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茶々姫をたどる汐路にて

茶々姫研究日記(こちらが現行版になります)

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一ヶ月ぶりです

 
新居にてようやくネットが使えるようになりました。
些少ながらコツコツ更新していたものをUPします。

とはいっても4月からは環境が変わるのでそんなにしょっちゅう更新というわけにも行かないかもしれませんが、これからもこつこつやっていくのでよろしくお願いします。
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今治城にて

 
友人を訪ねて、今治までちょっと海を渡ってきました。

ついでに松山城・今治城を探索。
松山城のほうが盛り上がってましたが、時代的には今治城のほうが楽しかったです。

すごく面白かったのが、今治では今治城を造った藤堂さんがものすごく愛されてたこと。
とても大きな、立派な銅像にはただただ見上げるばかりでした。



今治城の展示を見ていると、藤堂さん=大工さん(しかも親方的な)というイメージが…^^;

…藤堂さん、自ら家康になびいていったなんていわれているけど、大坂の陣の翌年に姫や秀頼公をこっそり供養してくれているから嫌いじゃありません。

本当は、どう考えていたんだろうね。
気になるけど、永遠に真実の分からない問いです。
(立派な建物が作れる環境を優先したのでは…というのは大工さんイメージからの勝手な妄想ですw)
 

北国街道姉川にて

 
今日は16キロサイクリングしてきました。
(というのも車で走る道を下見しないと怖くて運転できない根性無しなので…(ーー;)
往復二時間掛かって痔になるかと思いました…



△写真は道中でとったもの。ついカメラをむけてしまった…
途中には山内さんちの一豊さんの初所領らしい唐国も通ったのですが…(以下自粛)

途中、月ヶ瀬もあったので月ヶ瀬は行きたい!
(月ヶ瀬は浅井長政公の叔母井口氏の嫁ぎ先です)
 

長浜妙法寺にて

 
今日は街の探索をかねて長浜駅周辺を散策しました。
…のについつい妙法寺と知善院によって取材しちゃった。

? 妙法寺
秀吉の長男、石松丸秀勝の墓が残る寺。


? 知善院

もともと小谷城下清水谷にあった。
秀吉が長浜に移った頃、現在地に移ったとされる。
茶々姫の京極高次宛書状・秀頼の自筆神号「豊国大明神」の残る寺。



詳しくはいつかサイトで。
プロフィール

紀伊

Author:紀伊
茶々姫(浅井長政の娘、豊臣秀頼の母)を中心に、侍女、ご先祖の浅井家女性(祖母井口阿古など)、茶々の侍女やその子孫、養女羽柴完子とその子孫を追いかけています。
ちょこっとものを書かせていただいたり、お話しさせていただくことも。





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メモ「赤石いとこ」名義で記事を書かせていただきました。

悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ) 悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ)(2009/06/06)
…改めて石田三成と茶々姫の“不義”を否定する記事を書かせていただきました。


メモ 参考資料としてご紹介いただきました。

めのとめのと
…茶々の乳母大蔵卿局を主人公描く歴史小説。茶々の祖母阿古の活躍も見どころ。
千姫 おんなの城 (PHP文芸文庫)千姫 おんなの城
…千の生涯を描いた作品。千が見た茶々をはじめとする人々の生き様、敗者が着せられた悪名が描かれる。


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