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「大坂の陣と近江牢人」

@ 主に浅井一政自記や北川〜、長沢〜を元に、冬の陣開戦までの十日間をわかりやすくレポしていただきました。あと近江出身の大坂牢人のご紹介などです。


posted at 00:03:08


@ 個人的には且元の嫡子と秀頼の娘をめあわす話があった下りが面白かったです。 最近出た一政自記の論文に比べ、同じ史料を使っても、読む方が変わればこんなに印象が変わるのかと改めて驚きました。


posted at 00:05:59


@ それは本当にそう思いました。 秀頼も茶々も且元も首脳陣も、絶対的な力を持てなかったと太田先生が評価されて、わたしもそう思いましたが、その中でも且元の存在感は娘をやっても惜しくないほど豊臣家の中で大きく、欠くことができなかったのでしょうね。


posted at 00:17:34


@ あと茶々が一政たちに応対するとき、きちんと屏風越しに応対していた描写が、世に聞く話や印象とは大きく異なり、その辺りちゃんとしていたんだなあと驚きました。


posted at 00:21:04


浅井鶴千代ー海津局(夫は田屋政高)ー田屋式部(妻は三好氏)ー三好直政(妻は明石掃部の娘レジイナ)ー… かなあ


posted at 14:48:22

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| ∟講演会/展覧会 | 23:58 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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安土城考古博物館春季特別展「信長のプロフィール」

龍安寺西源院蔵織田信包画像、寺外初公開らしい。善光寺別院願王寺蔵織田又六画像。妻は信秀と信長の乳母の娘。三の丸?その姉妹?龍安寺蔵細川昭元夫人画像。近江八幡市摠見寺蔵泰巌相公縁会名簿、同蔵織田氏系譜、同蔵織田信忠画像。龍安寺蔵織田信長朱印状(おいぬ宛)。など@ #安土城考古博物館


posted at 16:21:46


織田信雄分限帳をじっくり見たり。


posted at 16:22:37

| ∟講演会/展覧会 | 23:40 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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「ねねと秀吉」@秀吉清正記念館

寧の名前について最新?の情報が取り入れられているのに、茶々は一箇所を除いて「淀君」でもやっとした。 茶々を落とさなくても、寧さんの業績も評価も変わらないって。 日秀=宮の史料を見に伺ったのだけど、足守藩に秀頼の自筆神号が伝わったのが確認できてよかった@秀吉清正資料館 pic.twitter.com/2b2WL55bd0






posted at 22:18:35

| ∟講演会/展覧会 | 21:37 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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高台寺掌美術館特別展「北政所ねね一族と天下人」

南化玄興(1537〜1604)賛豊臣秀吉像、賛は田中吉政の求めによる。高台院像(北政所像、容貌若々しく剃髪もしていないので高台院を名乗る慶長八年までの寿像か)、木下長嘯子像、常光院蔵木下家定像、綱敷天満宮縁起(慶長十二年ら寧が幼少から天神を深く信仰していたという)


posted at 18:49:48


浅野長政仮名消息(寧が木下家定遺領を甥の勝俊に継がせたいと強く願う旨、孝蔵主、客人局宛)、常光院蔵高台院消息(常光院宛) pic.twitter.com/CRjh6u7zQz



posted at 19:04:21


| ∟講演会/展覧会 | 01:54 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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真田丸展@大阪歴史博物館

(10/3 前期展示)

大河ドラマ展なのに、展示解説の系図梅の母が高梨内記娘になっている件。


posted at 13:10:12


大阪市立美術館蔵豊臣秀吉画像(慶長五年六月惟杏永哲賛)


posted at 13:27:39


上田合戦も大河ドラマ展は秀忠が遅参して家康に激怒されたと何度も出てくる。


posted at 13:28:35


太宰府天満宮蔵鶴亀文懸鏡。「願主 同 東 小石 徳 小屋」が刻まれた大きな鏡。脇に願主の人物比定の説(「東 大谷吉継の母/小石 大谷吉継の妻/徳 大谷吉継の娘(真田信繁室の竹林院)/小屋 大谷吉継の妹」)が紹介されている。あら、みんな吉継の姉妹じゃなかったっけ?


posted at 13:38:08


大阪歴史博物館蔵 一行書「龍虎梅竹」(豊臣秀頼筆)、真田宝物館蔵 豊臣秀頼黒印状 真田伊豆守宛、大阪市教育委員会蔵沢瀉紋飾瓦(沢瀉は秀次の馬印だったので出土地が秀次屋敷跡地か)、大阪市教育委員会蔵 桔梗紋鬼瓦(桔梗は加藤清正の家紋のひとつ、出土地は清正関係の敷地か)


posted at 13:48:17


フランキ砲の音声ガイドに茶々のエピソード。豊臣秀頼禁制 河州平野庄宛(慶長19年10月26日付)、東京大学史料編纂所蔵板倉勝重書状 島津陸奥守宛(慶長20年5月6日付、則秀頼・どうかなあ御袋、其外修理・甲斐守、於本丸同八日ニ被相果候、」)


posted at 14:08:55


仙台市博物館蔵高台院書状 大崎少将宛(慶長20年5月19日付、「大坂の御事ハなにとも申候ハんずることの葉も御入候はぬ事にて候」の書状)


posted at 14:15:31


高知城歴史博物館蔵 緋羅紗地大に渦巻文様切付陣羽織、毛利勝永所用のもの。勝永が関ヶ原合戦ののち土佐の山内一豊に預けられた縁で形見として家臣に託され、明治25年山内家へ譲られた…というエピソードが面白いなあと。


posted at 14:18:28


ちゃうか。妹とわかっているのはやっぱり小屋さんだけ。後の二人は大谷家の女性と推測していただけだった s.ameblo.jp/chachahime-blo… twitter.com/itoko_akaishi/…


posted at 14:43:01


@itoko_akaishi 豊臣秀頼黒印状 真田伊豆守宛 為歳暮之祝儀 呉服二到来、 遠路祝着候、尚 片桐市正可申候、 謹言、 極月廿七日(黒印) 真田伊豆守とのへ


posted at 14:59:20


江の時も思ったけど、大河ドラマ展と大河ドラマと設定や解釈が違ったりするよなー。どっちかというと大河ドラマ展のほうが俗説とか通説寄りだなと感じます。


posted at 15:25:02



追記:(10/28 後期展示)

某条書案(慶長20/6/11)。秀頼様五月八日未ノ刻御切腹 御袋様モ御同前ニ候 大蔵卿殿・右京大夫殿・三位殿 韓長老・秀頼様御介錯 速水甲斐殿・同おてきかい子 津川左近・大野修理・同信濃 毛利豊前・同長右衛門・竹田左吉 堀対馬・氏家内膳・伊藤武蔵 (続く)


posted at 20:30:56


(続き)とい少五郎・片岡十右衛門・高橋半三郎 同三十郎・森長八・建部加藤弥太 藤四郎・竹田永翁・はい原八蔵 同三十郎・小室義兵衛・浅井喜八 同半兵衛・寺尾少右衛門・真田大介 左衛門子


posted at 20:34:16


落城後まもない噂や雑説などの書き付けだけど、常高院とともに逃れた浅井喜八の名が見えるなど、不確かな情報も。しかも千を逃した大野治長に至っては自分の命惜しさにとか言われて気の毒すぎる。大野兄弟や国松の件も書かれてあるようです。


posted at 20:37:05

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