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茶々姫をたどる汐路にて

茶々姫研究日記(こちらが現行版になります)

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『天下一のかぶき者 織田左門』

 
久しくわたくしごとにかまけて研究調査も勉強もおろそかになっている私にもかかわらず、
柏木先生より新著を拝領いたしました。
遅くなりましたがご紹介させてください。

織田左門とは、とても魅力的な題材で、じっくり拝読させていただきたいと思います!
わたしが知っている左門といえば、左門の女房衆が大坂の陣の際に場内を練り歩いていたのが茶々姫の逸話と似ていて、混同がうかがわれるくらいの情報くらいかな…


『天下一のかぶき者 織田左門』
www.amazon.co.jp/dp/4801602207/…
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堀智博氏「豊臣家中からみた大坂の陣ー大坂落人浅井一政の戦功覚書を題材として」

 

秀頼母子の最期、史実だとどうしてわかるのか。内容が一致=同じ情報源 の可能性は? どちらにしろ、徳川方vs豊臣方の、三者とも徳川方という一方的な、しかも秀頼主従の様子を直接見ていない者の話が何が史実か


posted at 20:42:07


少なくとも、天守閣で浅井一政に自害の教えを受ける秀頼の様子からは、そのような様子は見受けられない 最後までなんとか母(茶々)を生かそうと伝手を辿った様子はよくわかるけれど それも茶々が見苦しく最後まで生き残ろうとしたかのごとく語られる ここでの主語はあくまで秀頼なのに。


posted at 20:45:16


例の『浅井一政自記』の論文を改めて読んだ。学ぶところ多かったけど、茶々に関する記述で、当時の女性の政治関与や豊臣家内の勢力図を明らかにしないままに、悪女の萌芽とか独断とか断ずるのはやっぱり違和感を覚えました。贔屓目のぞいても、根拠と検討が充分とは言えないのでは、と。


posted at 19:54:07


そういえば、こないだの論文、最後の常高院への助命嘆願使者の依頼も、何度読んでも原文で主語は秀頼なのに、表では茶々になってたな。秀頼と茶々は一枚岩ではないということにも言及されてたのに、そこを混同したのはわざと?なのかな?


posted at 21:27:03

 

黒田基樹氏『羽柴家崩壊 茶々と片桐且元の懊悩』

 

浅井一政の茶々に対する辛辣さを見ていると、ああ、まさに中世から近世への最終段階なのかなと痛感する


posted at 23:02:18


羽柴家崩壊読み始めました


posted at 12:17:25


(こんなときに何ですが、『羽柴家崩壊』を読了しました…ぜんぜん「こんな茶々は見たくなかった」ではなかったです。真摯に茶々にも向き合ってくださっていた良書でした。残念なのは帯の煽りだけでした…)


posted at 21:08:09


『羽柴家崩壊』続き。茶々と且元の心の行き違いはよくわかったのだけど、そうなるのますます且元と治長のそれが気になって仕方ない。


posted at 16:43:04


誰かを頼るしかなかったから、信頼する人を信じて頼って生きてきた。 その結果、その人たちをまとめられるほどの絶対的な力を持てなかった。 その人たちの道が違って、茶々は道を見失った。そんな気がする。 誰かのせい、という話ではもちろんないです。


posted at 22:17:21


『羽柴家崩壊』続き。茶々は片桐を信じきれなかった。 且元は父の代からの忠臣、治長は誰よりも茶々のそばで仕えた大蔵卿局の子で兄弟より近しい乳兄、織田常真や有楽は数少ない肉親の一族。 誰を取っても茶々にとって辛い決断だっただろう。 (投稿ミスしてしまった…)


posted at 22:18:45

 

『大坂の陣 豊臣方人物事典』に大蔵卿局をたずねる

 

治長が明石掃部に関ケ原の戦功を称賛された時の返し「私の働きではなく、すべて部下どもがしたことです」がイケメンすぎますね…(困惑


posted at 00:27:53


治長って浅野家と思いのほか距離が近かったんだな…


posted at 00:34:37


今古文書読んでる小笠原家の秀政と忠脩と闘ったの治長のとこだったのか


posted at 00:36:43


大蔵卿局の子孫いた(感涙)


posted at 00:56:40


はわわわ、「大坂の陣 豊臣方人物事典」に普通に大蔵卿局の出自に関するヒントらしきものがあった…さすがです…(吐血


posted at 01:20:13


赤尾なら小谷生まれでも問題ない…ないけど赤尾とは親戚かもというだけで、赤尾氏とは限らない…


posted at 01:47:02


でも木之本町の赤尾ではなくて、浅井郡大浦ってことは西浅井町のほうなんだなあ…


posted at 01:50:25


赤尾本家なら家格が高すぎるように思うから、支族かな 富山系とかに赤尾助左衛門、平左衛門、丹右衛門ならいた 高島郡なら久右衛門もいた 庄左衛門はまだいない


posted at 02:57:23

 

「豊臣家中からみた大坂の陣ー大坂落人浅井一政の戦功覚書を題材として」

 

堀氏の論文を読んだ。とかく気になったのは、茶々が女だてらに秀頼を差し置いて云々という視点。そもそも秀頼と茶々が一枚岩ではなかったというのは昨今各氏の論じられている通り。どちらが悪でどちらが善はない。 kyoritsu.repo.nii.ac.jp/index.php?acti…


posted at 00:49:20


一政自記だけでは、とても茶々が且元へ送った書状、それが片桐家に伝わったことなどとしっくりピースがかみあわないところもあるよね twitter.com/itoko_akaishi/…


posted at 00:52:34


個人的に気になるのは、一時期茶々が世代交代をしようとしていた形跡が見えるのに、この時期一政の目に明らかなくらい主導権を握ろうとしている?と思われるような描写が増えるところ。秀頼と一枚岩ではなかったことも原因なのかな… twitter.com/itoko_akaishi/…


posted at 01:07:33


あとは、徳川方でもそうであったように、秀頼は戦を知らない世代であるため、親の代である自分が舵を取らなければと思ったのだろうか twitter.com/itoko_akaishi/…


posted at 01:09:38


まあ、なんせ一政自記に記された茶々の行動に対して、「過干渉」と安易に評価されていたのが個人的にひっかかりまくったというお話でした


posted at 01:11:48

プロフィール

紀伊

Author:紀伊
茶々姫(浅井長政の娘、豊臣秀頼の母)を中心に、侍女、ご先祖の浅井家女性(祖母井口阿古など)、茶々の侍女やその子孫、養女羽柴完子とその子孫を追いかけています。
ちょこっとものを書かせていただいたり、お話しさせていただくことも。





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メモ「赤石いとこ」名義で記事を書かせていただきました。

悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ) 悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ)(2009/06/06)
…改めて石田三成と茶々姫の“不義”を否定する記事を書かせていただきました。


メモ 参考資料としてご紹介いただきました。

めのとめのと
…茶々の乳母大蔵卿局を主人公描く歴史小説。茶々の祖母阿古の活躍も見どころ。
千姫 おんなの城 (PHP文芸文庫)千姫 おんなの城
…千の生涯を描いた作品。千が見た茶々をはじめとする人々の生き様、敗者が着せられた悪名が描かれる。


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