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大政所の名前

(メモ)大政所の名前を「なか」とする説は「なか中村の人」(中中村の人)を人名と誤ったものである云々〔尾張群書系図部集〕


posted at 16:49:34

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浅井一政

TLにて浅井一政自記の著者一政について以下の情報を拝見。

一政は大坂落城直前に秀頼の命で茶々の助命嘆願を常高院に訴える使者となった。
運よく京極家の陣所にたどり着いたものの常高院の書を携えた帰城の途で井伊直孝によって捕縛され、その後前田家に仕えるようになった。
彼の目で当時の大坂城内の混乱と分裂の内情が記された一政自記は大坂の陣研究において重要な問題提起であるとの指摘。
曰く、茶々が秀頼を差し置いて政務に介入、曰く、秀頼が大野治長ら重臣たちを制御できなかった、など。

→ https://twitter.com/kirinosakujin/status/849432108858843136
  https://twitter.com/kirinosakujin/status/849429767782887427

当時、及び自記を書いた時点での一政の立場を考えて受け止める必要があるのではないかと個人的には思っている>RT


posted at 16:34:02



彼の目にそう「映った」ということ、
また、大坂の陣で敵方に属した一政が自らの行跡を残すという事情を考慮しなければならないのでは、と。

うまく言葉に表せないが。

ただ、貴重な史料には違いない。

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大野弥十郎

大坂から人質に出された大野治長の息子、徳川方の認識ではほぼ共通して「信濃守」。でも落城時の記録では「信濃守」が殉死している。ので、人質に出されたのは次男弥十郎とされている。ちなみに治長の次弟「壱岐守」は大坂の陣で徳川方の使者になったりしているが、大坂落城後パタリと消息が途絶える。

posted at 00:42:18


のちに下谷海禅寺で刑死する「弥十郎」を治長次男とする人と、治長次弟壱岐守治純のこととする人がいる。正直、治純なら壱岐守と記されそうだと思うのだけど。思うのだけど、治純も消息が途絶えるからひょっとして…という思いも捨てきれない。 twitter.com/itoko_akaishi/…


posted at 01:27:48


あったあった。「大野修理亮ガ二男弥十郎ヲハ誅戮可仕由被仰遣」「武州下谷於海禅寺大野弥十郎被誅」。やっぱこの時点では嫡男ではなくちゃんと次男の認識だわ。 twitter.com/itoko_akaishi/…


posted at 01:34:59

| ∟史料関係 | 22:33 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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木村重成の妻 織田長孝女と青柳

大和芝村の織田系譜によると木村重成の妻は織田長孝の三女らしい


posted at 02:33:08


大和柳本本でも三女 twitter.com/itoko_akaishi/…


posted at 02:35:20


青柳、旧参謀本部編『大坂の役』から「浪速全書」までは追える。


posted at 11:23:26


そこまでしか追えないともいう。 twitter.com/itoko_akaishi/…


posted at 11:25:48


木村重成の弟七兵衛の妻が「黒柳」といって大坂落城後近江坂本へ移住したというんだけど、実際重成の妻だったの?という疑惑のある青柳がこの人がモデルなのか、逆に青柳の話がこの人の話になっているのか。そもそも黒柳ってどこのトットちゃんとかいろいろツッコミが追い付かない。


posted at 21:19:16


@mitagino 青柳の話は超有名ですが、質の良い史料が見当たらないんですよねえ…。実際史料に妻として出てくるのが織田有楽斎の孫みたいで。九州説は面白いですね。このお墓関連でしょうか。 twitter.com/noimago/status…


posted at 21:53:24



@mitagino @ameba_official 新聞記事情報ありがとうございます。とかく九州は秀頼生存伝説含めて関連する話が多いですね。


posted at 22:04:20


@mitagino 私も、秀頼の性格(想像ですが)的にそれはないだろうと思っています。この重成弟は黒柳さんの旦那さんとは別人かなあ…


posted at 22:16:24

| ∟史料関係 | 18:31 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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徳川千侍女 織田信澄母

織田昌澄の母が大坂で千(「大坂の北方」)に仕えていたとある。その女性は明智光秀の娘らしい。


posted at 01:39:55

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