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茶々姫をたどる汐路にて

茶々姫研究日記(こちらが現行版になります)

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熊野那智大社

 

熊野那智大社 宝物殿
・豊臣秀頼奉納 ・鰐口 「熊野那智市?野王子慶長六辛巳十一月日/豊臣朝臣秀頼公御寄付御奉行鈴木与作」
・硯箱

posted at 12:03:11


解説「那智山と豊臣家」要約① 天正九年の戦火で山内の堂宇が焼失、その後天正十五年から豊臣秀長を願主として復興造営が行われる。慶長八年まで十六年を要した復興造営は秀長から秀保、その後秀頼に引き継がれ、社殿、本堂、仁王門、市野々井王子、振枷瀬橋などが完成した。

posted at 12:03:12


解説「那智山と豊臣家」要約② 社殿完成時に納められた神像十五体も完具で伝わる。 熊野那智大社本殿(拝殿後方)と、青岸渡寺本堂は桃山時代の建造物として国の重要文化財に指定。

posted at 12:03:12

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熊野本宮大社

 

熊野本宮大社 宝物殿①
慶長十七年奉納 ・銅鍍金釣燈籠 当初十二対あったが、現存するものは一基のみ
慶長十八年奉納 ・銅鉢
慶長十八年奉納 ・神額 「日本第一大霊場所 根本熊野三所権現 豊臣秀頼」
秀頼ゆかりの品それぞれに『秀頼卿御再興』の銘あり pic.twitter.com/C2kYGtBfM6


posted at 14:53:57


熊野本宮大社②
秀頼が大檀那、浅野幸長を造営奉行御殿として社殿を造営。 慶長十七年着工、十九年三月竣工 当時は神仏習合の社で、阿弥陀如来を本尊とした 江戸期社殿は大火で焼失したが、現存している燈籠等は火災を逃れたもの

posted at 14:53:58

 

総持寺

 

総持寺境内図(明治七年)の朱書 本堂・金堂・楼門「慶長八年豊臣秀頼公再建」 鐘撞堂「慶長八年伽藍再建奉行片桐市正且元寄附、但鐘共同士所持之陳鐘ノ由」

posted at 13:52:14


秀頼再建の伽藍は火災で現存しておらず、現存するのは当時の擬宝珠のみ…というわけで擬宝珠が見たかった。残念。

posted at 14:08:31


且元の鐘はあった pic.twitter.com/4RoeTm0fr8


posted at 14:09:10

 

大雲院特別公開

 

大雲院。信忠座像。お位牌もありそう。後陽成天皇宸筆勅額草、額草年号。軍配団扇、盆石 銘残雪、餓鬼腹花入(開山貞安上人が信長に拝領したもの)。信長画像。信忠画像。丸壷茶入 銘唐丸(貞安上人が秀吉に拝領)


posted at 15:34:01


豊臣秀次の供養塔もなにか展示や解説あるかと思ったけどそんなことなかった pic.twitter.com/tHdylwkBcB



posted at 16:05:43



 

須磨寺

 

須磨寺詣で pic.twitter.com/7SkMyMmTob



posted at 13:51:38

プロフィール

紀伊

Author:紀伊
茶々姫(浅井長政の娘、豊臣秀頼の母)を中心に、侍女、ご先祖の浅井家女性(祖母井口阿古など)、茶々の侍女やその子孫、養女羽柴完子とその子孫を追いかけています。
ちょこっとものを書かせていただいたり、お話しさせていただくことも。





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メモ「赤石いとこ」名義で記事を書かせていただきました。

悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ) 悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ)(2009/06/06)
…改めて石田三成と茶々姫の“不義”を否定する記事を書かせていただきました。


メモ 参考資料としてご紹介いただきました。

めのとめのと
…茶々の乳母大蔵卿局を主人公描く歴史小説。茶々の祖母阿古の活躍も見どころ。
千姫 おんなの城 (PHP文芸文庫)千姫 おんなの城
…千の生涯を描いた作品。千が見た茶々をはじめとする人々の生き様、敗者が着せられた悪名が描かれる。


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