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ご訪問ありがとうございます

幼少時茶々姫に心酔して以来、茶々姫一途な×十年を送っている紀伊(HN)と申します三つ指ごあいさつ(PNは赤石いとこと申します)

茶々について細々と我流に調査&研究しており、情報整理&報告のために永遠に工事中なサイトを運営しています。その他、執筆や講演の機会を頂き、細々と活動させていただいております。


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個別の質問コメントについては、調査・確認する時間や手間などの関係上、基本的にお答えできないことをご了承ください。


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小笠原家に伝わる完子の血筋 など

確認。永と書いて「ひさ」と読むらしい。名付け親は小笠原忠雄夫人梅(浅野光晟女、長寿院)。 twitter.com/itoko_akaishi/…


posted at 19:27:20



五徳の娘が嫁いだ小笠原家では、五徳の名前が「玉姫」と伝わったようだ(「御当家末書」)


posted at 13:07:59


姉妹に小笠原氏(「御当家〜」では貞慶と推測)室高源院殿真海性憐大姉。一時秀吉伯母圓鏡院尼公の庇護をうける。高源院は天正十年十月二十六日第二子(源松大童子)出産と当日に死去。圓鏡院尼公は同年九月十三日病没。 twitter.com/itoko_akaishi/…


posted at 13:42:52


小笠原忠総室の養寿院の名は、「能姫」と「喜姫」という表記があるので、「よしひめ」と読むのだろう。


posted at 16:39:56


確認。永と書いて「ひさ」と読むらしい。名付け親は小笠原忠雄夫人久(浅野光晟女、長寿院)。「御当家末書」ではやはり「永」。自分の名前を継がせたようだ。


posted at 23:01:48


「御代々御奥方之事」で「ヨシ」とふりがな発見。 twitter.com/itoko_akaishi/…


posted at 23:06:19

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茶々は無位無官であったか

複数妻説に対し、茶々が無位無官であったのはどう説明するのかという書きこみに対して

無位無官であった証もなかったはず。彼女が無位無冠でなかったことは、彼女に仕えた侍女が女官扱いを受けていたことからうかがえる。彼女たちの号である大蔵卿や阿古局、二位や三位は高級中級女官の称号。という話だったはず。


posted at 23:28:50


あと、茶々は金剛峯寺の修繕工事の一次史料で、龍は誓願寺復興の一次史料で「北御方」と記されておりますね。でも、それは決して寧と同格であったということとイコールではないです。 twitter.com/itoko_akaishi/…


posted at 23:40:45


妻は複数いていい、正しく妻である第二夫人第三夫人…(以下略)と妾や愛人は全く別物という感覚、確かに理解しにくいもんなあ。妾と側室もまた全く違う。「大かうさま…」で「北政所」と記されたとされている茶々も、現実日常で北政所とは呼ばれていないのだから、やはり寧と立場の違いがあったはず。 twitter.com/itoko_akaishi/…


posted at 23:48:04



(追記)
その後、フォロワー様に官位が伝わらない別の女性について、菩提寺の記録で官位が記されていたこと、後の世に何らかの意図(悪意など)があって法名や位階が削られたり省略されたりする可能性を教示していただきました。

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