fc2ブログ

茶々姫をたどる汐路にて

茶々姫研究日記(こちらが現行版になります)

RSS     Archives
 

歴人マガジン

 

「秀吉が近江長浜城主だった時代、山名禅高の娘との間に、男子が生まれたと言われています。 その男子誕生を領民が祝ったことが、現在の曳山祭りの起源だとされています。」 石松丸とは書いてない rekijin.com/?p=12592


posted at 22:51:31


秀吉の遺骸と歯、秀頼の手形 rekijin.com/?p=16212


posted at 23:54:06

スポンサーサイト



 

国松伝説と茶々の櫛箱

 

国松伝説と茶々の櫛箱 www.e-bookland.net/campaign/otaka…


posted at 00:01:05

 

安心の跡部先生

 

安心の跡部先生( ; ; )/【関西の議論】「高慢ちきな嫌な女」淀殿の“悪女伝説”覆す史料見つけた…来年のNHK大河ドラマで“名誉回復”!? www.sankei.com/west/news/1504…


posted at 17:20:02

 

六本木朝日神社・清心尼

 

@dainagongusa こんなの見つけました www.asahi-jinjya.com/asahi.html


posted at 17:00:48



 

茶々姫と善光寺

 
茶々姫をたどる汐路にて
(画像はしなちくにゃんこさまよりお借りしました)

いつもブログでお世話になっているしなちくにゃんこさんが、長野の善光寺に参拝されたということで、ブログに記事をアップされていらっしゃいます。

そちらで、茶々姫(「秀頼公御母堂淀殿」)の手跡を見つけられたとのことで、ぜひうちのブログでもしなちくにゃんこさんの記事を紹介させてくださいとお願いしたところ、快く了承してくださいました。
おまけに、画像を転載してもよいとのお言葉に甘えて、画像をお借りしております。
ありがとうございました。

善光寺と茶々姫の関係は、慶長五(1600)年に秀頼の名前で本堂を修築しております。但し、寛永十九(1642)年に焼失したため現存しません。
豊臣家との関係でいうと、秀吉が慶長三(1598)年に地震で倒壊した京都大仏殿に善光寺如来を遷座させようとしたらしいです。
(奇しくも、k2さんのブログでも督(江)の岐阜出生説に関連して善光寺さんをとりあげていらっしゃいました。)
畿内の寺社を中心に修築している秀頼と茶々姫ですが、この善光寺さんに特別な思い入れがあったのでしょうか。それとも秀吉時代からの事業の継承でしょうか。

それにしても、やはり女人の書は難しい…どこから手を付けていいものやら、くずし字辞典を片手に途方にくれております…
大学生に戻りたい…(´・ω・`)

→*善光寺・淀殿書状|Tour Bus Guide☆しなちくにゃんこのファイトだ英語とダイエット
(リンク先は音楽が流れます。音量にご注意くださいませ)
プロフィール

紀伊

Author:紀伊
茶々姫(浅井長政の娘、豊臣秀頼の母)を中心に、侍女、ご先祖の浅井家女性(祖母井口阿古など)、茶々の侍女やその子孫、養女羽柴完子とその子孫を追いかけています。
ちょこっとものを書かせていただいたり、お話しさせていただくことも。





月別アーカイブ

フリーエリア

メモ「赤石いとこ」名義で記事を書かせていただきました。

悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ) 悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ)(2009/06/06)
…改めて石田三成と茶々姫の“不義”を否定する記事を書かせていただきました。


メモ 参考資料としてご紹介いただきました。

めのとめのと
…茶々の乳母大蔵卿局を主人公描く歴史小説。茶々の祖母阿古の活躍も見どころ。
千姫 おんなの城 (PHP文芸文庫)千姫 おんなの城
…千の生涯を描いた作品。千が見た茶々をはじめとする人々の生き様、敗者が着せられた悪名が描かれる。


検索フォーム



ブロとも申請フォーム

QRコード
QR