴や絶叫…

「自ら滅亡の道を進んで行った」
などという無責任なことは言わないで。

いろいろなものを棄てて、
我が子や縁の人々を助けようと、逆風の中で最期まで必死にもがき生きた人がいたことをどうか、忘れないで下さい。

今日の夜~明日の早朝、それが姫の最期の輝きです。
プロフィール

紀伊

Author:紀伊
茶々姫(浅井長政の娘、豊臣秀頼の母)を中心に、侍女、ご先祖の浅井家女性(祖母井口阿古など)、茶々の侍女やその子孫、養女羽柴完子とその子孫を追いかけています。
ちょこっとものを書かせていただいたり、お話しさせていただくことも。





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メモ「赤石いとこ」名義で記事を書かせていただきました。

悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ) 悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ)(2009/06/06)
…改めて石田三成と茶々姫の“不義”を否定する記事を書かせていただきました。


メモ 参考資料としてご紹介いただきました。

めのとめのと
…茶々の乳母大蔵卿局を主人公描く歴史小説。茶々の祖母阿古の活躍も見どころ。
千姫 おんなの城 (PHP文芸文庫)千姫 おんなの城
…千の生涯を描いた作品。千が見た茶々をはじめとする人々の生き様、敗者が着せられた悪名が描かれる。


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