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茶々姫をたどる汐路にて

茶々姫研究日記(こちらが現行版になります)

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1611/慶長十六年

 
慶長十六(1611)年 辛亥
※ []内は茶々姫の居場所

一月

[大坂城本丸奥御殿]
二日
秀頼(「豊臣右大臣秀頼公」)、駿府城(「駿城」)に大野治房(「大野主馬治房」)を遣わし、家康に対し新年を賀す。〔徳川実紀(台徳院殿御実紀)〕

三月

[大坂城本丸奥御殿]
二十七日
後陽成天皇、政仁親王(「三宮(後水尾院)」)へ帝位を譲る。
秀頼(「豊臣右大臣秀頼公」)、二条城会見のためこの日大坂城を発ち、船で淀へ向かう。川の両岸は加藤清正(「加藤肥後守清正」)・浅野幸長(「浅野紀伊守幸長」)が弓隊・鉄砲隊を出し警護した。船内では饗宴が催されたり、家康からしばしば使いが出され、上洛の様子を伺い秀頼をもてなした。淀では徳川義直・頼宣が秀頼を出迎える。〔徳川実紀・清正記・清正行状奇〕

〇『清正記』による二条城会見の顛末
徳川家康(「家康公」)、二条城にて加藤清正と浅野幸長を饗応し、「秀頼公はもうすぐ成人されるだろう、目出度いことである。しかし自分は様々な疑いを掛けられているため、この頃秀頼公に会っていない。自分が秀頼公に会えるよう、二人から頼んでもらえないだろうか。御母公(茶々姫)はこれを案じるだろうが、義直(「右兵衛」)、頼宣(「常陸介」)を同道させるよう手配しよう」と頼んだという。二人はこれを受け、大阪にて利家(利長の誤りか)に相談すると、利長?は、「お二人が仰れば御母公(茶々姫)も納得されるでしょう」と清正・幸長に同道し、三人で秀頼・茶々姫に謁見した。「神かけて秀頼様の御身をお守りします。もし秀頼様に何かありましたら、私と左京(幸長)は命を以て責任を取りましょう」という清正の言葉に茶々姫は納得し、秀頼の二条城行きが決まった。
秀頼は清正の用意した川舟で上洛した。淀川の両岸には一方を清正勢、一方を幸長勢で固め、その道中を守護した。川舟では、清正が秀頼を様々に饗応し、家康(「家康公」)からも道中何度も使者がその様子を伺いに来た。京の人々がこれを見物に来ていたため、清正は左右の戸や窓を開き、秀頼の成人姿を京に知らしめたという。伏見からは二条城まで三里の道を供奉した。
二条城の玄関では家康が出迎え、互いに礼を言い合った。清正は終始秀頼の側を決して離れず、振舞のときも秀頼の傍に控えていた。家康と秀頼は互いに盃を交し、充分な時が経ったので、清正が宴の終焉を促すと、家康がそれに応じ、秀頼の成人を祝し様々な進物を交したのち、秀頼が座を立った。家康はまた玄関まで見送り、秀頼が輿に乗るまで見届けた。清正は徒歩でこれに供奉し、伏見からはまた舟で淀川を上り、大坂へ無事帰城した。
幸長(「左京大夫幸長」)は、秀頼が伏見に到着したのち、体調を崩して屋敷に帰り、洛中は供奉しなかった。秀頼・家康は清正の働きに感謝し、清正に熊本に帰ることを許した。清正は貴国の道中熱病を発したという。

〇『武徳大成記』による二条城会見の顛末
徳川家康(「大御所」)、織田長益(「織田有楽斎」)を通じ、成長した秀頼に久しぶりに会いたいので、京で対面したいと伝える。秀頼の妻千は家康の孫であり、元より親戚であるので、両家のよしみがいよいよ睦まじくなるだろうと世の人々は安心し、天下泰平を喜んだという。
秀頼は父秀吉(「故太閤」)死後、慶長四年正月十日に茶々姫(「母」)とともに伏見城から大坂城に移った後は一度も城外へ出たことがなかった。茶々姫(「生母淀殿」)は秀吉死後の世の中の動向を憂い、秀頼が大坂城を出たならばどんな危険があるか分からないといって上洛を拒んでいた。それを聞いた寧(「大政所」)が自ら大坂城に赴き、豊臣恩顧の諸大名も密かに秀頼・茶々姫母子をに通じ、今家康に逆らえば、それこそ秀頼と茶々姫の身に危険が及び兼ねないと説得した。茶々姫は彼らの言葉を聞き、秀頼の上洛を承諾したという。

二十八日(快晴)
秀頼(「秀頼公」)、上洛し二条城にて徳川家康(「大御所」)と会見する。 義演いわく、秀頼七歳のとき伏見城から大阪城に移徙の後初めての上洛という。 鳥羽まで家康の子二人(徳川義直・頼宣)が迎え、歴々の大名衆もまた出迎える。 二条城にて家康と会見後、豊国神社へ参拝し、方広寺大仏作事を監督した後、伏見の加藤清正(「加藤主計」)邸に入る。 舟にて伏見より大坂に帰還する。〔義演准后日記・光豊公記〕

二十九日(雨)
義演、秀頼の上洛祝いに井内経紹(「大蔵卿」)を遣わし、折を進上する。 義演、「大明神御加護無疑者歟、珍重/\」と感想を記す。〔義演准后日記〕

四月

[大坂城本丸奥御殿]
一日(雨)
井内経紹(「大蔵卿」)、帰寺する。経紹いわく、片桐且元(「市正」)と大蔵卿局は留守とのこと。〔義演准后日記〕

七日
浅野長政(「浅野弾正少弼長政」)、没す。(同月六日の説あり、『徳川実紀』では『寛永系図纂』に従い慶長十五年とする)
『徳川実紀』に経歴あり。安井重継(「安井弥兵衛重継」)の子で、織田家弓役浅野長勝(「又右衛門長勝」)の養子となり浅野家を継ぐ。長勝の妻(七曲)は木下家利(「木下七郎兵衛家利」)次女で、その姉(朝日局)は杉原定利(杉原助左衛門)の妻。定利と朝日局の二人の娘は、姉(寧)が豊臣秀吉(「木下藤吉郎秀吉」)の妻となり、妹(やや)が浅野長政の妻となったため、浅野長政は豊臣秀吉の相聟として豊臣家に重きをなした。〔家忠日記、徳川実紀〕

二十二日(雨)
近衛信尹、島津家久(「鹿児島少将」)らに秀頼上洛について書状を送る。いわく、家康(「大御所」)は譲位・即位のため上洛していたこと、 更に秀頼(「秀頼公」)の上洛に国民が喜んでいるとのこと。〔薩摩旧記〕

六月

[大坂城本丸奥御殿]
二十四日
丑刻(午前二時ごろ)、加藤清正没す。五十歳(五十三歳とも)。大木土佐守、金官(朝鮮人)これに殉死する。文英清韓、哀悼の詞を捧げて、その生前の知己に報いる。〔清正記、清正行状奇、東福寺誌(輓詞並序)〕

十月

[大坂城本丸奥御殿]
二十日(晴)
江(「御台様」)、江戸逗留中の舟橋秀賢より進物を受ける。秀賢、佐久間安政(「備前」)家臣に案内される。 進物の内容は、江へ箔貼帯五筋、侍女京殿へ帯一筋。〔慶長日件録〕



編年史料 目次
 

1612/慶長十七年

 
慶長十七(1612)年
※ []内は茶々姫の居場所

一月

[大坂城本丸奥御殿]
一日(天晴)
寧(「政所様」)、豊国社へ参詣し、銀子五枚を奉納する。〔舜旧記〕

四日(天晴)
秀頼(「大坂」)、豊国社へ名代として片桐且元(「片桐市正殿」)を遣わし、金子一枚百疋を奉納し、神官巫女たちに進物する。また且元、私に奉納あり。〔舜旧記〕

五日(天晴)
寧(「政所様」)、節分につき豊国社へ参詣する。〔舜旧記〕

六日(天晴)
豊国社祝衆、寧(「政所様」)へ新年の挨拶のために訪問する。寧の侍女、古茶局(「ヲ小茶」)・梅久局(「梅久」)へも進物あり。〔舜旧記〕

十二日(天晴)
梵舜、大坂城へ登り新年の挨拶のために秀頼(「秀頼様」)を訪問する。 梵舜、秀頼へ杉原十帖・扇一本、茶々姫(「御袋様」)・大蔵卿局(「大蔵卿」)へ水引百把を進上する。梵舜、秀頼より盃を頂き、御服二令を拝領する。
なお、大坂登城に先立って梵舜は片桐貞隆(「主膳正」)・且元(「市正殿」)と会い、進物を交わしている。この後の秀頼との対面を取り次いだのもどちらかであろう。〔舜旧記〕

二月

[大坂城本丸奥御殿]
二日(陰)
豊国社において秀頼(「大坂秀頼様」)のために一七日祈祷が行われる。このために大坂より銀子十枚を受け取る。 萩原兼従(「萩原」)、患により吉田兼之(「権少副」)がこれをつかさどる。〔舜旧記〕

八日(雨降)
豊国社で行われていた秀頼(「大坂右府公」)のための祈祷が結願する。〔舜旧記〕

九日(天晴)
豊国社の大鳥居根付の修理が始まる。〔舜旧記〕

二十四日(天晴)
寧(「政所様」)、豊国社へ秀頼(「右府公」)のための祈祷を依頼する。〔舜旧記〕

三月

[大坂城本丸奥御殿]
二日(陰)
徳川家康、禁教令を発し、キリスト教の布教伝道を禁ずる。〔東福寺誌(江戸時代史)〕

四月

[大坂城本丸奥御殿]
十七日(雨降)
巳刻、寧(「政所様」)が豊国社に参詣し、湯立祈祷や銀子五枚を奉納する。〔舜旧記〕

十八日(天晴)
豊国祭。
秀頼(「大坂」)、この日の早朝に名代として片桐貞隆(「片桐主膳正」)を参詣させ、金子一枚百貫を奉納させる。また萩原兼従(「萩原」)・吉田兼治(「左兵衛」)・梵舜(「神宮寺」)に銀子五枚、吉田定継(「民部」)へ銀子一枚を贈る。
午刻、勅使として西三条実条(「西三条中納言実条」)が束帯にて参詣し、奉幣が行われる。〔舜旧記〕

五月

[大坂城本丸奥御殿]
一日
寧、幕府より寺領を寄進される。 〔『大日本史料』〕

三日(天晴)
寧(「政所様」)、使者を通じて例年通り神官衆へ帷二ツ(白・青)を贈る。〔舜旧記〕

五日(雨降)
早朝、寧(「政所様」)が豊国社へ参詣し、銀子二枚を奉納する。〔舜旧記〕

六月

[大坂城本丸奥御殿]
二十二日(暴風雨)
梵舜、見舞のために寧(「政所様」)を訪問し、糒二十袋を進上する。二人の侍女がこれに応対する。梵舜、種々の酒をふるまわれ、帷二ツ(白・青)を拝領する。〔舜旧記〕

七月

[大坂城本丸奥御殿]
五日
萩原兼従(「萩原殿」)と梵舜、大坂へ登城し秀頼(「右府様」)と対面する。 兼従、秀頼へ太刀折紙・曝五疋、茶々姫(「御袋様」)へ曝五続、千(「姫様」)・大蔵卿局(「大蔵卿」)へ曝三続、二位局(「二位殿」)・三位局(「三位殿」)・右京大夫局(「右京大夫殿」)へ曝二疋を贈る。梵舜、秀頼へ糒二十袋を進上する。
例によって兼従・梵舜、登城前に片桐貞隆(「片桐主膳正」)・且元(「片桐市正」)を訪ね、且元が秀頼との対面を取り次ぐ。申次は安威守佐(「安盛摂津守」)。
兼従・梵舜、秀頼より盃・肴を頂く。秀頼、兼従へ帷を五ツ、梵舜へ帷を三ツ贈る。千(「御姫様」)もまた兼従へ帷を三ツ贈る。〔舜旧記〕

八月

[大坂城本丸奥御殿]
十三日(天晴)
八条宮智仁親王(「八条殿」)が豊国社を参詣する。〔舜旧記〕

十四日(天晴)
「大原上野大坂へ湯立罷下、為祝儀指樽一荷・餅二十袋持来也」〔舜旧記〕

十七日(雨降)
巳刻、寧(「政所様」)、豊国社を参詣し、金子小判三ツ・散銭三貫四百文などを奉納する。〔舜旧記〕

十八日(雨降)
豊国祭。
辰刻、秀頼(「大坂」)の名代として赤座内膳正が豊国社へ参詣、金子一枚・百貫を奉納する(「御太刀ハ無」との記載あり)。また萩原兼従(「萩原」)・吉田兼治(「左兵衛佐」)・梵舜(「神宮司」)へ銀子五枚を贈る。
続いて勅使として広橋兼勝(「広橋宰相」)が束帯にて参詣。また私に百疋を奉納する。〔舜旧記〕

十月

[大坂城本丸奥御殿]
二十二日(天晴)
梵舜、大坂へ登城し秀頼(「秀頼様」)と対面する。安威守佐(「安威〔摂〕津守」)が取り次ぐ。今回も梵舜は登城前に片桐貞隆(「主膳」)・且元(「市正」)を訪問している。〔舜旧記〕

二十八日(天晴)
梵舜、見舞いのために寧(「政所様」)を訪ね、蜜柑三百・柳樽一荷を進上する。奏者は梅久局(「梅休〔久〕」)。〔舜旧記〕

十一月

[大坂城本丸奥御殿]
十五日(天晴)
寧、梵舜に頭巾一ツを贈る。〔舜旧記〕

十二月

[大坂城本丸奥御殿]
十八日(天晴)
寧(「大政所様」)、豊国社へ参詣、銀子二枚などを奉納する。〔舜旧記〕

二十四日(天晴)
片桐且元(「片桐市正殿」)、梵舜へ歳暮・音信を贈る。〔舜旧記〕

二十五日(朝雨降、辰刻晴)
梵舜、片桐且元へ“例年通り”蹈皮一足を贈る。萩原兼従は小袖綾白一ツと音信が贈られる。使者は主水佑(「主水祐〔佑〕」:官職、主水司の判官。官位は正八位下相当)。〔舜旧記〕

二十八日(陰)
寧(「政所様」)、梵舜へ歳暮として小袖(綾・青裏)を贈る。〔舜旧記〕

二十九日
日野資勝、大坂城に赴き秀頼(「上様」)・千(「姫君様」)・上臈局(「上臈様」)・大蔵卿局(「大蔵卿様」)・ 二位局(「二位様」)・饗庭局(「饗庭様」)・阿古御局(「御あこ様」)・右京大夫局(「右京大夫様」)・ 宮内卿局(「宮内卿様」)・千乳母(刑部卿局ヵ/姫上様乳の人」)「御いちゃの御方」(伊茶局ヵ)に 歳暮の進物を献上する。〔資勝卿記(『桃山時代の女性』)〕



編年史料 目次
 

1613/慶長十八年

 
慶長十八(1613)年
※ []内は茶々姫の居場所

一月

[大坂城本丸奥御殿]
一日(天晴)
寧(「政所様」)、豊国社へ参詣し、銀子五枚・散銭九貫文などを奉納する。神官らにも進物あり。〔舜旧記〕

四日(雪降)
秀頼(「大坂」)の名代として片桐且元(「片桐市正殿」)が豊国社へ参詣し、銀子一枚・百貫文を奉納する。 続いて萩原兼従(「萩原」)・吉田兼治(「左兵衛佐」)へ小袖二ツ、梵舜(「神宮司」)へもまた小袖二つ(柿色綾一・白絹一ツ)を贈る。 またすべての神官へ百貫、巫女八人に杉原十帖・銀子一枚ずつを贈る。〔舜旧記〕

八日(陰)
梵舜、寧(「政所様」)へ新年の挨拶に訪れ、女房古茶局(「御古茶女房衆」)・梅久局(「梅久」)へ進物する。〔舜旧記〕

十日(曇)
梵舜、萩原兼従(「萩原」)と共に新年慶賀のために大坂城を訪問する。
登城に先立ち、片桐貞隆(「片桐主膳正」)・且元(「片桐市正」)を訪問し進物を交わす。
その後片桐兄弟の案内で登城し、秀頼(「秀頼様」)に礼参する。
進物として、萩原兼従は秀頼へ太刀折紙・段子二段・杉原十帖、茶々姫(「御袋様」)へ杉原三束・紅梅面裏ネリ、千(「御姫君様」)へ杉原十帖・紅梅面一ツ、大蔵卿局(「大蔵卿」)へ綾面一・杉原二束、二位局(「二位殿」)へ帯一筋・杉原二束、「姫君局」(刑部卿局?)へ帯一筋を贈る。
また梵舜は、秀頼へ杉原十帖・扇子一本、茶々姫(「御袋様」)へ引合十帖・水引五十把、大蔵卿局(「大蔵卿」)へ引合十帖・水引五十把を贈る。
秀頼は萩原兼従・梵舜へそれぞれ小袖二ツずつを贈る(「仕合無是非次第忝義也」のコメントあり)。〔舜旧記〕

十二日
鹿苑院の有節瑞保、織田有楽斎(「有楽老」)宅を訪問、そののち片桐且元(「片市殿」)秀頼(「秀頼公」)と対面し、盃を頂く。御服一重を拝領する。〔鹿苑日録〕

二月

[大坂城本丸奥御殿]
九日
駿府へ下向していた有節瑞保、才首座を孝蔵主に遣わし、綾一端を土産として持たせる。〔鹿苑日録〕

十日
大坂城内豊国社遷宮のために大坂に滞在していた梵舜がこの日京都へ戻る。〔舜旧記〕

二十七日(天晴)
この日、大坂城内の豊国社が遷宮する。秀頼(「秀頼〔様脱ヵ〕」)が参詣する。
山里曲輪(「山里之御座敷」)にて秀頼への礼参あり。
秀頼への進物として吉田兼治(「左兵衛佐」)・萩原兼従(「萩原」)は太刀折紙、梵舜は杉原三束を贈る。次に奏者を務める片桐且元が秀頼へ御礼を申入れる。
その後、今出川経季(「菊亭殿」)・織田長益(「有楽」)を加え秀頼とともに飲食あり。
返礼として秀頼より、兼治・兼従へそれぞれ銀子二十枚・小袖二ツ、梵舜へ銀子十枚・小袖二ツ、祝三人(「権副・宮内少輔・中務大輔」)へそれぞれ銀三枚、弥宜・神人へ鳥目三十貫、
また茶々姫(「御袋様」)より兼治・兼従へ銀子十枚・絹十疋、千(「姫様」)より兼治・兼従へ小袖二ツが贈られる。〔舜旧記〕

三月

[大坂城本丸奥御殿]
一日(天晴)
吉田兼治(「左兵衛佐」)・萩原兼従(「萩原」)・梵舜、寧(「政所様」)を訪問し無事大坂豊国社の遷宮がかなったことを報告する。 これを喜んだ寧(「光〔高〕台院様」)が三人に対面し、食事をふるまう。〔舜旧記〕

三十日
有節瑞保、寧(「高台院」)に才首座を遣わし、一折を献ずる。〔鹿苑日録〕

四月

[大坂城本丸奥御殿]
十七日
梵舜、今月の神事に寧(「政所様」)が参詣する由を承る。〔舜旧記〕

十八日(天晴)
豊国社祭礼。
秀頼(「大坂」)の名代として片桐且元(「片桐市正殿」)が参詣し例年通り金子一枚万疋を奉納する。
また萩原兼従(「萩原」)・吉田兼治(「左兵衛佐」)梵舜(「神宮寺」)へ銀五枚を贈る。
続いて勅使参向として飛鳥井雅庸(「飛鳥井宰相〔権中納言〕」)が奉幣する。
梵舜は先月より駿府に下っているため不参加。〔舜旧記〕

六月

[大坂城本丸奥御殿]
二十二日
浅野幸長(「紀伊守殿」)、太田右京(「太田右京殿」)を遣わし、寧(「高台院」)に進物する。返礼あり。〔鹿苑日録〕

二十九日(天晴)
梵舜、駿府よりの帰路に大坂を訪れる。〔舜旧記〕

七月

[大坂城本丸奥御殿]
一日(天晴)
梵舜、片桐且元(「片桐市正殿」)へ駿府土産(「宮花〔ミヤゲ〕」)として単物一ツ・帷一ツを贈る。
また秀頼(「秀頼様」)へも糒二十袋を進上する。〔舜旧記〕

八月

[大坂城本丸奥御殿]
十三日(雨降)
豊国社護摩所竣工清祓が行われ、秀頼(「大坂秀頼様」)へ報告される。梵舜は腫物を患い不参加。
続いて大坂豊国社(「大坂の鎮守豊国社」)のために神宝を新調し、奉納あり。
梵舜、岡本主水佑を使いに出し、片桐且元(「片桐市正殿」)を通じて秀頼に報告する。秀頼、これを大いに喜ぶ。〔舜旧記〕

十四日
梵舜、大坂へ下向する。〔舜旧記〕

十五日(微雨降)
八条宮智仁親王(「八条殿」)、京都豊国社へ参詣する。〔舜旧記〕

十七日(天晴)
寧(「政所様」)、豊国社へ参詣し湯立奉納に立ちあう。
このとき寧は大坂より帰ったばかりであったという。〔舜旧記〕

十八日(天晴)
豊国祭。 この日の早朝、秀頼(「大坂」)の名代として石川康勝(「石川肥後守」)が豊国社へ参詣し、例年の如く金子一枚百貫の奉納を行う。
また例年の如く萩原兼従(「萩原」)・吉田兼治(「左兵衛佐」)・梵舜(「神宮寺」)へ銀五枚を贈る。
続いて勅使として西園寺実益(「西園寺大納言実益」)が参詣奉納する。〔舜旧記〕

九月

[大坂城本丸奥御殿]
この月
徳川家康、第二回禁教令を発す。 〔東福寺誌〕

十五日(天晴)
梵舜、寧(「政所様」)を訪問する。女房衆のムツ(「御ムツ」)、梅久局(「梅久」)へ贈答あり。〔舜旧記〕

十九日(陰)
茶々姫(「御母様」)が拒食の症状を患い、病平癒祈願のために秀頼が吉田社へ七日間祈祷を依頼する。 それを受けて、来る二十一日から二十七日まで宗源行法大護摩三座の執行が決まる。
大蔵卿局(「大蔵卿殿」)が取次として祈祷料金子二枚を届ける。〔舜旧記〕

二十一日(天晴)
吉田社(豊国社?)において茶々姫病気平癒祈祷のための一七日祈祷が執行される。〔舜旧記〕

二十七日(天晴)
茶々姫の病気平癒祈祷が結願する。大坂へ権少を遣わす。〔舜旧記〕

二十九日(天晴)
梵舜、大坂城内豊国社の新調神宝費用として銀子二百目を飾屋与作に渡す。残り費用百三十目は追って渡す旨を伝える。〔舜旧記〕

十一月

[大坂城本丸奥御殿]
二十九日(天晴)
梵舜、瑛侍者とともに秀頼(「秀頼様」)訪問のために大坂へ下向する。 梵舜、片桐且元(「市正殿」)を訪ね間鍋二ツ、片桐貞隆(「主膳殿」)へ釈鉢一ツを贈る。 また且元を通じて秀頼へ蜜柑五百、茶々姫(「御袋様」)・千(「御姫様」)・大蔵卿局(「大蔵卿」)へそれぞれ杉原十帖・水引五把を贈る。 瑛侍者も片桐且元へ白小袖・諸白一荷、片桐貞隆へ杉原十帖・扇五、秀頼へ杉原三束を贈る。〔舜旧記〕

十二月

[大坂城本丸奥御殿]
一日(陰) 梵舜、伊予国豊国社の「将監」より萩原兼従(「豊国萩原卜部朝臣兼従」)が書いた書状(伊予守吉宗を肥後国豊国社の神祇官に任じる旨)を見る。〔舜旧記〕

十八日(天晴) 寧(「政所様」)、秀吉の月忌につき豊国社へ参詣、銀子三枚・散銭二貫文を奉納する。神官衆へは蜜柑、梵舜へは唐豆腐(「唐腐」)を贈る。〔舜旧記〕



編年史料 目次
 

1614/慶長十九年

 
慶長十九(1614)年
※ []内は茶々姫の居場所

一月

[大坂城本丸奥御殿]
四日(天晴)
辰刻(午前八時ごろ)、秀頼の名代として片桐且元(「片桐市正殿」)が豊国社へ参詣し、例年のように金子一枚・百貫文を奉納する。 また神官たち(「惣神官」)へ百貫、巫女八人へそれぞれ杉原十帖・銀子一枚ずつ、 萩原兼従(「萩原」)・吉田兼治(「左兵衛佐」)へ小袖二つずつをおくる。〔舜旧記〕

十日(天晴)
梵舜、萩原兼従(「萩原」)・瑛侍者とともに秀頼へ年賀のあいさつのために大坂城へ登る。
この日の早朝に片桐且元(「片桐市正殿」)を訪れ贈答のあり。
そののち登城し、兼従より太刀折紙・杉原五束・段子二巻、梵舜・瑛侍者よりそれぞれ杉原十帖・扇五ずつを秀頼(「殿様」)へ進上する。 また梵舜のみ、茶々姫(「御袋様」)・大蔵卿局(「大蔵卿殿」)へそれぞれ引合十帖・小扇三本ずつをおくる。
その後、片桐且元家臣日比半右衛門・同助衛門・多羅尾半左衛門・高瀬猪右衛門へ蹈皮・扇など進物あり。〔舜旧記〕

十一日
有節瑞保、新年のあいさつに寧(「政所様」、「高台院殿」)、使いの英春(「高台院殿御内英春」)と贈答する。〔鹿苑日録〕


二月

[大坂城本丸奥御殿]
十八日(天晴)
寧(「政所様」)、萩原兼従(「兼従」)へ祈祷を依頼し、豊国社にて宗源行法が一座執行される。〔舜旧記〕


四月

[大坂城本丸奥御殿]
十六日(天晴)
梵舜、萩原兼従(「萩原」)とともに方広寺大仏殿の鐘鋳を見物する。京の人々もこぞって見物する。この鐘のために鋳師百人・棟梁十四人・小工二百人・其の外鋳師の下々三千人が動員されたという。その後、普請奉行の片桐且元(「片桐市正且元」)続いて板倉勝重(「板倉伊賀守」)が鋳造の様子を視察に訪れる。鐘はこのとき形に入れられている状態であった。〔舜旧記〕
文英清韓、秀頼のために方広寺の鐘銘を撰文し、徳川方より瞰視される。〔東福寺誌〕
寧(「政所様」)、この日の夜秘かに(「御忍之礼也」)豊国社を参詣し、銀子五枚と散銭二百貫を奉納する。 その帰り、お寧もまた鐘鋳造の様子を見物する。〔舜旧記〕

十七日(天晴)
大野治長(「大野修理」)、秀頼名代として参詣する旨を知らせる音信のために、単物(白綾一ツ)・帷(サラシ一ツ)を梵舜へおくる。〔舜旧記〕

十八日(天晴)
豊国社祭礼。
大野治長(「大野修理」)、秀頼(「大坂」)名代として豊国社へ参詣し、金子一枚・鳥目百貫文を奉納する。続いて萩原兼従(「萩原」)・吉田兼治(「左兵衛佐」)・梵舜へ銀子五枚を贈る。〔舜旧記〕

二十四日(雨降)
奉行片桐且元(「市正」)、方広寺大仏殿鐘完成の礼のために駿府へ出発する。〔舜旧記〕


五月

[大坂城本丸奥御殿]
二十日
前田利長薨ず。五十三歳。幕府、その隠居領を利光(後の利常)に与え、その中から三百領を利光室(子々または珠/秀忠と督〔江〕の二女)へ与える。
『東福寺誌』には、「為に家康は最早や世に憚る人なきに到り、一念、大坂城壊滅を図れり。」との評あり。 〔史料綜覧、東福寺誌〕


六月

[大坂城本丸奥御殿]
十三日(朝晴、雨降)
片桐貞隆(「片桐主膳正」)、五千石の知行加増の礼に駿府へ赴く暇乞いのため豊国社へ参詣し、三百疋を奉納する。貞隆、萩原兼従(「萩原」)へ帷三ツ、梵舜へ蒔絵・間鍋二ツをおくる。
続いて大野治長(「大野修理」)もまた五千石の知行加増の礼に駿府へ赴く暇乞いのため豊国社へ参詣する。治長、萩原兼従と梵舜へ大麻をおくる。〔舜旧記〕

十六日(雨降)
片桐且元(「片市正」)、大仏視察のために大坂より上洛する。〔舜旧記〕

十八日(天晴)
梵舜、豊国社臨時祭礼のための注文を京の片桐且元邸へ持参する。〔舜旧記〕

二十四日(天晴)
梵舜、瑛侍者とともに寧(「政所様」)を見舞う。対面・贈答あり。〔舜旧記〕

二十九日
江戸に着いた有節瑞保、孝蔵主にあう。〔舜旧記〕


七月

[大坂城本丸奥御殿]
二十一日
徳川家康、方広寺鐘銘に『国家安康。君臣豊楽』の字句があることを難詰する。〔鹿苑日録、本光国師日記(東福寺誌)〕

二十六日
徳川家康、片桐且元に方広寺鐘銘の不吉語句について詰問する。〔鹿苑日録、本光国師日記(東福寺誌)〕

二十九日(天晴)
この日の早朝、片桐且元(「市正殿」)より梵舜へ上棟大仏供養の延期の申し入れあり。 文英清韓(「韓長老」)の書いた鐘銘に対し、徳川家康(「駿河」)が不服のためという。〔舜旧記〕


八月

[大坂城本丸奥御殿]
二日
方広寺大仏棟札写し並びに方広寺鐘銘の草案等、駿府に至る。家康はこれを見て訝る。〔本光国師日記、鹿苑日録(東福寺誌)〕

四日(天晴)
龍(「松丸殿」/京極高吉女)が豊国社へ参詣する。〔舜旧記〕

十四日
板倉勝重、林羅山(幕府御用学者)等五山僧を集めて方広寺鐘銘を批評させる。妙心寺海山(海山元珠)のみが決し難しと評するほか、みな不穏の拙文字なりと批判したという。〔東福寺誌〕
・「清韓文書を以て世に鳴る、下愚、筆力を知るにあらねば、蔵否を決し難しと雖之を心ありと謂わゞ則心あらむ、清韓は凶詞を知て書くべからず、唯天下の泰平を祝し檀那の功徳を著はすのみならん歟」〔武徳編年集成〕

十五日
幕府、東福寺の文英清韓の住庵を毀す。〔本光国師日記、鹿苑日録(東福寺誌)〕

十六日
集雲守藤(東福寺住持)、文英清韓の免罪に尽力する。〔本光国師日記、鹿苑日録(東福寺誌)〕

十七日(天晴)
片桐且元、文英清韓と共に駿府にいたり、方広寺鐘銘の不吉語句について陳謝する。 本光国師日記、鹿苑日録(東福寺誌)
寧(「政所様」/「光台院様」)が豊国社へ参詣し、百石・散銭十四貫を奉納し、神事を見物する。梵舜、寧へ豊国社でなった柿をおくる。〔舜旧記〕
大蔵卿局(「大蔵卿殿」)、大坂よりの使者として豊国社へ参詣し、銀二枚を奉納する。また萩原兼従・梵舜へ銀五枚、祝衆十人へ帷一ツ・単物一ツずつ、巫女八人に単物二つずつをおくる。続いて秀頼(「大坂」)の依頼として湯立五釜・大原巫女勤を奉納する。
※ 寧の参詣と時を同じくしているため、二人の会談があったのではと思われる。
興意法親王(「照高院殿」)、豊国社へ参詣する。

十八日(天晴)
五山衆の方広寺鐘銘批判文、駿府に至る。文英清韓は決して、不穏の意にて撰文したものではないと申し開きをする。〔本光国師日記、鹿苑日録(東福寺誌)〕
片桐貞隆(「片桐主膳正」)、秀頼(「大坂」)の名代として豊国社へ参詣し、百貫文を奉納する。例年の金子一枚はこの日届かず(大坂方の手違いか?)。 続いて萩原兼従(「萩原」)・吉田兼治(「左兵衛佐」)・梵舜へそれぞれ帷二ツ・袷一ツ・銀子五枚ずつを贈る。
また、江原与右衛門が千(「御姫様」)の名代として豊国社へ参詣し、神楽を奉納する。兼従へ帷二・単物一、梵舜へ帷一・単物一を贈る。
続いて朝廷より大炊御門経頼(「大炊御門大納言」)が装束にて参詣し、太刀折紙を奉納する。〔舜旧記〕

十九日(雨降、午刻ヨリ晴)
豊国社にて能が興行される。〔舜旧記〕

二十日(雨降、午刻ヨリ晴)
萩原兼従(「萩原」)・梵舜、神事の礼のため、片桐貞隆(「片主膳」)・大蔵卿局(「大蔵卿殿」)へ使者を遣わし、書状を届ける。〔舜旧記〕

二十七日
徳川家康、文英清韓の紫衣勅許を得たるを怪しみ、板倉勝重に命じて旧記を検めさせる。〔本光国師日記、鹿苑日録(東福寺誌)〕

二十八日
古田織部重熙、文英清韓を饗応し、幕府より咎めを受ける。〔本光国師日記、鹿苑日録(東福寺誌)〕


九月

[大坂城本丸奥御殿]
一日
相国寺蔭涼軒より、文英清韓の紫衣位なる事を以心崇伝に復命する。〔本光国師日記(東福寺誌)〕

十二日
大蔵卿局、正栄尼、片桐且元ら帰坂する。
以心崇伝、集雲守藤よりの文英清韓執成方を拒絶する。〔本光国師日記(東福寺誌)〕

二十二日(晴)
梵舜、播磨を伴い大坂へ下向する。見舞いのために片桐且元(「片市正」)・同貞隆(「片主膳」)・大野治長(「大野修理」)へ書状をおくる。
「今度為御見舞罷下也、内義以外恐怖之礼也」と記載あり。〔舜旧記〕

二十六日
方広寺大仏殿鐘供養について申し開きのため駿府へ赴いていた片桐且元(「片桐市正且元」)が、大坂へ帰還する。 且元、徳川家康(「駿府」)よりの返答を秀頼(「大坂」)へ伝えるも、秀頼これを受け入れず、家康へ対抗する意思を示す(「反逆之由被仰出」)。 且元、重ねて説得を試みるも、大坂方は承服せず。〔舜旧記〕

二十六日
萩原兼従(「萩原」)、大坂へ見舞いのために播磨を遣わす。播磨、大蔵卿局(「大蔵卿」)と対面し、兼従・梵舜の会見を申し入れる。播磨、その晩は大坂城に泊まり、翌日急いで京へ帰還する。〔舜旧記〕

二十九日(天晴、寒風)
京にて寧(「高台院殿」)が大坂へ駆けつけるという噂が流れる。寧、屋敷の門を堅く閉じ、人の出入りを禁じる。〔時慶記〕


十月

[大坂城本丸奥御殿]
一日(天晴)
寧(「高台院殿」)、大坂へ駆けつるため屋敷を発つも、鳥羽の関を越えられず立ち戻る。 時慶記(同月二日条)
片桐且元(「片桐市正」)・貞隆(「同主膳」)兄弟、この日大坂の私邸を出、摂津茨木城へ入る。〔舜旧記〕

四日(天晴)
梵舜、片桐且元・貞隆兄弟(「片市正・主膳正兄弟」)を見舞うために摂津茨木を訪れ、両人と対面する。〔舜旧記〕

五日(天晴)
板倉忠世(「雅楽助殿」)を通じて板倉勝重(「板伊州」)へ大坂に見舞に訪れてもよいか問い合わせる。 はっきりした返事はなかったが、自ら梵舜は見舞いに行くべきでないと承知する。〔舜旧記〕

六日(天晴)
梵舜、前日の問い合わせをふまえ、大坂への見舞として播磨を遣わせる。〔舜旧記〕

八日
徳川家康(「大御所」)、大坂城攻めのため上洛するという(慈性〔多賀大社僧、日野資勝子〕、千妙寺亮諶〔「千僧正」〕よりこの日文にて知る)。〔慈性日記〕

二十三日(天晴)
徳川家康(「駿川〔河〕将軍」)上洛し、二条城へ入る。この翌日より、梵舜らは連日(二十四・二十六・二十七・二十八・二十九日・十一月一日。ただし二十八・二十九日は対面なし)家康を二条城に見舞う。〔舜旧記〕


十一月

[大坂城本丸奥御殿]
一日(天晴)
板倉勝重(「伊州」)、梵舜へ愛宕福寿院による大坂城秀頼邸(「大坂秀頼様御壺」)へ出入りの様子を尋ねられる。〔舜旧記〕

十五日(晴)
徳川家康(「駿州前将軍」)大坂住吉の本陣へ発する。旗雲出現の天変が発生し、諸人見物するという。 〔舜旧記〕

二十二日(天晴)
萩原兼従(「萩原」)・梵舜、寧(「政所様」)を見舞い、蜜柑一折を進上する。寧の面前で振舞あり。〔舜旧記〕

二十五日(天晴)
萩原兼従(「萩原」)・梵舜、住吉陣屋の家康を見舞うため大坂へ下向する。〔舜旧記〕


十二月

[大坂城本丸奥御殿]
八日
五山衆、徳川家康及び秀忠に謁見する。〔本光国師日記(東福寺誌)〕

二十五日
家康(「大御所」)、大坂表より帰洛する。有節瑞保、大坂との講和がまとまったという話を聞く。〔鹿苑日録〕

二十八日
徳川家康、東福寺領、南禅寺領(九月十三日付)、南禅聴松院領、建仁寺領、岩栖院領、天龍寺領、酬恩院領、万寿寺領、慈照寺領の黒印を与える。〔東福寺文書、本光国師日記(東福寺誌)〕



編年史料 目次
 

1615/慶長二十・元和元年

 
慶長二十・元和元(1615)年
※ []内は茶々姫の居場所

この年

某月一日 〔福田寺寺伝〕近江福田寺住職伝法院正芸、卒する。彼は茶々の末庶弟万寿丸(万菊丸・幾丸・虎千代丸とも)であると伝わる。


一月[大坂城本丸奥御殿]

二日
・五山衆、家康に謁見する〔本光国師日記(東福寺誌)〕

十九日(天晴)
・徳川秀忠(「江戸将軍」)、大坂城より伏見城へ引き上げる〔舜旧記〕

二十一日(天晴)
・梵舜、寧(「政所様」)のもとへ年賀の祝いに訪れる。対面・盃事あり。〔舜旧記〕

二十二日(天晴)
・萩原兼従(「萩原」)・梵舜・瑛侍者(「侍者」)、伏見城を訪れ秀忠に礼参を図るも、禁じられ果たせず。〔舜旧記〕

二十四日(天晴)
・徳川秀忠(「江戸将軍」)、二条城へ入る〔舜旧記〕

二十五日(天晴)
・大野治長(「大野修理殿」)、上洛し養源院へ入る。夜、萩原兼従(「萩原」)・梵舜が治長を見舞いに訪れる〔舜旧記〕
・五山衆、二条城に上り、秀忠に年賀する。〔鹿苑日録、本光国師日記(東福寺誌)〕

二十六日(天晴)
・徳川秀忠(「江戸将軍」)、参内する〔舜旧記〕

二十七日(天晴)
・親王公家門跡衆ら、和議を賀すため、二条城に秀忠を訪れる。参加者は八条宮智仁親王(「八条殿」)・邦房親王(「伏見殿」)・摂家・清華衆(「清花衆」)・門跡・堂上衆と記載。取成は金地院崇伝(「傳長老」)、奏者は酒井忠世(「酒井雅楽殿」)。萩原兼従(「萩原」)・梵舜・瑛侍者も初めて秀忠に対面し、兼従は太刀折紙、梵舜・瑛侍者はそれぞれ杉原十帖・扇一を贈る〔舜旧記〕

二十八日(天晴)
・徳川秀忠(「江戸将軍」)、江戸へ向け京を発す。〔舜旧記〕

三十日(天晴)
・細川興秋(「細川讃岐守殿」)、秀頼(「大坂」)の名代として豊国社を参詣し、銀子二十枚を奉納する。私的な奉納はなし。その後、寧(「政所様」)より梵舜へ衣料(小袖「ハフタイ」・絹二端・綿二把、「不縫シテ」)が届けられる〔舜旧記〕
・徳川秀忠より東福寺大慈庵、不二庵、龍眠庵、南昌院、勝楽庵、万寿寺などへ時服を給う〔本光国師日記(東福寺誌)〕


二月[大坂城本丸奥御殿]

一日(天晴)
・早朝に寧(「政所様」)が突然豊国社へ参拝する。萩原兼従(「萩原」)も梵舜もこのとき不在〔舜旧記〕

七日
・以心崇伝、文英清韓よりの使者及び進物を退ける〔本光国師日記(東福寺誌)〕

八日(天晴)
・梵舜、松雲院殿(「萩原御内儀御袋」=萩原兼従妻の母。兼従妻はお寧の姪)より進物を受け取る。〔舜旧記〕

二十二日(天晴)
・豊臣家(「大坂」)の依頼により、豊国社においてこの日から十七日晩神道大護摩一座の祈祷が執り行われる。執行者は萩原兼従(「兼従」)〔舜旧記〕

二十六日(天晴)
・梵舜、金地院崇伝(「南禅寺之内金地院」)を見舞い、豊国神社の安堵を図る。〔舜旧記〕


三月[大坂城本丸奥御殿]

九日
・家康、五山の学僧を試文する〔本光国師日記(東福寺誌)〕

十二日
・有節瑞保、寧(高台院殿)を見舞う。庭花一両枝を献ずる〔本光国師日記(東福寺誌)〕

二十五日
・大蔵卿局、駿府城より帰り上洛する。講和成立の報を聞き、義演安堵する〔義演准后日記〕


四月[大坂城本丸奥御殿]

七日
・天下不穏につき、貴重物を疎開する。〔舜旧記〕

十八日
・家康上洛する〔舜旧記〕

二十八日
・堺の街が放火される〔泰重日記(同年五月二日条)〕


五月[大坂城本丸奥御殿]

一日(晴天)
・徳川家康(「前将軍家康公」、「大樹」)、公家衆へ大坂に籠城する公家衆を糺す。梵舜もここに参加。持明院基久(「持明院中将」)・富小路良直(「富小路」)ほか数人の籠城を聞き、土御門泰重は雑説かと疑う〔泰重日記、舜旧記〕

二日(晴天)
・岸和田落城の噂について、虚説であることが分かる〔泰重日記〕

四日(晴天)
・持明院基久らの大坂籠城に、基久子息の基征も同心し大坂へ駆けつけるとの取沙汰あり。基征の弟・正親町季俊(「正親町」)は同心せず〔泰重日記〕

五日(晴天)
・徳川家康・秀忠(泰「大樹父子」/舜「駿州前将軍」)、淀を発ち大坂表へ出陣する。後陣は徳川義直(「尾張宰相」)・徳川頼宣(「同少将」)。供には佐竹義宣。公家衆二条にてこれを見送る〔舜旧記・泰重日記〕
・細川忠興(「豊前之越中忠興」)、急遽上洛する〔舜旧記〕

六日(晴天)
・大坂表にて合戦。大坂方(「大坂衆」)の敗北に終わる〔泰重日記〕

七日(晴天)
・大坂表の合戦続く。この日の昼八時(午後三時)より夜半時(午前一時)まで清涼殿の屋根より大坂城の戦火が見える。また、京にて大坂落城の風聞が流れる(泰)〔泰重日記・舜旧記〕
・明石全登(「赤石掃部」)、木村重成(「木村長門」)の討死の噂が届く〔鹿苑日録〕

八日(泰:晴後雨/舜:天晴→夜大雨)
・巳刻(午前十一時)ごろ〔舜〕、秀頼(舜・言緒・鹿苑「秀頼公」)、茶々(本光「御袋」、舜「同御袋」)自刃する。
・井伊直政(「井々掃部」)・安藤重信(「安藤対馬」)、秀頼主従の籠もる蔵に鉄砲を撃ちかけたという〔本光〕。
・梵舜は、その他女中が二十人ほど秀頼母子の供をして自害し、二万の兵が討ち死にしたと記す〔舜旧記〕
・自刃の場所は唐物倉〔本光国師日記〕、矢倉〔言緒事記〕、芦田曲輪〔徳川実紀〕。大坂は炎上した〔鹿苑日録〕
・東福寺において、秀頼のために「崇陽寺殿秀山居士」と祠堂する〔東福寺位牌記(東福寺誌)〕京にて、大坂の徳川家康本陣を見舞うか否かの話し合いが行われる。大坂落城の報にふれ、この見舞は延期される〔泰重卿記〕
・また土御門泰重ら公家衆、禁裏へ赴き、長橋局を通じて大坂落城を知らせる〔泰重卿記〕
・夜、徳川家康(「大御所様」)が大坂より二条城へ帰る。

九日(晴天)
・諸公家、秀頼(義演・泰重「秀頼公」)と茶々(義演「御母儀」)自刃の報を聞く。哀れまないものはなし(泰重「毎人皆無不哀傷候」)という〔義演准后日記、泰重日記〕

十二日
・秀頼女(駿「秀頼御息女七歳」、相「台徳院様御孫姫君、正二位右大臣豊臣秀頼公息女也、大坂一乱之後、天樹院様御養女ニ被為成」)、京極忠高(「京極若狭守」)の手により捕らえられる。千、この姫を養女とする。家康(「権現様」)の命令で鎌倉東慶寺十九世の瓊山清和尚(喜連川頼純女)の弟子として入寺する。その際、家康より縁切法の護持を約させ、後に、忠長(「駿河大納言」)邸をもらいうけ東慶寺の客殿仏殿などを再建する〔駿府記、相州鎌倉松ヶ岡東慶寺由緒書写〕

十三日(雨降)
・法中衆、二条城にて礼参あり。ただし、豊国神社関係者は大坂の件でこれを控える。萩原兼従・梵舜はこれより豊国神社保持を家康に申し入れるべく、金地院崇伝・板倉勝重など徳川方の有力者へ贈答などの働きかけを続ける〔舜旧記〕

十八日(天晴)
・秀吉の月忌も、大坂の穢れにより豊国神社での神事の大方が略される。萩原兼従も参加せず。〔舜旧記〕

十九日
・梵舜、家康側近の亀屋栄仁(「栄仁」)に進物・音信をおくり、豊国神社の社領安堵を懇願する。〔舜旧記〕

二十日
・真田信繁夫人大谷氏(駿「真田左衛門佐妻女」、浅「真田左衛門佐女房」)、紀伊伊都郡にて浅野長晟(「浅野但馬守」)の手にとらわれる。その際、秀頼に賜った来国俊の脇差を所持しており、長晟に献上する〔駿府記、浅野家旧記〕

二十一日
・国松丸(「秀頼御息八歳」)、伏見農人橋で捕らわれる〔駿府記〕または傅役の田中六左衛門、乳母、小姓と共に逃れ、枚方にて妻木雅楽頭に捕らわれ、青木伯耆守によって伏見へ連行され、板倉勝重(「板倉伊賀殿」)に引き渡され、その後加賀衆の材木屋に預けられるとも〔駿府記、大坂御陣山口休庵咄〕

二十三日(残雨のち晴天)
・未刻、国松丸(泰重卿記「秀頼ノ若公」、舜旧記「大坂秀頼公之若君」、駿府記「秀頼御息八歳」)、慶「国松殿」、若狭より連れられ〔泰重卿記〕、六条河原にて斬られる。
傅役田中六左衛門(「乳母男田中六左衛門」、京極家家臣)、十二、三歳の小姓(「京極殿大津之蔵屋敷奉行宗語と申ものの忰」)、六歳の仙石宗也子息も同時に誅され、乳母は赦される。処刑を見た人々は、みな国松を哀れむ〔舜旧記〕。
土御門泰重(織田信包の曾孫)は翌日これを耳にし哀れむ〔泰重卿記〕。
なお、この処刑の日(二十三日、申酉間)は金地院崇伝が吉凶を占ったものである〔本光国師に日記〕
・徳川秀忠(「江戸将軍」)、二条城に入る〔舜旧記〕

二十七日(天晴)
・千(「姫君様」)、清水寺・祇園寺・三十三間堂・東山大仏を見物する。豊国神社へは、大坂の穢れのために参詣を遠慮する〔舜旧記〕

二十八日(雨降)
・片桐且元(「片桐市正」)、病により京都で死去する。大徳寺にて葬られるとのこと〔舜旧記〕


六月

一日(天晴)
・大坂の穢れにより、豊国神社の神事が省略される〔舜旧記〕

四日(天晴)
・京都大徳寺にて、片桐且元(「片桐市正」)の葬儀が執り行われる〔舜旧記〕

五日(天晴)
梵舜、板倉勝重(「板伊州」)より、豊国神社の社領を幕府に差し出すべき旨の書状を受け取る〔舜旧記〕


閏六月

一日(天晴)
・梵舜、豊国神社存続のため、連日二条城に家康を訪れる。しかしあまり対面を許されず〔舜旧記〕

九日(天晴)
・梵舜、瑛侍者を連れて寧(「政所様」)を訪ねる。対面あり〔舜旧記〕

十一日(天晴)
・豊国社社殿の金具が盗難にあう〔舜旧記(同年七月二日条)〕


七月

九日(天晴)
・梵舜、豊国神社について、神事が大仏殿に移され、社頭は一円に廃される旨を金地院崇伝(「傳長老」)の秘かな使者より聞く〔舜旧記〕

十日(天晴)
・板倉勝重(「板伊州」)より呼び出され、神官知行を悉く召し上げる旨通知される。梵舜、寧(「政所様」)を訪れ、事の顛末を報告する〔舜旧記〕

十一日(天晴)
・「御神事御神供為祝奉備、各涙洩、御供令頂戴也、今日毎朝御供奉納闕也、神慮中々在恐也」〔舜旧記〕


八月

六日
・豊国社神社の鐘を知積院へ渡す〔舜旧記〕

八日
梵舜、塩を断ち薬師如来へ願を掛ける〔舜旧記〕

十四日(天晴)
梵舜、豊国神社校倉内、唐装束之長櫃について寧(「政所様」)と話す〔舜旧記〕

十六日(天晴)
板倉勝重(「板伊州」)の指図により、豊国神社撞鐘・巫女屋敷二十帖・神供所十帖を知積院へ渡す。引き渡しを迫られ、是非もない様子だったという〔舜旧記〕

十八日
片桐貞隆、豊国社に参詣する〔舜旧記〕

十九日
豊国神社護摩道具を吉田神社へ渡す〔舜旧記〕

二十日
豊国神社神具を吉田神社へ渡す。豊国神社倉庫を大仏へ移築〔舜旧記〕


九月

十六日
・梵舜、豊国神社社頭にて百日日参祈願を始める〔舜旧記〕

十七日
・梵舜、貴船神社に参拝する〔舜旧記〕

二十八日
・幕府、板倉勝重(「板倉伊州」)に命じて、東福寺において文英清韓の所持していた書籍・長持などを探索させ、同寺にこれを保管させる〔金地院文書(東福寺誌)〕


十月

七日
・豊国神社神官衆が離散する〔舜旧記〕

十四日
・東福寺文英清韓、方広寺鐘銘により捕縛される〔金地院日記(東福寺誌)〕

十七日
・文英清韓、方広寺鐘銘により台首座譲状などを検査される〔金地院日記(東福寺誌)〕

二十四日
・北山鹿苑寺より、文英清韓の織帯二筋が幕府に届出される〔金地院日記(東福寺誌)〕


十一月

四日
・幕府、禁中にあった文英清韓所持の「四河入海」、「帳中香」などを押収する〔金地院日記(東福寺誌)〕


十二月

七日
・梵舜、鞍馬寺へ参詣する〔舜旧記〕
十八日
・妙法院(常胤法親王)が豊国神社の参道を塞ぐ〔舜旧記〕



編年史料 目次
 

1616/元和二年

 
元和二(1616)年

正月

二十一日
・徳川家康、この日の 夜に駿河国田中城で発病する〔徳川実紀〕


三月

二十日
・幕府、文英清韓を獄に下す〔本光国師日記(東福寺誌)〕
二十七日
・徳川家康、太政大臣の宣下を受ける〔徳川実紀〕


四月

九日
・有節瑞保、木下延俊(「木下右衛門」)邸に赴き、寧(「カウタイ院殿」)に宛てて杉原十帖を渡す〔舜旧記、本光国師日記、泰平年表、江戸時代史(東福寺誌)〕
十七日
・徳川家康、駿府にて没する。七十五歳〔舜旧記、本光国師日記、泰平年表、江戸時代史(東福寺誌)〕
十九日
・徳川家康の遺言により、駿府久能山に葬り、江戸増上寺に葬礼し、一周忌ののち日光山に勧請し、さらに三河大樹寺に安国院殿徳蓮社崇誉道和大居士の位牌を祀らせる〔本光国師日記(東福寺誌)〕


五月

七日(晴)
・秀頼母子ら一周忌につき、督(「御台」)、養源院にて仏事を営む〔義演准后日記〕


七月

十五日
・梵俊、寧へ音信・進物を贈る。返礼あり〔舜旧記〕


八月

一日
・梵俊、豊国神社へ参詣する〔舜旧記〕


九月

二十五日
・豊国神社神宮寺内の若松の地が妙法院(常胤法親王)によって理不尽に刈られる〔舜旧記〕

十一月

一日
・梵俊、豊国神社へ参詣する〔舜旧記〕
十六日
・梵俊、寧を訪問する。進物・対面あり〔舜旧記〕
三十日
・梵俊、豊国神社へ参詣する〔舜旧記〕


十二月

一日
・梵俊、豊国神社へ参詣する〔舜旧記〕
八日
・高台寺にて、鉢食(頭陀行のひとつ。一鉢以上食べない行)が行われる〔舜旧記〕
十一日
・梵俊、豊国神社へ参詣する〔舜旧記〕
十五日
・寧の侍女(「高台院御内人」)鶴、なか、清首座(「清首」)、こふの四人が豊国大明神への御燈火料として四十四文目を寄進する〔舜旧記〕
二十一日
・寧の侍女(「高台院御内人」)鶴、なか、清首座(「清首」)、こふの四人、豊国神社へ参詣する〔舜旧記〕
二十八日
・梵俊、豊国神社へ歳暮参詣する。総社領のことを立願する。〔舜旧記〕



編年史料 目次
 

1617/元和三年

 
元和三(1617)年

三月

六日
・秀頼(「秀頼」)が伏見へ逃れ生存しているとの雑説が流れる〔慈性日記〕



編年史料 目次
 

1618/元和四年

 
元和四(1618)年

一月

一日
・梵舜、豊国神社へ参詣する〔舜旧記〕

六日
・寧、豊国社へ祈念料として鳥目六貫目を送る。また、梵舜へも進物を贈る〔舜旧記〕

七日
・梵舜、豊国神社へ参詣する〔舜旧記〕

十一日
・梵舜、豊国神社へ参詣する〔舜旧記〕

十八日
・梵舜、豊国神社へ参詣する〔舜旧記〕

二十六日(天晴、寒風、雪散)
・寧(「高台院殿」)、患う。西洞院時慶妻(孝蔵主妹?)、お寧を見舞う〔時慶記〕

二十七日(天晴、雪散、寒)
・寧(「高台院殿」)、の病回復する。西洞院時慶、寧を見舞い、清月局(「清月」)と談ずる〔時慶記〕

二十八日(天晴、陰寒)
・寧(「高台院殿」)、の病悪化する。西洞院時慶妻(孝蔵主妹?)、寧を見舞う〔時慶記〕

二月

一日
・梵舜、豊国神社へ参詣する。寧が病むとの知らせを聞く〔舜旧記〕

三日
・梵舜、寧の病平癒祈願のために天度祓を進上する〔舜旧記〕

七日(天晴陰)
・西洞院時慶妻(孝蔵主妹?)、寧(「高台院殿」)を見舞い、クワイ一折を贈る〔時慶記〕

十一日
・梵舜、豊国神社へ参詣する〔舜旧記〕

十六日(天晴)
・寧(「高台院殿」)の病が心許ないと聞き、西洞院時慶、清月局(「清月」)・お鳥(「烏」)へ取り急ぎ文を送る〔時慶記〕
・梵舜、寧を見舞いに訪問する〔舜旧記〕

十八日
梵舜、豊国神社にて寧の病平癒祈祷を行う〔舜旧記〕

十九日(天晴)
・西洞院時慶妻(孝蔵主妹?)、寧(「高台院殿」)を見舞う。わずかに回復の兆し有とのこと〔時慶記〕

二十三日(天晴)
・西洞院時慶、寧(「高台院殿」)見舞のため、清月局(「清月」)へ文を送る〔時慶記〕

二十五日(天晴)
・西洞院時慶、寧(「高台院殿」)を見舞う。清月局(「清月」)へ諸白一を贈る〔時慶記〕

二十八日(天晴)
・西洞院時慶、寧(「高台院殿」)へを見舞のため人(「与一」)をやる。時慶妻(孝蔵主妹?)、寧を見舞う〔時慶記〕

三月

三日
・梵舜、寧の病気平癒祈願のために御洗米を進上する〔舜旧記〕

四日(天晴)
・西洞院時慶、寧(「高台院殿」)を見舞う。西洞院時慶、清月局(「清月」)・鳥(「ヲトリ」)・鶴(「オ鶴」)へ重箱を贈る〔時慶記〕

六日(天晴陰)
・岡本玄治(「玄治」、「法印」/曲直瀬道三の弟子・娘婿)、寧(「高台院殿」)へ薬を進上するために下向を延引する〔時慶記〕

九日(天晴陰)
・西洞院時慶、寧(「高台院殿」)の病について、木下利房(「木下宮内」/寧の兄木下家定の次男)・清月局(「清月」)へ尋ねる。江戸の半井瑞寿成近(「驢庵」/朝廷・幕府の典薬医)へも人が遣わされる〔時慶記〕

十二日(雨、巳刻より晴)
・西洞院時慶妻(孝蔵主妹?)、寧(「高台院殿」)を見舞う〔時慶記〕

十九日(大雨)
・西洞院時慶妻(孝蔵主妹?)、寧(「高台院殿」)を見舞う〔時慶記〕
・梵俊、高台院屋敷にて寧の病気平癒祈念を行う。寧の侍女である清首座(「清首」)、清月局、永春尼、鶴がこれに同席する〔舜旧記〕

二十日
・寧、梵舜へ音信を送る。梵舜、返礼する〔舜旧記〕


閏三月

一日
・梵舜、寧に天度祓ならびに供米を進上する〔舜旧記〕

二日(天晴)
・西洞院時慶妻(孝蔵主妹?)、寧(「高台院殿」)を見舞い、茶子を進上する。寧、少験の兆しあり〔時慶記〕

四日
・寧、梵舜へ御燈料として銀子一枚を送る〔舜旧記〕

六日
・慈性(多賀大社僧、日野資勝子)、寧(「高台院殿」)を見舞うため訪問する〔慈性日記〕

十一日
・梵舜、豊国神社へ参詣する〔舜旧記〕

二十二日(天晴)
・西洞院時慶、寧(「高台院殿」)を見舞い、諸白二大折を進上する。時慶、清月局(「清月」)と会うが木下利房(「宮内」)は使の口上に留まる〔時慶記〕

二十七日
・梵舜、吉田斎場所にてお寧の病気平癒祈祷を行う〔舜旧記〕

二十九日
・梵舜、寧へ見舞を申し入れる。木下延俊が応対する〔舜旧記〕


四月

一日
・梵舜、豊国神社へ参詣する。寧へ天度祓、散米を進上する〔舜旧記〕

十八日
・梵舜、寧へ天度祓、御神供を進上する。寧の侍女清月局より音信あり〔舜旧記〕

二十一日
・梵舜、寧へ見舞を申し入れる〔時慶記〕


五月

一日
・梵舜、豊国神社へ参詣する。寧へ天度祓、散米を進上する〔舜旧記〕

十八日
・梵舜、豊国神社へ寧の神供百座祓を進上する〔舜旧記〕


六月

一日
・梵舜、豊国神社へ参詣する〔舜旧記〕

二十七日
・梵舜、寧へ伺候する。寧の体調不良により対面叶わず〔舜旧記〕


七月

七日
・梵舜、豊国神社へ参詣する〔舜旧記〕

二十八日
・寧・侍女(「御内人」)四名(清首座〔「清首」〕、清月局、永春尼、鶴)、梵舜へ祝儀を送る〔舜旧記〕


八月

一日
・梵舜、豊国神社へ参詣する。寧の侍女四名(清首座〔「清首」〕、清月局、永春尼、鶴)、神供を持参する〔舜旧記〕

九月

一日
・梵舜、豊国神社へ参詣する〔舜旧記〕

十八日
・梵舜、豊国神社の神供を寧へ進上する。午後、片桐貞隆が豊国社へ参詣する〔舜旧記〕


十月

一日
・梵舜、豊国神社へ参詣する〔舜旧記〕

十八日
・梵舜、豊国神社へ参詣する。午後、片桐貞隆が豊国社へ参詣する〔舜旧記〕

二十八日
・梵舜、寧へ見舞のため伺候する〔舜旧記〕


十一月

一日
・梵舜、豊国神社へ参詣する〔舜旧記〕

十八日
・龍(「松丸殿」/京極高吉女)が豊国神社へ参詣する〔舜旧記〕



編年史料 目次
 

1619/元和五年

 
元和五(1619)年

正月


一日
梵舜、豊国神社へ参詣する。寧、豊国神社へ神供を進上する〔舜旧記〕

八日
梵舜、寧へ伺候する。対面あり〔舜旧記〕

十八日
梵舜、豊国神社へ参詣する〔舜旧記〕


二月

一日
梵舜、豊国神社へ参詣する〔舜旧記〕

二日
梵舜、板倉勝重より豊国神社神宮寺を梵舜に下賜する意が徳川秀忠にあることを聞く〔舜旧記〕

三日
梵舜、豊国神社舞衣裳を妙法院に渡す〔舜旧記〕

六日
寧、豊国神社へ燈明料を奉納する〔舜旧記〕

十日
梵舜、以心崇伝へ豊国神社神宮寺のことについて書状を送る〔舜旧記〕
方広寺大仏・養源院焼失する〔舜旧記〕


三月

三日
梵舜、豊国神社へ参詣する〔舜旧記〕
十八日
梵舜、豊国神社へ参詣する〔舜旧記〕


四月

一日
・梵舜、豊国神社へ参詣する〔舜旧記〕

十八日
・梵舜、豊国神社へ参詣する。龍(「松丸殿」/京極高吉女)の名代が豊国神社へ参詣する〔舜旧記〕

二十三日
・梵舜、豊国神社について萩原兼従と内談する〔舜旧記〕


五月

一日
・梵舜、豊国神社へ参詣する。豊国神社神領のことについて祈念する〔舜旧記〕

五日
・梵舜、豊国神社へ参詣する〔舜旧記〕

十四日
・寧、梵舜へ祈祷料として銀一枚を送る〔舜旧記〕

十八日
・梵舜、豊国神社へ参詣する。豊国神社神領のことについて祈念する。寧依頼の祈祷のために天度祓百二十座を執り行う〔舜旧記〕

二十五日
・梵舜、寧へ伺候する〔舜旧記〕


六月

一日
・梵舜、豊国神社へ参詣する〔舜旧記〕

十八日
・梵舜、豊国神社へ参詣する〔舜旧記〕

二十八日
・妙法院より豊国神社神宮寺屋敷のことを申し来る。梵舜、これと対面せず〔舜旧記〕


七月

一日
・梵舜、豊国神社へ参詣する。また、以心崇伝へ豊国神社存続について依頼する〔舜旧記〕

七日
・梵舜、豊国神社へ参詣する〔舜旧記〕

八日
・板倉勝重へ神宮寺について、豊国神社神宮寺譲渡の先約証文はないことを申し入れる〔舜旧記〕


八月

一日
・梵舜、豊国神社へ参詣する〔舜旧記〕

九日
・梵舜のもとへ豊国神社神宮寺についての以心崇伝の返事来る。内容はとても受け入れがたいもの〔舜旧記〕

十二日
・梵舜、豊国神社について森久右衛門の内談を聞く〔舜旧記〕

十四日
・梵舜、伏見城に赴き、以心崇伝と豊国神社神宮寺について議論する〔舜旧記〕

十五日
・梵舜、豊国神社神宮寺のことについて祈念する〔舜旧記〕

十八日
・梵舜、豊国神社へ参詣する。神宮寺屋敷のことを祈念する。寧へ神供一膳を進上する〔舜旧記〕

十九日
・寧、豊国神社へ初穂料を奉納する〔舜旧記〕


九月

五日
・板倉勝重、豊国神社神宮寺屋敷を妙法院に交付する。梵舜、崇伝の反復に憤り、すぐさま寧へ報告する。寧もこれに動転する〔舜旧記〕

十二日
・兼従、豊国神社を妙法院へ渡す〔舜旧記〕

十三日
・板倉勝重の再三の申し入れにより、豊国神社神宮寺馬厩舎を毀す〔舜旧記〕

十五日
・梵舜、豊国神社へ暇乞いのため参詣する〔舜旧記〕

十六日
・豊国神社、妙法院へ受け渡し作業〔舜旧記〕

十七日
・梵舜、豊国神社神宮寺について再三板倉勝重に申し入れるも聞き入られず〔舜旧記〕

十八日
・豊国神社、妙法院へ受け渡し作業〔舜旧記〕

十九日
・梵舜、豊国神社神宮寺の材木を神龍院へ移す〔舜旧記〕

二十五日
・梵舜、豊国神社神宮寺の材木を神龍院へ移す〔舜旧記〕


十月

一日
・梵舜、豊国神社祈念の日だが、社殿を妙法院に受け渡したため参詣不能〔舜旧記〕

四日
・梵舜、寧へ豊国神社神供料の残余を返す〔舜旧記〕

五日
・豊国神社神宮寺拝殿が建仁寺常光院に移される〔舜旧記〕

十八日
・豊国神社、妙法院へ受け渡し作業〔舜旧記〕

十九日
・梵舜、豊国神社神宮寺の石風呂を神龍院に移す〔舜旧記〕


十一月

十八日
・豊国神社縁日〔舜旧記〕

二十五日
・梵舜、豊国神社神宮寺鎮守社を神龍院に移す〔舜旧記〕

二十七日
・沢庵、豊国神社神宮寺旧材を購入する。豊国神社神宮寺屋敷を妙法院へ渡す〔舜旧記〕

二十七日
・板倉勝重の再三の申し付けにより、豊国神社神宮寺屋敷を悉く毀す〔舜旧記〕


十二月

十一日
豊国神社神宮寺鎮守社、神龍院に鎮座する〔舜旧記〕

十八日
梵舜、神龍院内豊国神社鎮守社に参詣する〔舜旧記〕



編年史料 目次
 

1620/元和六年

 
元和六(1620)年

一月


七日
梵舜、寧へ年賀のために伺候する。 〔舜旧記〕

十一日
豊国神社神宮寺鎮守社、神龍院に鎮座する。〔舜旧記〕

二十六日
梵舜、豊国神社神宮寺屋敷を神龍院に移す。 〔舜旧記〕


二月


十七日
新上東門院勧修寺晴子、崩御する。〔舜旧記〕

十九日
梵舜、神龍院を梵瑛に与奪し、西屋敷へ隠居する。 〔舜旧記〕


三月


十八日
梵舜、神龍院内豊国神社鎮守社へ参詣する。 〔舜旧記〕


四月


十八日
梵舜、神龍院内豊国神社鎮守社へ名代を代参させる。〔舜旧記〕


五月


二日
豊国神社神宮寺旧門が神龍院へ移される。 〔舜旧記〕

十八日
梵舜、神龍院内豊国神社鎮守社へ名代を代参させる。〔舜旧記〕


六月


十八日
徳川和子が今上帝(後水尾天皇)に入内する。 〔舜旧記〕


八月


十八日
神龍院内豊国神社鎮守社にて祭礼あり。梵舜、寧へ神供を進上する。 〔舜旧記〕


九月


十三日
文英清韓、罷免され、この日禁中にて「東坡集」第十四巻を進講し、その後振舞を受ける。 〔鹿苑日録〕

十九日
文英清韓、東福寺にて「四教義」を講ず。 〔鹿苑日録〕


十月


一日
梵舜、寧へ伺候する。豊国神社のことについて清月局と内談する。〔舜旧記〕

十九日
文英清韓、集雲守藤ら、「聖一国師年譜」一巻を再刊する。 〔巻末記(東福寺誌)〕


十一月


十八日 神龍院内豊国神社鎮守社が火焼する。 〔舜旧記〕


十二月


十八日
梵舜、神龍院内豊国神社鎮守社(「鎮守大明神」)へ洗米を奉供する。〔舜旧記〕

二十五日
梵舜、寧(「高台院」)病につき病気平癒を神龍院内豊国神社鎮守社(「鎮守大明神」)へ祈念する。 〔舜旧記〕

二十八日
寧(「高台院ノ御方」)、秀忠に歳暮として呉服三重を贈る。秀忠、直ちに寧へ書を贈りこれを謝す。
西洞院時慶妻(孝蔵主妹?)、寧を見舞う。 〔東武実録〕

三十日
寧、神龍院内豊国神社鎮守社へ初穂を送る。 〔舜旧記〕



編年史料 目次
プロフィール

紀伊

Author:紀伊
茶々姫(浅井長政の娘、豊臣秀頼の母)を中心に、侍女、ご先祖の浅井家女性(祖母井口阿古など)、茶々の侍女やその子孫、養女羽柴完子とその子孫を追いかけています。
ちょこっとものを書かせていただいたり、お話しさせていただくことも。





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メモ「赤石いとこ」名義で記事を書かせていただきました。

悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ) 悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ)(2009/06/06)
…改めて石田三成と茶々姫の“不義”を否定する記事を書かせていただきました。


メモ 参考資料としてご紹介いただきました。

めのとめのと
…茶々の乳母大蔵卿局を主人公描く歴史小説。茶々の祖母阿古の活躍も見どころ。
千姫 おんなの城 (PHP文芸文庫)千姫 おんなの城
…千の生涯を描いた作品。千が見た茶々をはじめとする人々の生き様、敗者が着せられた悪名が描かれる。


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