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「ねねと秀吉」@秀吉清正記念館

寧の名前について最新?の情報が取り入れられているのに、茶々は一箇所を除いて「淀君」でもやっとした。 茶々を落とさなくても、寧さんの業績も評価も変わらないって。 日秀=宮の史料を見に伺ったのだけど、足守藩に秀頼の自筆神号が伝わったのが確認できてよかった@秀吉清正資料館 pic.twitter.com/2b2WL55bd0






posted at 22:18:35

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高台寺掌美術館特別展「北政所ねね一族と天下人」

南化玄興(1537〜1604)賛豊臣秀吉像、賛は田中吉政の求めによる。高台院像(北政所像、容貌若々しく剃髪もしていないので高台院を名乗る慶長八年までの寿像か)、木下長嘯子像、常光院蔵木下家定像、綱敷天満宮縁起(慶長十二年ら寧が幼少から天神を深く信仰していたという)


posted at 18:49:48


浅野長政仮名消息(寧が木下家定遺領を甥の勝俊に継がせたいと強く願う旨、孝蔵主、客人局宛)、常光院蔵高台院消息(常光院宛) pic.twitter.com/CRjh6u7zQz



posted at 19:04:21


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真田丸展@大阪歴史博物館

(10/3 前期展示)

大河ドラマ展なのに、展示解説の系図梅の母が高梨内記娘になっている件。


posted at 13:10:12


大阪市立美術館蔵豊臣秀吉画像(慶長五年六月惟杏永哲賛)


posted at 13:27:39


上田合戦も大河ドラマ展は秀忠が遅参して家康に激怒されたと何度も出てくる。


posted at 13:28:35


太宰府天満宮蔵鶴亀文懸鏡。「願主 同 東 小石 徳 小屋」が刻まれた大きな鏡。脇に願主の人物比定の説(「東 大谷吉継の母/小石 大谷吉継の妻/徳 大谷吉継の娘(真田信繁室の竹林院)/小屋 大谷吉継の妹」)が紹介されている。あら、みんな吉継の姉妹じゃなかったっけ?


posted at 13:38:08


大阪歴史博物館蔵 一行書「龍虎梅竹」(豊臣秀頼筆)、真田宝物館蔵 豊臣秀頼黒印状 真田伊豆守宛、大阪市教育委員会蔵沢瀉紋飾瓦(沢瀉は秀次の馬印だったので出土地が秀次屋敷跡地か)、大阪市教育委員会蔵 桔梗紋鬼瓦(桔梗は加藤清正の家紋のひとつ、出土地は清正関係の敷地か)


posted at 13:48:17


フランキ砲の音声ガイドに茶々のエピソード。豊臣秀頼禁制 河州平野庄宛(慶長19年10月26日付)、東京大学史料編纂所蔵板倉勝重書状 島津陸奥守宛(慶長20年5月6日付、則秀頼・どうかなあ御袋、其外修理・甲斐守、於本丸同八日ニ被相果候、」)


posted at 14:08:55


仙台市博物館蔵高台院書状 大崎少将宛(慶長20年5月19日付、「大坂の御事ハなにとも申候ハんずることの葉も御入候はぬ事にて候」の書状)


posted at 14:15:31


高知城歴史博物館蔵 緋羅紗地大に渦巻文様切付陣羽織、毛利勝永所用のもの。勝永が関ヶ原合戦ののち土佐の山内一豊に預けられた縁で形見として家臣に託され、明治25年山内家へ譲られた…というエピソードが面白いなあと。


posted at 14:18:28


ちゃうか。妹とわかっているのはやっぱり小屋さんだけ。後の二人は大谷家の女性と推測していただけだった s.ameblo.jp/chachahime-blo… twitter.com/itoko_akaishi/…


posted at 14:43:01


@itoko_akaishi 豊臣秀頼黒印状 真田伊豆守宛 為歳暮之祝儀 呉服二到来、 遠路祝着候、尚 片桐市正可申候、 謹言、 極月廿七日(黒印) 真田伊豆守とのへ


posted at 14:59:20


江の時も思ったけど、大河ドラマ展と大河ドラマと設定や解釈が違ったりするよなー。どっちかというと大河ドラマ展のほうが俗説とか通説寄りだなと感じます。


posted at 15:25:02



追記:(10/28 後期展示)

某条書案(慶長20/6/11)。秀頼様五月八日未ノ刻御切腹 御袋様モ御同前ニ候 大蔵卿殿・右京大夫殿・三位殿 韓長老・秀頼様御介錯 速水甲斐殿・同おてきかい子 津川左近・大野修理・同信濃 毛利豊前・同長右衛門・竹田左吉 堀対馬・氏家内膳・伊藤武蔵 (続く)


posted at 20:30:56


(続き)とい少五郎・片岡十右衛門・高橋半三郎 同三十郎・森長八・建部加藤弥太 藤四郎・竹田永翁・はい原八蔵 同三十郎・小室義兵衛・浅井喜八 同半兵衛・寺尾少右衛門・真田大介 左衛門子


posted at 20:34:16


落城後まもない噂や雑説などの書き付けだけど、常高院とともに逃れた浅井喜八の名が見えるなど、不確かな情報も。しかも千を逃した大野治長に至っては自分の命惜しさにとか言われて気の毒すぎる。大野兄弟や国松の件も書かれてあるようです。


posted at 20:37:05

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大阪城天守閣 特別展「真田幸村の生涯を彩った人たち」

大阪城天守閣蔵大坂冬の陣図屏風、同蔵大坂夏の陣図屏風、長野市立博物館蔵豊臣秀吉・徳川家康・真田信之像、米沢市上杉博物館蔵豊臣秀吉直書(上杉景勝宛。上位者が下の立場の者に出す文言「候也」がみえる)、大阪城天守閣蔵豊臣秀吉画像(伝狩野光信画)、同蔵富士御神火文黒黄羅紗陣羽織


posted at 14:25:22


大阪城天守閣蔵大坂城図屏風、聚楽第図(「高台院殿」、「大政所御殿」がみえる)、肥前名護屋城図屏風、◎豊臣秀吉自筆書状(「おひろいさま」宛、文禄三年九月二十六日付/「おかか」、「おちや/\」)、増田長盛・石田三成連署血判起請文(文禄四年七月十二日付、秀次事件直前のもの)


posted at 14:38:49


上徳寺蔵阿茶局画像、大阪城天守閣蔵阿茶局書状写(元和元年十一月六日付、「あちや」)、上徳寺蔵徳川秀忠画像(もみあげ)、大阪城天守閣蔵豊臣秀頼自筆神号「豊国大明神 秀頼十一歳」、金小札緋威喉輪(「箱書きに豊臣秀頼所用とある」)、陣中床几


posted at 14:58:13


澤田家蔵越後吉長等六名連署状(慶長十一年七月一日付、鷹狩関係)、施福寺蔵豊臣秀頼黒印禁制(慶長十九年十月廿二日付、「袖印」:通常より尊大な文書形式/慶長廿年五月四日付(黒印)、現存最後の秀頼文書)、大阪城天守閣蔵秋草文彩画団扇(伝茶々所用)、


posted at 15:05:02


真野家系図(大阪城天守閣蔵真野英幸氏寄贈):頼親 真野蔵人 後剃髪而号宗信/事大坂 豊臣秀頼公大阪夏陣元和元乙卯年五月六日木村長門守重成與宗信於河州若江郡井伊掃部頭殿軍勢與相戦宗信自身手下数刻働與木村一所討死行年七十歳 ※頼親の子は頼包のみ記載


posted at 15:17:29


頼包 真野豊後守/事 秀頼公/領知壹万石/七組番頭 旗者赤白段々/組子四十三人有之内千石以上七人夏陣五月七日天王寺庚申堂之前毛利豊前守勝永備之北東七組頭備陣毛利勢被追立時豊後守押返雖得勝利加賀越前之大勢城江押込直依然火城中江帰於千帖敷中島式部少輔氏種與切腹


posted at 15:24:41


頼包の子、頼継のみ見える(以下は展示部分ではなかったのでわからず) 頼継 真野小源太/事 讃州生駒壱岐守殿知行… 以下不明、頼継の嫡子嘉包(真野源兵衛 事 典信様/知行三百二十石被下置…)


posted at 15:29:27


頼包次男中川瑞碩、和州郡山本多内記殿医師/郡山浪人以後死、頼包女 本多内記殿医師/臼田桂寿妻。 図録にちゃんと載ってた…なんと親切。そして青柳も大蔵卿局の存在も手がかりもなかった…残念。


posted at 15:48:16


『御撰大坂記 火』の内 豊臣秀頼書状、淀殿書状、淀殿起請文等写、板倉勝重書状(慶長十九年九月廿八日付) なんせ後から図録みたら釈文もしっかり収めてくださっていて大変親切。ありがたや…


posted at 15:49:04


茶々姫にもご挨拶。 pic.twitter.com/mLYDZjGxaZ



posted at 20:16:51


大阪城でもご挨拶。伏見の妙教寺さんが供養されてるのかしら。 pic.twitter.com/UXMl0fd0Ls



posted at 20:18:01


@karinto55 ですね!由緒いろいろ言われてますが、茶々姫のお墓として大切にしていただいてるのでお参りしがいがあります。


posted at 20:19:49


ずっとある案内板だけど…改めてかつてはここに豊国神社があったのですね。 天守を離れて山里曲輪を最期の場所に選んだのはそれも関係あるのではと思いました。 pic.twitter.com/vzsLJLC2Y5



posted at 20:21:21

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桃山時代の明暗@大阪城天守閣

RT @rekinavi: 【展覧】10月5日まで、大阪城天守閣で開催中の「桃山の明暗」展の紹介記事です >大阪城天守閣「桃山の明暗」展 秀吉が着た?金色陣羽織も ow.ly/tKLz303XvjV


posted at 15:14:44


大阪城天守閣蔵豊臣秀頼黒印状 為歳暮之祝 儀呉服壱重、 遠路到来祝着候。 猶片桐市正可申候。 謹言 極月十六日(黒印) 直江山城守殿


posted at 16:18:58


大阪城天守閣蔵蜻蛉燕文様陣羽織(伝 豊臣秀吉所用) ドラマの例の陣羽織。 「豊臣秀吉の着料として京都の妙法院門跡に所蔵されるよろいに付属していた陣羽織と伝える。」


posted at 16:25:30


大阪城の展示が思いのほかおもしろかった。西軍の関ヶ原合戦と、秀吉についての企画展。さすが大阪城天守閣、秀吉に関する所蔵品だけでも大充実である。


posted at 16:52:16

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