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茶々姫をたどる汐路にて

茶々姫研究日記(こちらが現行版になります)

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「女たちのひょうご」@兵庫県立歴史博物館

 

[女たちのひょうご@兵庫県立歴史博物館]①
・脇坂系譜(脇坂安知氏蔵)
・千姫姿絵(弘教寺蔵)
・千姫奉納羽子板(男山千姫天満宮蔵)
・豊臣秀頼自筆六字名号「南無阿弥陀仏 /秀頼書」(柴原家蔵)
・姫路城化粧櫓写真パネル
・千姫天満宮写真パネル
・聖観音坐像写真パネル
・弘教寺パネル

posted at 20:19:28


・染付網目草花文様有蓋壺(複製、弘教寺蔵)…蓋裏に「天樹院殿御骨」
・千姫御骨発見の経緯 写真パネル 石櫃蓋裏に刻まれた墓誌: 「台德院殿第一御息女 天樹院殿栄譽源法松山 大禪定尼御骨 寛文六年二月六日 叙?沼弘教寺第十八世 真蓮社玄譽萬無 敬白」…かな?要確認。

posted at 20:19:29


・奈阿姫奉納浄土三部経(弘教寺蔵)
・弘教寺扁額(千姫揮毫と伝わる)写真パネル…「源秀忠公御息女天樹院建立」「寛永六年己巳七月十五日 住持団連社照譽大和尚」
・天樹院殿御廟 写真パネル…遺髪が納められていると伝わっていたが、平成9年の調査で遺骨の一部が埋蔵されていることが発見された

posted at 20:19:29


・東慶寺写真パネル
・紫龍石硯(弘教寺蔵)…小西行長が文禄・慶長の役で持ち帰り、秀吉→家康→千姫と譲られたと伝わる
・銅製唐草葵紋茶碗(弘教寺蔵)
・養性院書状(龍門寺宛)2通…養性院は藤堂高虎女市子(京極高和室)元禄二年二月三日没(貞閑尼の自伝による)

posted at 20:19:29


・京極家略系図パネル…京極高和室市子、京極高豊室松子(酒井忠挙女、松寿院、姫路城松寿山不徹庵中興の祖と伝わる)について
・男神立像(不徹寺蔵)…松寿院寄進と伝わる
・松寿院位牌(同上)…「當庵中興松壽院殿貞岳義栄尼禅師」「享保八年癸卯八月九日」酒井家と京極家の家紋を配す

posted at 20:19:30


・中興松寿院殿御百回遠忌諸事控(不徹寺蔵)
・椿蒔絵菓子盆(同上)…松寿院遺品
・家紋入り螺鈿重箱(同上)…松寿院ゆかりの品。「一般的には、女性は嫁いだ後は婚家の家紋を使うことが多いが、大名家などの場合は実家の家紋が引き続き使用されることもあったようである」

posted at 20:19:30


・家紋入り黒漆塗膳(同上)…松寿院所用品と伝わる
・松寿院筆紺紙金泥観音経(不徹寺蔵)…夫京極高豊(「俊徳院傑山道英大居士」)没の翌年に追福のため写経
・松寿院書状(同上)
・御紋付猩々緋戸帳(同上)…中央に酒井家、左右に京極家の家紋を配す
・千姫天満宮近くの千姫像写真パネル

posted at 20:19:30


・丹波市お福(春日局)の像写真パネル


posted at 20:19:31

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企画展示 「戦国を生きた長浜ゆかりの女性たち」@長浜城歴史博物館

 

長浜城なう。企画展示、 「戦国を生きた長浜ゆかりの女性たち」。 図録あり。ありがたい。 バッテリー危ういので続く限りレポ。


posted at 15:56:47


徳勝寺蔵浅井亮政夫妻像…江戸時代前期
同寺蔵浅井長政夫妻像…江戸時代後期
養源院蔵淀殿像展示…江戸時代
大阪城天守閣蔵秋草文彩画団扇
知善院蔵淀消息(京極高次宛)…署名「あ」?
徳源院蔵京極高次像
常高寺蔵常高院像
同寺蔵常高院消息写し(かきおきのこと)
同寺蔵九条袈裟

posted at 16:42:00


同寺常高院消息(槐堂和尚宛)
養源院蔵崇源院像(すうげんいん、とルビ)
栄昌院蔵江消息2通(常高院宛署名「五」)
長浜城歴史博物館蔵東福門院消息(徳川家光宛)

posted at 16:42:00


芳洲会蔵『江北史料図彙』浅井郡之一…昌安見久尼肖像彫刻の写し 「実際庵過去帳ニ 天正十三年六月廿九日遷化 年四十九 浅井日記 長政妹 京極高方室 後成尼實際庵曰昌庵」 解説に実宰院蔵昌安見久尼の像の写真あり

posted at 16:42:01


養源院蔵豊臣秀頼像
長浜城歴史博物館蔵豊国大明神神号豊臣秀頼筆(慶長五年)
大徳寺蔵大政所像
多賀大社蔵豊臣秀吉祈願文 多賀宛
多賀大社蔵大政所病院本復祈願覚書
大阪城天守閣蔵豊臣秀吉自筆書状袮宛
同館蔵北政所自筆書状 木下ゑもんの大夫宛
長浜八幡宮蔵豊臣秀吉像…寛政9年

posted at 16:42:01


長浜城歴史博物館蔵高台院像…江戸時代後期「寛永元年九月六日 高台院殿 従一位湖月大禅定尼」の貼札あり
高台寺蔵口宣案…豊臣吉子
宝厳寺蔵竹生島奉加帳
大阪城天守閣蔵豊臣秀吉自筆書状 まんところ宛…「若君」、「大坂殿」 北政所書状 こま井次郎さへもん宛

posted at 16:42:02


舎那院蔵阿弥陀三尊懸仏…解説に裏面墨書の写真あり。 「江州北部 羽柴筑前守殿 御れう人甲戌歳 天正九年 奉寄進御宝前 息災延命 八月三日 如意御満足処 八幡宮」(高さ略)
麻蘇多神社蔵鉄釣灯籠…「定灯浅井/馨庵寿松」
八幡神社蔵小嶋権現棟札「浅井蔵屋/馨庵寿松」
宝厳寺蔵蓮華会頭役門文録

posted at 16:42:02


羽柴秀吉・秀勝連署宛行状 広瀬兵庫助宛 下郷共済会蔵徳勝寺授戒帳…天文四年〜慶長十四年 ああもう時間がないのでここまで


posted at 16:42:03

 

「令室の小袖(お市の方、お江、東福門院)母娘三代の装い」@湖北文化センター

 

湖北文化センターなう pic.twitter.com/nzIKeZeR2k



posted at 13:19:12


雁金屋さんのおはなし楽しみ レジュメでは「ふしみ殿」が依然茶々のこととされているように見えてちょっと不安もありやなしや。 ちなみに息子湖北デビュー。


posted at 13:20:55


ふしみ殿のくだりの話あり。 終始淀君呼称なのは逆に新鮮。 ただ、お市やお江はそのまま呼んでるんだからやっぱり茶々でいいと思う。 おねも北政所と読んだ後におねと解説しているんだし。 まあ本筋ではないけどさ。


posted at 14:42:17


おお、綱重室でてきた 「甲府姫宮様」か〜


posted at 14:58:44


お市の例の肖像画の衣装を一枚一枚解説聞けて面白かった! 色とか染めとか織とかどれも面白かったなあ


posted at 15:11:38

 

企画展示 「淀殿~波瀾の生涯~」@大阪城天守閣

 

全て大阪城天守閣蔵:

・浅井亮政書状写(天文九年十二月二十六日付、山中与三左衛門尉宛)、
・浅井久政書状写(天文二十四年七月二十三日付、大井懸所侍中宛)、
・浅井長政画像(写)、
・浅井長政書状(九月十一日付、浅見新右衛門尉宛)、
・姉川合戦絵図(江戸時代、古河古松軒作)、
・徳勝寺浅井三代墓写真パネル

posted at 12:43:45


・織田信長画像(複製/原本:天正十一年五月作、大徳寺117世古渓宗陳賛、安土城総見寺に伝わる、神戸市立博物館蔵)、
・お市の方画像(複製/原本:持明院蔵)、
・『絵本太閤記』、
・柴田勝家画像(複製/原本:千葉柴田家蔵、筑後柳川藩主立花家の家臣柴田家に伝来、家伝曰く、北庄落城の際近侍の僧侶に自身の姿を描かせ、生まれて間もない遺児勝春(柳川柴田家の祖)を脱出させた折にこれを託したものとされる)、

posted at 12:43:45


・天鷲寺柴田勝家・お市の方・勝家父墓写真パネル、天鷲寺は勝家の末裔と伝える柴田徳翁家の菩提寺)、
・豊臣秀吉画像(模写/原本:西笑承兌賛〔慶長四年二月十八日付〕、秀吉の側近で奉行や御咄衆を務めた富田信広が調達、その菩提寺正眼院〔現大隆寺〕に伝来、愛媛宇和島伊達文化保存会蔵)、


posted at 12:43:46


・増田長盛等五名連書状(天正十九年八月三日付、増田長盛・小出秀政・寺沢弘政・石川光重・伊藤秀盛連書、北野社宛、鶴松本復祈祷)、
・鍍金燭台 芯挟み・芯入れ付(伝淀殿所用)

posted at 12:43:46


・歌書散屏風(伝淀殿筆)右隻、
・秋草文彩画団扇(伝淀殿所用)、
・杉目檜扇(伝豊臣秀頼所用、藤原清子氏寄贈)、
・豊臣秀頼自筆和歌色紙(藤原俊成による女御入内の屏風の和歌)、
・金小札緋威喉輪(伝豊臣秀頼所用、藤原宗一郎氏寄贈)、
・革包合口拵(伝豊臣秀頼より高松元典拝領、大阪漆原滋雄氏寄贈、刀身はすり替えられた別物)、

posted at 12:43:47


・帥法印歓仲書状(文禄二年七月八日付、書写山宛、「大阪二の丸様」)、
・豊臣秀吉自筆書状(おひろいさま宛、文禄三年?九月二十六日付、口吸いのやつ)、
・豊臣秀吉自筆書状(秀よりさま宛、十二月二日宛、重要美術品、口吸いパート2)、


posted at 12:43:49


・前田利家血判起請文(文禄四年七月二十日付)、
・豊臣秀頼黒印状(直江兼続宛、極月十六日付)、
・大坂冬の陣図屏風(肉筆模写)左隻(武内勇吉氏作・寄贈/原本:東京国立博物館蔵模写本、原図は現存しないが合戦後間も無く成立か)、
・陣中床几 朱銘 慶長十六年辛亥霜月吉日(伝豊臣秀頼所用)、


posted at 12:43:49


・豊臣秀頼黒印禁制(大阪施福寺蔵、慶長十九年十月二十二日付、袖印)、
・豊臣秀頼黒印禁制(大阪施福寺蔵、慶長二十年五月四日付、黒印は日付の後、現存最後の秀頼書状)、
・大坂夏の陣図屏風(右隻、複製、黒田長政が戦後間も無く描かせたものとされる)

posted at 12:43:50


人が多いうえに茶々に興味がない人が多かった… 浅井長政誰?お市って信長の奥さんやん!などなど…💧知らないことはええんやけど、せめて目の前の解説読もうぜ… まあ大きな声でめちゃくちゃなこと言ってるほうがちょっと…


posted at 12:43:50


お捨の名前とか、そんな名前つけるから!当時は動物とかの名前つけてたのに!とかさ… 捨とか、当時普通にある名前だよ… 今の価値観はともかく、当時の縁起をかついだ名前なんだよ…! と横でぐぎぎぎしておりました… 解説は、崇源院=すうげんいんとか、従来の説を頑なに使っとるなぁという印象。


posted at 12:43:50


・豊臣秀吉朱印大阪城中掟書(慶長二年卯月二十日付)、
・毛利輝元書状(青木一矩宛、慶長五年七月二十七日付)、
・聚楽第図(明治二十七年作、原本は海北友松による聚楽小学校蔵本)、
・豊臣秀吉自筆書状(小田原陣中から家族を案じる内容、「大さか殿」「わかきミ」) 3Fもなかなか!


posted at 14:01:04

 

長浜城歴史博物館友の会湖北学講座③「浅井家の忠臣 遠藤直経」

 

遠藤直経講演なう pic.twitter.com/ZbU9KMqJUA



posted at 13:53:17



(追記)
こういうマイナー人物(浅井家の中では超有名人ですが)の講演、いいですね。
ご当地に来る甲斐があるというもんです!
プロフィール

紀伊

Author:紀伊
茶々姫(浅井長政の娘、豊臣秀頼の母)を中心に、侍女、ご先祖の浅井家女性(祖母井口阿古など)、茶々の侍女やその子孫、養女羽柴完子とその子孫を追いかけています。
ちょこっとものを書かせていただいたり、お話しさせていただくことも。





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メモ「赤石いとこ」名義で記事を書かせていただきました。

悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ) 悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ)(2009/06/06)
…改めて石田三成と茶々姫の“不義”を否定する記事を書かせていただきました。


メモ 参考資料としてご紹介いただきました。

めのとめのと
…茶々の乳母大蔵卿局を主人公描く歴史小説。茶々の祖母阿古の活躍も見どころ。
千姫 おんなの城 (PHP文芸文庫)千姫 おんなの城
…千の生涯を描いた作品。千が見た茶々をはじめとする人々の生き様、敗者が着せられた悪名が描かれる。


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